第十二話・分からなくていい

 転倒した日から、リサイクルショップの仕事へ行けなくなった。暫く休むという選択肢をオーナーは提示してくれたけど、私は辞める決意をしてそれを伝えた。

 すぐに鈴木さんから連絡があった。

『まだ、心が疲れているのよ。周りに甘えていいの。もっと甘えなさい。ご飯食べれてる? 作れないなら、宅配のお弁当頼むなりして、栄養摂るのよ』

 明後日の会のスタッフが、時々、買い物に連れ出してくれる。ありがたいけど、一人で生きていけない自分が嫌になるばかりで、ますます自分を責めるようになってしまった。

 処方箋の薬の数が増えた。そんな通院の帰り道、私は『かふぇこっとん』のある通りを歩いていた。

『気軽に店に来てよ』と、こずえさんの言葉を思い出し、財布の中身を確かめる。コーヒー一杯なら大丈夫なくらいはあった。

 ドアを開けると、こずえさんがテーブルを拭いていて、私の姿に笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 私はカウンターに座るように促され、そこに座る。

「コーヒーで良いかな? あっさりめと深いやつ、どっちの気分? それとも香り重視?」

「あっさりめで香りが良いのって、ありますか? といっても、違いは分からないんですけど」

「分からなくて良いのよ。飲んだ時にどう感じるか、美味しいと思えるかが大事なんだから」

 そう言って、コーヒー豆を挽き始めた。何をするにも楽しそうに見えるこずえさんが、羨ましい。バツイチと言ってて、本当はいろいろあるのかもしれないけど、笑顔でいられるのなら、少なくとも仕事は楽しいんだろう。

「新原さん。実穂さんって呼んで良いかな?」

「えっ、あー、はい」

 びっくりしたけど、拒絶する理由もない。

「この店ね、オーナーは私の元夫なんだよね」

 軽いノリで言う話ではないと思った。唖然としている私に気付いたのか、こずえさんは笑っている。

「そう言ってもね、どろっどろの離婚劇だったんだから。いろいろ揉めて泣いて殴り合いみたいな喧嘩して、でもね、話し合いで、別れようって。言いたい事、全部ぶつけたら、もういいや、って。最初から、気持ちぶつけていたら浮気されなかったんだろうけど、仕方ないよね。頑張ってみても気持ちはこっちに戻らないのが分かっちゃったら、辛いし悲しいし」

 こずえさんはそこまで言うと、一息ついた。

「ちょっと待ってね。コーヒーを淹れる時は、雑念持ちたくないから」

 笑いながら話していたけど、そうなるまでにどれだけの時間を費やしてきたんだろう。想像できないし、するのはおこがましい。

 私もいつか、少しでも笑えるようになるんだろうか。

 

 

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