第4話 神罰の代行者④

 幻の領主アレス・ホーネット。


 黒い噂は多いが、誰もその姿を知らない。年齢不詳。性別不明。名前さえ偽名かもしれない。だがこの街を治め、支配する者として確かに存在するはずの人物。


 おそらく悪事が明るみに出たとき、アレスという身分を簡単に切り捨てられるようにしているのだ。そのとき領主アレスは消え、その名で街を支配していた何者かも幻のように消える……。


 しかし、いつまでも幻のままでいさせるものか。志郎は鋭くラバンを見下した。


「お前はアレスに会ったことがあるのか? どこに行けば会える?」


「し、知らねえよぉ! 会ったこともねえ、あの人は誰にも会わね――あぎゃああ!」


 志郎はラバンの折れた腕に足を乗せ、ゆっくりと体重をかける。


「嘘をつけ。お前、まだ自分が生きて帰れると思ってるのか?」


「うああ、本当だ、本当だぁ! 嘘なんかつかねえよぉ! 死にたくねえ、助けてくれえ!」


 ラバンは泣き叫びながら、もげてしまいそうなくらいに激しく首を振る。


 その様子を見て、本当だろうな、と志郎は思う。金銭欲や性欲に忠実なこの男が、生存欲に逆らって嘘をつけるわけがない。


「なら、お前の麻薬の流通ルートを教えてもらおうか」


 ラバンはあっさりと口を割った。自分の部下と、支援している犯罪組織。その拠点までをベラベラと喋った。


「次にお前の仲間についてだ。いるんだろう? 他にも転生者が」


「そ、それは、よ、よく知らねえんだ……。う、嘘じゃねえ。俺たちは神性技能を教えあったりはしねえ。たまに取引があるくらいで、それ以外は連絡も協力も滅多にしねえ。そういう命令なんだ。同時に転生したとかの例外でもなけりゃ、知りようがねえんだ。全部把握してるのはアレスぐらいなんだよ」


「人数も?」


「ああ、わ、わからねえ。俺が知ってるのは四、五人だが、他にもこの街にはいると思う」


「なるほど、よくわかったよ」


 それなら口の軽い誰かが捕まっても、組織の全貌が明かされることはない。アレスだけがそれを把握し、支配しているというわけだ。なかなか、よくできている。


「つまり、お前を生かしていても、もう情報は得られないんだな」


「ひっ!? し、喋れば助けてくれるんじゃないのかよ!?」


「そんなことは言ってない」


 志郎は棍棒を握る手に力を込める。


「あの親子の人生を滅茶苦茶にしておいて、お咎めなしだと思ったのか?」


「わ、わかった! 謝る! 俺が薬で完治させる! だから、助けてくれ!」


「お前が傷つけ、死なせてきた全員を治せるならやってみろ」


「そ……そんなこと、できるわけねえよ……」


「それは残念だな」


 棍棒を振り上げる。


「嘘だろ、そんな! や、やだっ、いやだぁ! 死にたくない! 助けて! 頼む、頼むよ! まだ死にたくない! チャンスをくれよぉ!」


「また人を殺すチャンスをか?」


「あああ、いやだぁあ! 助けて、助けて神様! ペルシュナ様ぁああ!」


「女神ペルシュナの名において、神罰を代行する」


 志郎は棍棒を振り下ろした。


 あの少女とその家族の悲哀が脳裏に浮かぶ。


 一撃では終わらせない。激しい衝動が、志郎を突き動かす。何度も何度も棍棒を叩きつける。


 あの子の姉は、どんな思いでこの男に抱かれただろう。父親を救いたい一心で耐えていただろう。その父は娘が廃人になったと聞いたとき、どれほどの絶望を味わっただろう。あの少女は、病床の父と廃人の姉の姿を見て、どんなに涙を流しただろう。


 そんな涙をどれだけの人が流してきただろう。


 思うたびに叩き、砕き、潰す。


 ラバンの悲鳴が聞こえなくなっても、止めたりはしない。


 今の志郎なら『神秘の草花』で病気や中毒を治すことができる。だが心の傷は癒せない。ラバンに奪われた数多くの命を取り戻すこともできない。


 志郎にできるのは、これから誰かの命を奪う者の排除だけだ。


 棍棒が折れて、やっと志郎は手を止めた。ひどく息が上がっている。


 返り血を浴びて、顔も上着も血まみれだった。何度か深呼吸してから上着を脱いで、汚れていない部分で顔を拭う。血で汚れた上着をラバンだった肉塊の顔にかけてやった。


 棍棒の折れた柄を床に捨てる。火のついたランプや燭台を手当たり次第にぶちまける。床から炎が広がっていく。凶器は遺体と一緒に燃えて灰になるだろう。


 部屋中に炎が広がる前に、志郎は少女を抱きかかえて脱出した。


 あとは事前に依頼しておいた馬車と合流すればいい。御者は少女の家族を連れてきているはずだ。その場で薬を作ってやれば、ふたりを健康体にはしてやれる。ラバンの別荘から持ち出した金を持たせれば、べつの街で新たに人生をやり直すこともきっとできる。


 炎はあっという間に家屋を飲み込み、夜の闇の中、眩しいくらいに燃え盛る。


 志郎にはそれが、悪徳を清める浄化の炎のように思えた。


 この炎をもっと広げてやる……。


 助け出した少女の重みをしっかりと感じながら、志郎は確かな足取りで立ち去った。

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