折野さんちの異世界召喚―うちの父親が勇者になったんだが―
めたるじぐ
第1話 異世界召喚だが
「オヤジィィィィーーッ!」
そう叫ぶと、父親の装備した無暗に度数の高い眼鏡(乱視入り)は粉々になり、夜の闇に消えていった。
◆◆◆
父、折野
母、折野
妹、折野
そして俺、
曰く付きの建物で警備のアルバイトを終えて、六畳ワンルームのアパートに帰る途中だ。そのアパートはどうやら事故物件らしく、相場よりもかなり安く借りることができている。
だけど、さしたるデメリットはない。不思議と朝起きた時にお気に入りの枕が玄関先に出されていて、風呂とキッチンの水道が全開になっているだけだ。
この日本の首都“東京”では、こんな俺でも時給が七百円を超えているから、何とか生活できている。
財布の中を覗けば。
「五百円玉が、一枚……三日分の食費だけか……」
ポケットからスマートフォンを取り出して認証を済ませ、ネット銀行の残高を確認する。
「三千と八円……。まずいな、給料日まではあと……二十日」
それでも食費は何とかなるだろうけど、二十七日を迎えるこの日、あれが待っている。
――”口座振替”
格安プランに変えたから耐えることができるが、その魔の手は。
その預金残高に、ゆうに二千五百円/月もの固定ダメージを与えてくる。
「この全財産を交通費に変換して、一旦実家に帰ろう」
アルバイトで警備をしていた曰く付きの建物は、さして古くはないはずのガス管が爆発して取り壊しになる予定だ。
大手の解体業者が施工することになったため、職にあぶれた俺は次の現場が見つからないでいた。
電車で帰る道中、とにかく倍速で動画を見る。
これが俺のライフワークだ。
「ただいまー」
電車賃が足りずに、決して少なくない距離を歩くことになった俺は、太陽も沈むころ、埼玉県にある実家の玄関を開ける。
関東とはいえ、ある程度の自然に囲まれ、初夏から秋にかけては虫の声も絶えない。
住みやすい、いい場所だ。
それでも何かしなくちゃ。
そんな漠然とした“夢を追いかける自分を夢見て”、上京した。
「あら、新作! 帰ってくるなら連絡しなさいって、あれほど言ったでしょ!」
エプロンで手を拭きながら、夕食の支度をしていたであろう母はいそいそと廊下を歩いて、玄関で靴を脱ぐ俺の方へと近寄ってくる。
「ごめん、ちょっと金がなくてさ!」
少しだけ妙な匂いがする五年間酷使した靴を脱ぎ捨てると、廊下を進んですぐ左。
引違のガラス戸を開ける。
「おぉ……帰ったか。新作」
声を掛けてくれた父親にただいま。素直にそう言おうとすると、だらしなく寝そべって俺の漫画を読んでいる妹を踏みつけそうになって、慌てて回避する。
「親父。このバカ、だらしなさすぎるぞ。危うく踏んづけるところだ」
「いいじゃないか。勉強で疲れているんだろう?」
親父はどうも妹の希望を甘やかしすぎているように見える。大して裕福でもない余力を、妹の学費に回しているってんだから。
「足臭い! もう、夕ご飯の前なのに、この匂い! こんなアニキ勘当してよ、パパ!」
「これがァッ! 勉強している人間の姿に見えるか!」
俺の大声でかき消されたが、完全にこの親父。妹の心無い言葉に対して『そうだな』って返答する唇の動きをしていた。
後輩から聞いた噂で知っている。妹の彼氏は俺よりも年上らしい。
「ちょっと新作! あなた、手は洗ったの?」
「そんなに汚くねえよ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「はいはい」
そう言いながらも、こんなやり取りを数年間、繰り返している。
洗面所に行き、やたら泡立ちが悪い、水で薄められたハンドソープで手を洗って、茶の間に戻る。
さっきまで寝そべっていた妹も所定の位置に座って箸を持ち、“例の物”の登場を待つ。
「新作。手は洗ったの? 今日はコロッケよ」
やがて訪れる、母。
その両手にはお盆を携え、その上にいくつかの皿を乗せている。
――今日は? 嘘だ。
この食卓でコロッケを見ない日はない。
クリスマスも。正月も。冬も、夏も。昼も、夜も。
なぜなら。
「おぉ……コロッケ、か」
なぜならこの、水色と白のストライプのステテコと、純白のタンクトップを装備した俺の父親、久作が大好物(妹も)だからだ。
「本当に、お父さんはコロッケが好きねえ――」
「それじゃあ、いただきま……」
そう言って親父がコロッケの一つに紺色のマイ箸を伸ばしたその刹那。
親父の言葉を皮切りに茶の間の砂壁に掛けてある、何の業態かわからない地元の業者が年末に頼みもしないのに配るカレンダーが歪む。
それだけじゃない! 温度調整に失敗して今は苔だけ生息するのアクアリウムも、ガラス戸の棚に鎮座するこけし軍団も。
妹の七五三の写真も、全てが歪み始める!
「じ、地震かッ!」
「お父さん、今は七月ですよっ」
「関係ないってば!」
次第にグニャグニャと乱れる風景の中。
コロッケを挟んでいる親父の箸だけが、落とすまいと断固としてその意思を貫いていた――。
***
「うっ……」
「大丈夫か、みんな」
「珍しいわね、七月に地震なんて……」
「だから、関係ないだろ? それに地震じゃないみたいだぞ」
空間が揺れる様な錯覚はしたが、地震ではなさそうだ。
その証拠に、天井からぶら下がった四角い照明の紐は、ピクリとも揺れていない。
「ヘンだな」
「ちょっと、アニキ、外。見てきてよ……」
「気のせいだろ? よっこいせ」
少し、しっとりとした座布団(半分にたたむことで枕モードに変更可能)からゆっくり立ち上がった瞬間に、彼女は現れた。
ガラガラッ(網戸)
輝くティアラを、その美しいブロンドヘアーの上に乗せ、まるで中世の貴婦人の様な高級そうなドレスを身にまとった、お姫様の様な女の子。
とんでもねえ美少女だ。
息を切らせて、白い手袋を付けた華奢な指先を掃出し窓近くの畳の上にちょんとのせ、こちらを見ている。
「ん? 外国の、女の子か」
「今はこの辺にも多いものね、道に迷ったのかしら」
「コスプレ? 可愛い!」
だけど、家族の予想を裏切って、その金髪美少女はこう言った。
「父上……いえ、国王陛下……ついに、勇者様の召喚に成功しましたわ! 勇者様、どうか、世界をお救いください!」
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