ええッ!私、卒業ですか? 〜JUICY☆TRACEのアイドル人生譚〜

外並由歌

01>> 桃川ピーチのフィジカルロジック

 今日のライブイベントを終え、アイドルグループ「JUICY☆TRACE」のメンバーは余韻に浸りながら各々帰り支度を進めていた。そのうちの一人、桃川ピーチはプロデューサーである菱餅に呼び出され、二時間に及ぶステージなど感じさせない元気な返事と足取りで控室を出ていく。


「どうかしたんですかっ? プロデューサー!」

「ピーチちゃんあのね、言いにくいんだけど、このライブを最後に卒業してくれないかな」

「ええッ!」


 言いにくいと言った割にはするりと飛び出した衝撃の要請に彼女の腹筋は惜しみなく驚きの声を叩き上げる。一体どうして、と惑う声も、惑うというより喚くと言った方が一般的な水準に合っているが、彼女の丹田はまだまだこんなものではない。

 菱餅は頭でも痛そうにこめかみに指をやりながら、どうしてって、と困り果てた声で答えた。


「まあ率直にいうと……アイドルにしては筋肉がありすぎというか」

「ええっ、肉感あるほうが可愛くないですかっ?♡」

「なんでも筋肉で解決しすぎというか」

「筋肉は世界の真理ですから!」

「ファンに怪我させたりとかさ?」

「チェキ撮影に来た古参のタクミくんのことですか? 喜んでくれてましたよ!」


 私包帯にサインさせて貰っちゃいました!と何故か嬉々として話す桃川を尻目に、菱餅は俯いて長い溜息をついた。ツルツルの廊下にぼんやりと映る人影は、菱餅よりも桃川の方が一回りくらい大きい。身長も大きいが、胸も腹も肩も腿もとにかく筋肉が立派なのだ。隆々すぎるのだ。それが悪いことだとは言わない。否、正直言うと彼のプロデュースしたい理想のアイドル像からかけ離れてはいる。菱餅は気を取り直して顔を上げた。「大事なファンに怪我させちゃダメでしょ」


「うぅっ……はい、そうですね」

「あと前から思ってたけど結構な頻度でマイク破壊するよね?」

「それはぁっ、『みっくすじゅーす♡めぐみるく』の『果実をぎゅ〜っと♡…』のところで搾るじゃないですかっ?」

「力加減間違えちゃうってこと?」

「ううん、ファンサービスで……」

「ファンサービスで機材を破壊しないで!?」


 とにかく一時が万事この調子なので桃川ピーチは抱えておくにはリスクが高すぎた。菱餅はお説教の形であれこれと揚げ足をとって、なんとか、とりあえず次のステージはお休みをするように命を下すことに成功した。


「一回ちょっと客観的に他の子を見てご覧。アイドルっていうのはね、お花みたいに可憐で、歌やダンスで懸命に語って、愛と笑顔で人々を救う職業なんだよ」


 桃川は珍しく身を縮ませて、謙虚な様子で頷いた。




 JUICY☆TRACEは地方アイドルである。先日のような大型イベントは年に一度で、しばらくはショッピングモールなどでの小規模ライブが続く。

 組み上げられたステージ裏の暗幕内でJUICY☆TRACEのメンバーたちは今日の進行の最終チェックを行っていた。


「……そういえば、今日ってなんでピーチいないの?」


 センターを務める苺田ストロベリーが鉄の無表情で誰にともなく問う。これに答えたのは無患子むくろじブルーライチで、「マスターからは、『ピーチちゃんは卒業させようと思うんだよね』と聞いています」と絶えない微笑みを崩さないまま軽やかにチクった。「えぇ…!」と憐れな悲鳴を上げたのは葡萄ヶ原シャインマスカットである。


「そんなぁ、桃ちゃんいないと採算とれません〜! 桃ちゃん担当のファンのみなさんが脳筋援助してくれてるお陰で成り立ってると言っても過言ではないのにぃ…!」


 否、過言である。採算は機材やステージの修繕費と関係者やファンの治療費等々でプラマイゼロに近い。橙沢オレンジはそのことを思いながらあえて何も言わずに、「パワフルさが欠けんじゃん? 小ぢんまり纏まっちゃいそうだよね」とコメントした。

 これからは四人ってこと? 靴下を直しながら続けて呟いた苺田の表情は見えない。メンバーの間に沈黙が流れ、体勢を戻した苺田の「寂しいね」という言葉が落ちた。



 吹き抜けの下階でステージ準備が進む中、桃川はファンに見つからないようトレンチコートを着て、三階のフロアからじっと仲間達がいるはずの場所を見守っていた。

 アイドルとはなんだろう。桃川はオーディションに受かってからここまで、アイドルとして迷わず突き進んできた。さながらすべてを破壊するほどの猛進具合であった。アイドルとはパワーである。愛とは力である。可憐……可憐とは、なんだろう。

 ふと、隣に一人の男が並んだ。こっそりと目を向けると、その男は伸び放題の髪の合間の不健康そうな頬に、鈍い眼差しを乗せている。こっそりとは言ったがそこそこしっかりと圧のある桃川の視線である。が、男は煩わしそうに一度目線を返したものの、すぐまた下階に落とした。

 桃川はこの人に聞いてみようと思った。なぜなら、隣にいたからだ。


「可憐って、なんだと思いますか?」


 男はとくに驚かず、可憐、可憐か、とぶつぶつと呟いた。


「お花って可憐らしいんですけど」

「ああ……直向きな生命力、かな……」


 ひたむきな生命力。なんだかわからないが力強そうだ。

 男はそのまま続けた。花はその直向きな生命力が美しく、目にも鮮やかな彩りが愛らしい。


「しかしそんなものはまやかしだ。摘めば枯れるし踏み荒らせば汚れる。力無いものの可憐さに救いを求めたところで……」


 桃川はこの男が言わんとすることをあんまり理解できていなかった。しかし、彼が手摺をぎゅっと握りしめたことだけは深く心に残った。彼は力無い自分を責めているのではないか……というような気がした。だって、桃川ならこの手摺を握り潰すことなど容易い。

 俺は今日、それを証明しにきた。

 そう言って男は手摺から離れ、振り向きもせずにそのまま立ち去ってしまった。桃川は寂しい気持ちで、握力を鍛えるならパワーボールがおすすめだよ、とそっと心の中で呟いた。



 ステージが始まる。裏とは打って変わった弾ける笑顔を携えた苺田を先頭に、四人が壇上に並んだ。


「ファンのみんな、今日も集まってくれてありがとう! お買い物中のみなさんもぜひ、私たちの歌を聞いていってね!」


 さて、まずは自己紹介から!と場を回していくのもやはり苺田である。彼女はオンオフの切り替えが完璧なのである。「あ、いちごだ!」の合図にファンが「ストロベリーだ〜!」と答えると、苺田はやはり晴れやかな笑顔でお礼をいい、しかしはっきりと「ときめき営業スマイル☆ 苺田ストロベリーです!」と自身の笑顔が本物でないことを暴露してしまう。だが、果たしてその笑顔にときめいた心まで偽物になるのだろうか……。苺田はそういった哲学的問いを毎週この場で投げかけ続けている。

 続いて前に出るのは橙沢だ。「……ってか、橙とオレンジって別だかんね?」尤もな言葉にファンが返すのは「マジオレンジ〜!卍」であると決まっている。ノリのいいレスポンスを「はいはい」と適当にあしらって、「チルすぎ博識ギャル、橙沢オレンジです」と声音も素っ気ない。チャラチャラした見た目に反して東大レベルと言われている彼女の頭脳、その頭脳をもってして博識を自称する馬鹿っぽさ、だがしかし冷静沈着で塩対応。ギャップの嵐だ。この魅力に落ちないオタクはいない。

 本来の順番ならここで桃川が自己紹介をするのだが、それをパスして葡萄ヶ原が前に出た。「えぇん……桃ちゃんがいないので次はわたしです……」フォローを忘れない仲間思いな心はJUICY☆TRACEに共通する美徳だ。

 葡萄ヶ原の「名前が長いって言わないでください……」という悲しげな言葉を聞きつけて、古参ファンが「さんはい!」と合図を送ると、ファンたちは早口言葉のように「葡萄ヶ原シャインマスカット!」と彼女の名前を三回繰り返す。長いなんて思わない、みんな君の名前が言えるんだよ、という心温まるファンからの声援だが、葡萄ヶ原はこれを怖がるように「うぇえん……」と涙を拭った。自己紹介も「泣き虫ドジっ子会計担当、葡萄ヶ原です……」と声援がなにも届いていない、苗字のみという控えめなものに留まる。

 最後に無患子が完全無欠の微笑みで会場を見渡す。何かに気づいたようにその欠点のない表情を自然に崩し、そして喜びの感情を綻ばせる。空を指し、「見てください! あれは幸せの……」――と、ここまでまるで完成された映画のように美しい画だが、賞賛にも似た「ブルーライチ〜!」というファンの呼びかけが入ると、はっとして彼女はこちらの世界へやってくる。「みなさんこんにちは、きらめき電脳フィクション! 無患子ブルーライチです!」お察しの方もいるかもしれないが、彼女は非実在AIアイドルであり、我々が見ているのはホログラムだ。


「私たち、JUICY☆TRACEです!」


 桃川を欠いて始まったモールライブ。それでも普段と遜色ない盛り上がりの中、彼女たちのテーマ曲とも言える「フルーティー☆パラダイス」が流れ出した。



 桃川は夢中になって仲間たちのステージを見守っていた。苺田は与えられた使命に忠実な戦士のように魅力的な笑顔で心を射止め続ける。橙沢はアスリートのようにストイックなダンスで人々に語りかけている。葡萄ヶ原は猫を噛む窮鼠のように懸命なパフォーマンスで、無患子はトレーニングマシンのように人々の鼓動のスピードを上げ続けていた。

 やはり筋肉。愛とは、筋肉――。


 異変が起きたのは大サビに入った時だった。急に駆けてきた一人の男が壇上に飛び乗ったのだ。


「あっ! あの人!」


 桃川はこれに見覚えがあった。先程隣に並んだ握力のない男だ。

 男は刃物を煌めかせ、苺田を捕えるとその首にナイフを当てがった。モールに上がる悲鳴。桃川は反射的にコートを脱ぎ捨て、手摺を飛び越えている。


「そんなことッ! しちゃッ! ダメッ!!!」


 陳謝しよう。普通は犯行に及んだ男が何か喚くなり要求を言うなりするのがセオリーである。魔法少女や戦隊ヒーローが変身し終わるのを待たなければならないくらい、この思い詰めた可哀想な男の目論見を、せめてあと1%は達成させてやるべきなのだろう。

 しかし桃川の反応速度はそんな常識に引けを取らない。加えて三階から一階という高さも桃川の運動能力からしてみれば階段一段と大差ない。着地した桃川はそのまま、その筋肉量によってステージの骨組みを破壊した。傾ぐ舞台の上、しかし踏み切って、バランスを崩した男の利き腕の肘を蹴り上げる。ナイフは落ち、苺田は解放された。

 筋肉とは、力なのだ。力とは、愛。可憐とは生命力だと、この男が教えてくれた。

 ステージ傍で控えていたらしい菱餅が駆けつけ、桃川を呼び目を丸くしている。その、桃川から見れば無力で小さい姿に熱い想いが湧き出してきた。


「プロデューサー……私はっ……アイドルですッ!」


 桃川は崩れた舞台に埋もれた犯人を片手で引き上げた。


「お花みたいに力強くッ」


 そして彼を抱き潰し、


「ボディーランゲージで懸命に語ってッ」


 ぐるりと砲丸投げが如くターンすると、


「筋肉という愛でみんなを救ってみせる!!!」


 男を場外へと放り投げた。

 歓声が湧く。ファンが桃川の名前を呼んでいる。崩れていても桃川はステージに立っていた。

 遅れてしまったけれど、彼らのコールに応えて桃川はお決まりの自己紹介を叫んだ。


「っ…みんなのために鬼退治!! 桃川ピーチですっ……!!」




 とりま警察と救急呼んどくね、と橙沢が冷静にスマホを操作する。無患子が苺田に怪我がないことを確認し、葡萄ヶ原が一仕事終えた桃川に泣き縋った。

 菱餅は犯行に及んだ男を桃川が放り投げた際、その勢いに気圧されて尻餅をついていたが、ようやく肩の力が抜けて、気の抜けた笑いも溢れた。

 参ったな。彼女を抱えるのは常にリスキーであり、やる事なす事めちゃくちゃだが、それでも内に秘めたあの情熱とすべてを救ってしまいそうな力強さは確かに、菱餅の理想とするアイドルの要素にぴったりなのだった。オーディションで彼女を採用することに決めたのも、その輝きを感じたからに他ならない。


「マスター、ピーチさんは、卒業なのですか?」


 苺田の無事を確認し終えた無患子が今度は菱餅を慰ってそばにやってくる。菱餅はずれたサングラスを押し上げながら、「いいや、彼女は、JUICY☆TRACEのアイドルだよ」と答えた。


 余談だが、犯行に及んだ男は後日桃川のファンになった。

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