第21話 おやすみなさい

「戦後処理の件が山積みで、婚礼の式典に関してはどうしても後回しになっていました。大々的に執り行って国中に祭りの空気を、という案は当然あるのですが。現実的にはどこもかしこも余裕がなく……」


 窓際に整えられたテーブルに料理が並べられる間に、アベルはエステルに飲み物をすすめながら寸暇を惜しむように話し始めた。


 ――今晩はこちらにもうお邪魔することもありません。どうぞゆっくりお休みください


 事前にその一言があったおかげで、エステルの動揺もひとまず抑え込まれていた。ひとまず食後にアベルが立ち去ることは確定しており、食事中の会話は仕事に徹してくれるなら、余計なことは考えないようにしようと決める。

 部屋のそこかしこに、いくつもの火が灯され、淡い明るさが辺りに満ちていた。

 二人がついたテーブルは晩餐には小さめで、向かい合うのではなくエステルが窓を正面に、隣の角にアベルが座る位置関係。面と向かわないので、目を合わせないで話ができる。


「もちろん、わかっています。国民感情を考えるとバルテルスに対する遺恨もあって、この結婚を歓迎とばかりはいかないの現状でしょう。王宮内での反発はむしろわかりやすく、国益の観点から理詰めで押せる面もあるかもしれませんが。実際に……悲劇に見舞われた人々は……」


 戦争に行った夫が帰らない、子どもが死んだ。こういった出来事はどちらの国にも民間レベルで蔓延している。

 疲弊した国民は終戦にほっとしているだろうが、だからといって、昨日の敵とすぐさま仲良く付き合えるかはまた別問題だ。


「はい。ただ、そこを気にしてばかりいると、『結婚の約束』だけしたまま数年が経過してしまうという恐れがあったので、今回は諸々の決定を待たず、エステル様には国境を越えて来て頂いたわけですが」


 アベルは言い終えて、パンとスープを手早く口にする。急いでいても品の良さを失わないのは、十二年前の少年のときと変わらない。

 エステルは、なるべくアベルがゆっくりと飲み込めるように、自分は食事の手を止めて話した。


「大々的な婚礼を伴わず、ひとまず足入れ婚のような、ということですよね。私もその点に関しては賛成です。こうして私が平和の証としてこの国に渡ることは、中立国による国際会議の承認も得ているわけですから、関係国も注目していたことでしょう。この上、バルテルスが終戦に際して結んだ約束を反故にすることも無いはずです。その……、最終的にはシュトレームが優勢だったわけでして、なかなか厳しい条件をつきつけたとは聞き及んでいますが。『冷徹王』アベル様が」


 グラスを傾けて、水を飲み干したアベルは落ち着き払った様子で答えた。


「もしお時間があるようでしたら、書類を届けさせますので詳しい内容を確認してみてください。決して不当な条件は押し付けていないことがわかるはずです」

「わかりました。この際、きちんと見させて頂きます。確かに、バルテルスは『敗戦』であったと国民に印象付けないために、シュトレームのアベル王を悪者にしていたように思います。私も実際あなたに会うまでは、噂を気にしていた面もありましたので……」

「会って、その印象は変わりましたか?」


 ちらりと、視線を流される。見られているのを感じつつ、エステルは目を伏せてグラスを傾けて「そうですね」とややそっけなく答えた。


(こういう空気のときのこの方は危険……。話に乗ってはいけない)


 警戒していても、アベルにはその守りをやすやすと突き破られて、心を直接掴まれてしまう感覚がある。心の声が読めるのはエステルの方だというのに、手も足も出ないことがあると思い知ったばかりだ。


 バルテルスにいた頃、アベルに関しては良い噂を聞かなかった。そのことによって、エステル自身、成長したアベルに対していくつもの先入観を持っていた。それは、実際に本人と話してみて「敵国にいたがゆえに悪く誤解していた」と自分自身の認識を改めていた。

 それでも、まだ根強く残っていた誤解もある。その素直な心の声や初心うぶな反応から、「恋には奥手」だと思い込もうとしていたのである。


(甘かった……。頭の良い方で、子どもの頃からひとの心の機微にも敏いところがあったのよ。それが「女性」に応用できないはずがない。やろうと思えばできるんだわ)


 恋の手管の何もなく、恋愛そのものから距離を置いてきたエステルは、どこかでアベルも「自分と同じ」だと思おうとしていた。十歳下ということもあり、自分には距離を置いて接してくれるはずと信じていたというのもある。

 そんなことはなかった。ひとたび恋について語られれば、確実に自分は敵わない。その危機感から、エステルはアベルに甘い空気を漂わせられる前に、さくさくっと話を切り替える。


「どちらの国も、お祝いごとや祭りはここ数年、なかったですよね。結婚式をするにしても、王侯貴族の見栄と白けた空気にならぬよう、国民の皆さんで楽しめる方法を考えましょう。陛下がお許しくださるなら、私も近いうちに城下に出てみたいと思うのですが。バルテルスにいた頃はよく慰問に行っていたんです。病院や養護施設に、お菓子やお花を持って。シュトレームでも同様に、ひとりひとりとお会いする機会をもてれば」


「……あなたの身の安全を思えばお止めしたいところですが……。国民の理解を得る方法としては、城の中にとどまっているよりは、よほど有効だとは思います。護衛をたくさんつけます。行き先は俺が選定しますし、行程も毎回確認します。そこから外れないように行動して頂けるなら、ぜひお願いしたい」


「喜んで。陛下が話の早い方で嬉しいです」


 それからもいくつか会話を交わし、食事を終えるとアベルはすぐに席を立った。

 ドアまで送ろうと、エステルも立ち上がる。


「エステル様、足は……」

「ドアまで送るだけです」


 抱きかかえられてはたまらないと、エステルはアベルを先導するようにドアへと向けて歩き出す。アベルが横に一足で追いつく。並んで歩くのもさほどの距離ではなく、すぐにドアの前にたどりついた。

 アベルがドアに手をかけて、エステルを見下ろしてきた。エステルは、あまり目を見ないように顔を少しだけ上向けて微笑んだ。


「陛下がゆっくり休んでと言ってくださったので、お言葉に甘えて今日は休ませて頂きますね。陛下もお体にお気をつけて、あまり無理をせず。おやすみなさいませ」


 言い終えたところで、背に腕をまわして抱き寄せられ、額に口づけを落とされた。

 目を閉ざしてそれを受け入れるエステルに、アベルが低い声で囁いた。


「山積みの仕事がこれほど面倒だと思ったのは、初めてかもしれません。これ以上迷いが出ないうちにいきます。明日また、あなたと笑いあえますように。おやすみなさい」


 ほんの一瞬、懐かしさを思わせる一言を残して、部屋を去った。




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