2-5 私……どうすればいいでしょうか

 その優雅な雰囲気が漂う雌猫は、俺と目が合うと軽く頭を下げた。

 流れるように波打つ豊かな毛並みは、血統の良さを物語っている。

 猫種はノルウェージャンフォレストキャットだろうか。

 頭上のネームタグには「エザー」と表示されており、ネームドキャラクターであることがわかる。

 どうやら次のクエストの依頼主は、猫のようだ。


 俺がエザーに歩み寄ると、彼女の頭上に映像を表示する水晶球が現れた。

 水晶球を通じて猫とコミュニケーションする能力は、おそらく猫アバターを使っている俺だけのスキルだ。

 俺が顔を近づけて球体を凝視すると、そこにはエザーによく似た猫が凶暴化し、人々を襲っている情景が浮かび上がった。

 その猫の目は赤く光っており、何かにとりつかれているように見える。

 背後には山頂部が王冠のような形をした山が見えるが、おそらくこの場所が次の目的地なのだろう。

 

 俺が眼を遠ざけると水晶球は消失し、エザーは再びお辞儀をした。

 猫の表情はわかりにくいが、深い悲しみが伝わってくるような気がした。

 あの呪われた猫は、彼女の家族か友人、あるいは恋人なのかもしれない。


「呪われた猫が凶暴化し、人を襲っているそうじゃ。ワシは救いに行くが、お主たちはどうする?」

 俺は仲間を見回したが、同意を示さぬ者はいなかった。

 まあ、ここで抜けたらアイドルへの道も閉ざされてしまうので、当然の反応ではあるのだが――。

「ナル、危険な旅になるかもしれんぞ。それでもいいのか?」

 ナルは手の甲を反らせて猫のポーズをとると、壁のほうに向き直って明るく答えた。

「もちろん。猫好きとして放っておけないしね!」

 

 そしてやはり壁の方を向きながら、にゃんにゃんと猫パンチのポーズをとった。

 そっちに誰かいるのかと思って彼女の視線の先を追ったが、規則的な文様が描かれた教会の壁が広がっているだけで誰もいない。

 ――いや。人ではないが、そこには赤いワイヤーフレームで表示された小さなカメラが浮いていた。

 カメラの位置と向きを出演者に伝えるための3Dアイコンだ。

 配信中、どのカメラをアクティブにするかは、AIまたはテレビ局のスタッフが手動で切り替えている。

 プレイヤーの1人称視点を使う場合もあるが、多くの場合、このような浮動カメラが効果的な位置とアングルでゲームの状況を捉え、視聴者へと伝えているのだ。

 そう、ナルはいわゆるカメラ目線で話していたわけだ。

 バラエティ番組なら正解なのだろうが、ゲーム配信ではかなり不自然に見える。

 正直やめてほしいところなのだが、出演者の演技については干渉しないのがリアリティ番組のセオリーだろうし、ただでさえ面倒な仕事なのに、演出にまで関与するはごめんだ。

 

 俺はナルの不自然な振る舞いは気にせず、旅立つことにした。

 ただ、あとひとつ確認しておかなければならないことがある。

「マイラ、ちょっと能力値を表示してくれんかの?」

「え、あ、はい」

 マイラはメインメニューを開くとステイタスのページに切り替え、俺からも見やすいように腰を落としてくれた。

 

 体力   1

 筋力  16

 素早さ 10

 知力  13

 

 うわあ!

 案の定、体力の能力値が異常に低い。

 これじゃ、ザコの1撃で即死してしまうのも無理はない。

 しかも僧侶のくせに、なぜか筋力が異常に強い。


「す、すみません。個性的なキャラクターのほうがいいかなって思って……」

 いくらなんでも個性的すぎるだろ!

 しかし能力値は、キャラクターメイキングの時に決めた値から変えることはできない。

「私……どうすればいいでしょうか」

 彼女はもじもじしながら、すがるような目で俺を見ている。


 ――うーむ。

 パーティにとって回復役は欠かせない存在だ。

 バトルのたびに死んでもらっては困る。

 所持金は2,000RIVしかないが――やむをえないか。


「防具を買って防御力を上げるしかないじゃろう。店に寄るぞ」

 俺は教会から外に出た。

 他の連中も後ろからついてきている。

 このオリゴン村は最小規模の村なので、もちろん商店街などはない。

 何かを買いたければ、村の出口付近にある旅人向けの店だけが頼りだ。

 品揃えは少ないが、武器、防具、道具など、旅に使いそうなものなら何でも扱っているらしい。


「いらっしゃいませ」

 店先に近づくと、店主が声をかけてきた。名前はない。ノーネームのNPCだ。

「僧侶が装備できる防具はあるかな?」

 俺が聞くと、店主はにっこり笑い、店の奥からゴソゴソと2つの防具をもってきた。

「革の鎧(1,500RIV)と、メイド服(1,800RIV)がございます。どちらにいたしましょう?」

 俺は差し出された2つの装備をクリックし、パラメータをチェックした。

 革の鎧は肩、胸、胴、腰、腕を分厚い革で覆う、本格的な形状だ。

 防御力の補正値も大きく、マイラの体力の少なさを補ってくれるだろう。

 本来は僧侶向きの防具ではないのだが、彼女の筋力は15以上なので、問題なく装備することができるのだ。

 いっぽう、メイド服のほうは高額なわりにほとんど防御力が上がらない。――論外だ。


「革の鎧を……」

 俺が言いかけたとき、すごい剣幕でマイラが俺と店主の間に割り込んできた。

「ちょっ、まっ!」

 大きく見開かれたマイラの目は薄汚れた茶色い鎧を凝視している。

 さっきまでの清楚で礼儀正しいはずのキャラクターイメージが吹っ飛んでしまった。


「こ、これはだめです。私は、着ることはできません!」

「な、なぜじゃ?」

 マイラは目を見開いたまましばらく絶句していたが、やがて激しい口調でまくしたてた。

「革は、だめなんです。ええと、動物の革は、教義に反します! 猫神様がお許しになりません!」

「とはいえメイド服では防御力が……」

「大丈夫です!」

 

 ――しばし沈黙。

 1,800RIVもはらって防御力がほとんど上がらないのでは無駄遣いも甚だしいのだが、どうやら彼女は譲歩の意思はまったくないようだった。

 しかたなく、俺はメイド服を購入し、マイラに手渡した。

 ほっと安堵の表情を浮かべたマイラに、チーカが笑いながら声をかけた。


「先輩の気持ちわかるっす! 革の鎧、なんか臭そうすからね!」


 マイラは反射的に俺から目をそらした。

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