ラブちゃんは超人気アイドルだった ①

 023



 ルサンチマンとは、弱者が強者に抱く嫉妬や憤りを表す言葉である。



 そして、その嫉妬から弱者自身を『善』として肯定し、だから強者を『悪』と思い込む価値の転倒こそが悪そのものであると唱えたのが、皆さんご存知、哲学界のアイドルであるニーチェというワケだ。



 要するに、別世界へ救いを求めた時点で弱者となり、逆にこの残酷な世界で生き続ける意志があるだけで人は『超人』になれるというのだ。



 言うまでもなく、これは俺が頑張り屋さんが好きな理由となる根拠である。例え結果が伴わなかったとしても、頑張ったという過程にこそ価値があると感じる由縁とも呼べるだろう。



 しかし、ならば。



 必死な頑張りが、健全なモノでなかった時。この残酷な世界で、他人を引きずり降ろして更に苦しませてやる事に本気で頑張る者がいた時。その標的が、正しく上月虎生その人だった時。



 生きる喜びを、俺の不幸に結びつけようとする輩たちを見て、果たして俺は肯定してやれるだろうか。



「……参ったな」



 便箋に入れられていたのは、俺とコイケンのメンバーがそれぞれ二人きりの瞬間を切り取って写真に収めた代物モノだった。



 画質はやや粗いが、顔ははっきりと分かる。馬乗りになられたり、頭を撫でていたり、手を引かれていたり、辛そうだったり。

 そんな彼女たちの姿を、何だか保護者のような面を浮かべている俺が写っている。



 ……いや、夕との写真では少なくとも無表情だが。



 更に、加えられていた手紙には『テメーヲコロス』の文字。読んだ瞬間、どこからか生卵が飛んできて俺の制服をビチャリと汚した。



「うわ、マジかよ」



 周囲を見ても、登校中の生徒たちが多くて犯人の特定は不可能だとすぐに悟る。

 俺の背中を見て、何があったのかと気になったヤジウマが何人か集まってきたが、俺は適当に誤魔化してその場から離れることしか出来なかった。



 もしも、今の生卵がもっと危ない、例えば野球の硬球だったとしたらどうだろう。それなりに力のある奴が投げれば、殺されはせずとも俺の細腕は折れていたかもしれない。



 急速的に、脅しの言葉が現実味を帯びていく。俺は、正体の分かりきった暗闇に恐怖を感じていた。



「……そんなにムカつくなら、入部すりゃいいじゃねぇか」



 悪態をつきながら、ベットリと付着した黄身を落とす。まぁ、衣替えの直前という事もあるし、とっととクリーニングに出せばそこまで酷い事にはならないだろう。



 そんなふうに思っていると、ホームルームを開始するチャイムが鳴ってしまった。せっかく、一年生の頃から皆勤賞を貫いていたのに。つまらない事で逃してしまったな。



「ちょ、ちょっといいかな」



 ネクタイを外して腕捲くりをし、どうせなら一限目もサボってしまおうかと思っていると、オドオドとした様子の男子が俺に声をかけてきた。



 ビックリするくらい、普通の男子だ。ネクタイの色は俺と同じ、どうやら二年生らしい。



「なに?」

「……ごめん、もう俺じゃ止められなかったんだ」



 その言葉を聞いて、俺は彼が何者なのかを悟った。申し訳無さそうに瞳を伏せて俯く姿が、何より彼の正体を証明しているだろう。



「君は、図書室で俺にメッセージを投げてきた奴だな」

「……あぁ。少し、話をさせてもらってもいいかな」



 彼の話はこうだ。



 四葉ラブリのファンクラブ会員たちが『虎退治』と称した作戦の為の決起集会を開いたのは、俺が謹慎していた三日の間の事。



 それまでは、大した事のない冴えない男が彼女たちの遊び相手になっているだけという認識だったのだが。しかし、大学生を四対一でノックアウトしたという噂が広がって事態は急変。



 俺は、第八学園でも指折りな人気者の彼女たちを手籠にして、四股をかけた上にその関係を当たり前だと認識させる洗脳まで行っているのだと噂が流れ始めたのだそうだ。



「そんなバカな。胡座をかいたまま宙に浮く教祖でもあるまいし。大体、俺はボッコボコにされて熱まで出て、やっつけたのは一人だけだぞ」



 おまけに、相手は酔っ払いだった。



「重要なのはそこじゃない。現実はどうあれ、君が女の子たちを騙す男に値する実績を持ってしまった事が問題なんだ。事実の火種さえあれば、後は幾らでも大きく出来るから」



 なるほど。



 完全な嘘ではなく誇張というワケだ。チクショウ、マルチの勧誘と同じことをしてるんじゃないぞ。普通の人間は、別に食えるからって洗剤なんて食わない。



「結果、デカくなった噂とやらのせいで十束や星雲をよく思っている連中にも目をつけられたって事か」

「その通り」



 この2日間、立て続けに起きた青春らしきイベントを盗撮したラブの過激派なファンにより、それまで注目もしていなかった生徒たちの間にも俺の悪評が露見。



 立て続けの証拠写真と決定的な喧嘩の事実を取り沙汰されて巨悪認定をくらい、めでたく祭り上げられた俺は第八学園の悪者になってしまったのだ。



 故に、上月虎生には制裁を加えるべきである。むしろ、それこそが正しき行いであり、洗脳されている彼女たちの為にも必ず成し遂げなければならない正義というワケだ。



 終わってる、笑いしかでねーや。

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