星の子は憧れている ①

 006



 プラトニック・ラブという言葉があるように、体ではなく魂を愛するという恋愛様式を深く研究した最初の学者は哲学者のプラトンである。



 肉体的な欲求を離れて精神的に恋人を深く愛する事こそが真実の愛であり、例え愛しあう男女であっても結婚まで純潔を保つのが正しいのだそうだ。



 しかし、どうやら当の本人であるプラトンはちっともプラトニックではなかったらしい。



 当時は少年愛が一般的で、その例に漏れずプラトンもしっかりと美少年を選んで抱いている。美しい少年を選んでいるということは、彼は間違いなく面食いだったということだ。



 完全に肉体的に愛してるじゃねーか。



 というツッコミは最もだが、実はプラトン自身は外見の美を否定しておらず、むしろ『どっちも磨いてこそ恋愛だよね』的な意見を偉大な言葉で紡いでいる。



 つまり、この言葉は存在からして間違っている。一途で汚れのない事こそが美しい恋愛という正しさは、プラトンよりも後に生まれた価値観という事だ。



 ならば、その正体は何か。



 それは、禁欲を美徳とする事で非モテ童貞と処女の弱さを正当化する優しい嘘。

 恋愛弱者を救済するために生み出された『言い訳』こそがプラトニック・ラブなのだ。



「そんな事考えてたら、もし彼女が出来たときに後悔するんじゃないかな」

「大丈夫。その瞬間、俺は恋愛強者にジョブチェンジするから通用しない」

「相変わらず、トラの哲学は柔軟だね」

「何なら、明日にはまた違う形をしてるハズだ」

「ふふ、本当にアホなんだから」



 それは、四月も後半。天候は天晴、気持ちのいい昼休みのことだった。



 下らない話を織り交ぜながら、ゴールデンウィークにどこへ遊びに行こうかと夕と作戦会議をしていると突然スマホがブブブと振動した。



「四葉さん?」

「あぁ、『部員集めのアイデアをちょうだい♡』だってさ」

「そういえばそんな時期だね。このままじゃ、文芸部も部屋を追い出される事になりそうだよ」



 切羽が入部してから二週間ほど経過したが、未だに別の部員は加入していない。



 誰かが部室に訪れれば間違いなくラブが引き込めるのだが、第八学園のギアナ高地とも呼べる秘境に位置するコイケンの部室に偶然現れるような生徒は、マンモス高校といえども俺と切羽だけのようだった。



「四葉さんのファンや十束さんの門下生なんかを部員にすればいいんじゃない?」

「提案したら、断られた。あいつの考えることはよく分からん」



 そんな会話をして、そろそろ落ち着いたであろう購買部へ昼飯を買いに行った。ジャンケンで負けてしまったから、今日のパシリは俺の役目だ。



「……ん」



 それは、よくある光景だった。転んでしまったのか、一人の女子生徒が慌てながら床に散らばる文房具を一つ一つ集めいていたのだ。



 しかし、場所が悪い。ここが校舎の廊下なら誰かしら協力してくれただろうに、よりによって落ち着いた後の渡り廊下でやらかすとは彼女もついてない。



「どうぞ」



 足元に転がっていた蛍光ペンと消しゴムを手渡すと、膝をついていた彼女は俺を見上げて眼鏡を直した。髪に隠れたリボンの色を見るに、どうやら一年生の後輩らしい。



「この辺、塗装が剥げてて引っ掛かるから余所見しない方がいいよ」



 言って、更に二つペンを手渡すと彼女は顔を真っ赤にしながら深々とお辞儀をし、逃げるように反対側へ走っていった。



 そして、俺は買い物を済ませ時間節約のために走って教室へ。今日はパン食だ。



「ただいま。コロッケパンと牛乳、サンドイッチは一パックしかなかったから一切れずつ分けようぜ。300円」

「サンキュ、ほい」



 パンを食いながら、後輩の原稿を校正する夕を眺めて部員の件を考える。あと二人、今日までのペースを考えれば途方もない人数だ。



 まぁ、ぶっちゃけ必要なのってフリップとマジックだけだし。やろうと思えばどこの空き教室でもいいんだから問題なんてないんだろうけどさ。



 そう考えた時、突如として教室に学内放送を告げるチャイムが響いた。驚くくらいの萌声だ。



「に、2年C組、上月虎生さん。至急、体育館倉庫前までお願いします。繰り返します――」

「へぇ、トラが呼ばれるなんて珍しいね。おまけに、体育館倉庫の前なんて聞いたことないよ」

「多分、現場検証だ。この前もタバコの吸い殻と一緒に俺の名前が入ったペンが落ちていて、その場所へ先生に呼び出された」

「……例の嫌がらせ?」



 最近、ラブが人目を憚らずに俺に絡むせいで過激なファン連中から制裁をくらっている。

 もちろん、この事実を知っているのは夕だけ。下手に事を大きくして切羽の耳に入ったら、正義マンのあいつが何をしでかすか分かったモノではない。



 何せ、無刀で大岩を斬り裂く女だ。その辺の男子生徒なんて、チリも残らないくらい斬り刻まれるに決まっている。



 ……別に、バカ共を庇ってるってワケじゃない。ただ、こんな嫌がらせをする奴の気持ちが、俺にはよく分かるってだけ。



「行ってくるよ、サンドイッチの残りはやる」

「本当? 嬉しいな、お腹減ってたんだ」

「その代わり、明日のパシリはやってくれよな」

「それはダメだよ、ちゃんとジャンケンで決めないとね」

「ちぇ」



 そして、俺は先生を待たせないために走って目的地へ向かった。



「……あれ」



 誘われるままに体育館倉庫前に辿り着いたが、そこには誰も待っていなかった。嫌がらせの後始末かと思ったが、もしかするとあの放送自体が嫌がらせだったのかもしれない。



 なるほど。



 確かに、過激派が男だけとは限らない。あの声の持ち主こそがラブのファンであり、俺はまんまと貴重なランチタイムを盗まれてしまったというワケだ。



 やるじゃないか、時間泥棒め。

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