第3話 トレーニング開始

 トレーニング場へ戻って来た俺は、桶に入ったバナナを剥いてディアドラに食べさせてやる。

 何本か食べて満足したのか、ディアドラはじっと俺を見てきた。


「の、乗せてくれるのか?」

「いいってさ」


 横でそう言うスピララを見て、俺はディアドラの背に跨る。


「お、おお」


 乗ってもディアドラは暴れない。

 約束通り俺を乗せてくれたようだ。


「よし、それじゃあトレーニングを始めるか」


 競走馬だった前世の記憶を生かせば効率的なトレーニングができるはず。

 まずはディアドラの脚質を見極めることから始めよう。


 ようやく騎乗することができた俺は、軽くディアドラを走らせてみる。


「うん?」


 それにスピララもついて来る。


「一緒にトレーニングしたいのか?」

「ちがーう。マナリークが落っこちたらざこざこ言ってあげるためについて行ってるだけだよー。きゃはは」


 そう言って走る姿は、しかしなかなかさまになっている。


「もう落馬してトレーニングが中断なんてことにはならないからな。途中でへばっても置いて行くぞ」

「ざこのマナリークなのに生意気。スピララはへばったりしないもんねー」

「よーし。じゃあがんばれよ」


 手綱を握ってディアドラを加速させる。

 それにスピララもついて来た。


 ……それからしばらくディアドラを走らせて、脚質がだんだんわかってくる。


 ディアドラは出足が早い。

 スタートから前へ行きたがるタイプだ。スタミナをもっとつければ、始めから終わりまで先頭を維持できるすごい馬になるかもしれない。


 大柄な体格でパワーもある。

 囲まれたとしてもそれを押しのけて前へ行けるはずだ。


 とりあえずは直近の大会に向けて身体を作ろう。

 素質はあっても、トレーニング不足では本領を発揮できない。


 方針が決めた俺はディアドラのトレーニングを本格的に始める。

 やがて夕方になり、疲れ切った様子のディアドラを厩舎へ戻した。


「今日はよくがんばってくれたな」


 夕飯のニンジンをボリボリ食べるディアドラに礼を言う。


「また明日も……うん?」


 服を引っ張られて振り返ると、そこにはスピララがいた。


「ざこのマナリークがちゃんとおにいちゃんに乗れてたかスピララが確かめてあげてもいいよ」

「確かめるって?」

「鈍いんだから。背中に乗せてあげるって言ってるの」

「えっ? でもお前だって一緒に走ってて疲れてるんじゃ……」

「あれくらいたしたことないし」


 と言ってスピララは厩舎内をぐるぐる回り出す。


「う、うん。じゃあちょっとだけね」

「誰も乗せたことないんだから、ありがたく乗ってよね

「うん」」


 スピララに跨った俺は外のトレーニング場へ出て少し走らせてみる。


「どうだ? ちゃんと乗れてるか?」

「まあまあじゃない? ざこざこマナリークにしては」

「それはどうも」


 しかし昼間にあれだけ走ってたのに元気な奴だ。


 昼間にディアドラでやっていたトレーニングを少しやってみる。


 兄のディアドラと違ってスタート時の出足は遅いか。

 しかし途中から足が乗ってくるのか、走らせ続けているとじょじょに加速してくるような感じだった。


 スタミナもあるようで、長い距離でも疲れ知らずで走れるかもしれない。

 もしかすればディアドラよりも競馬の才能があるかも。


 そんなことを考えつつ、夜になったのでスピララを厩舎へ戻す。

 夜の世話はカシュノア家で雇っている厩務員に頼み、俺は屋敷へと帰った。


 ……その夜に迎えた食事の席。

 食堂で家族が揃って食卓を囲む中、父親と母親が話すことは弟であるカルナタのことばかりで、俺は蚊帳の外であった。


「今度のレースはいつだカルナタ?」

「3日後ですね」

「そうか。では仕事を休んで見に行くか。はははっ。お前が優秀な騎手でわしは鼻が高いよ。他の貴族たちからはお前のような息子がいて羨ましいと言われてな」

「いえ、僕なんてまだまだ。もっと騎乗の上手な方はたくさんおられますよ」


 謙遜を口にするが、本心ではそんなことを思っていない。

 こいつは少なくともこの国では自分がもっとも優秀な騎手だと驕っている。


 両親の前だからと謙虚なふりをして。

 俺の前ではこんなことは絶対に言わないくせに。


「ふふふ、カルナタは謙虚ですわね。けれどみんなあなたが一番だとおっしゃっていますわ。半年後のオランデムス記念でもきっとあなたが優勝だと」

「おお、そうだ。オランデムス記念で優勝をすればミサルナ姫と婚約ができるのだ。つまり将来は我々カシュノア家が国王の親戚になるわけだ。わっはっは」


 上機嫌に笑う父親。

 すでに国王の親戚になることは決まっているような口ぶりだ。


「マナリーク、お前も喜んだらどうだ? 弟のおかげで落ちこぼれのお前でも国王の親戚となれるのだぞ?」

「はあ。しかしまだ気が早いでしょう。まだオランデムス記念で優勝できたわけでもありませんのに」

「お前は……弟のことを信用できんのか? 乗馬すらできんくせに弟を信じてやることもできんとは、呆れてものも言えんな」

「まあまあ父上。兄上の言うことももっともです。僕が優勝できるとは限りませんから」


 カルナタはいかにもできた弟のような表情で俺を見つめる。


 猫を被って。

 本当に嫌な奴だ。


「おいおいお前がそんなに弱気でどうする? お前は絶対に優勝できる。そして我がカシュノア家を国王の親戚とするのだぞ?」

「わかっております。もちろん優勝をする気ですから」


 そう言って嘲るような視線を俺へ向けてくるカルナタ。


 そんな目ができるのも今だけだ。

 半年後には2度と俺をそんな目では見させない。


「失礼します」


 こんな不愉快にしかならない場所にはいたくない。


 席を立った俺は食堂の扉へと歩く。


「まったくあの子は、いくら自分のほうが劣っていて悔しいからって、少しくらいカルナタに激励の言葉でもかけてあげればよろしいのに」

「放っておけ。できた弟に嫉妬しているんだろう。みっともない奴だ」

「……」


 両親から蔑みの言葉を浴びながら俺は食堂を出て行く。

 それから屋敷の外へ出て、厩舎へとやって来る。


「おやマナリーク様、どうされましたか?」


 不思議そうに厩務員から声をかけられる。


「いや、今夜は厩舎に泊めてもらおうかと思ってな」

「こ、ここでお休みになられるのですか? しかしご貴族様がこんなところでお休みになられるのは……」

「平気だ」


 困惑した表情の厩務員に背を向けて俺はスピララのいる馬房へ向かう。


「スピララ……はもう寝てるか」


 寝藁の上で気持ち良さそうにスピララは寝息を立てている。

 その隣に俺は身体を横たえた。


 なんだか妙に落ち着く。

 競走馬だった前世の記憶がそう思わせるのだろう。


「カルナタが出場するのは3日後のレースか」


 3日後ではディアドラのトレーニングが間に合わない。

 それに、あいつを負かすならオランデムス記念がいい。それまではカルナタとは別のレースに出場してオランデムス記念の出場権を獲得しよう。


「けど、本当に俺がオランデムス記念に出られるかな……」


 レースでの勝利経験も無い。

 そんな俺が国内で最高の馬と騎手を決める大会に優勝どころか、出場すらできるのだろうか?


 親や兄弟、他のみんなに落ちこぼれと言われている俺なんかが……。


 弱気に心を蝕まれる俺の横でスピララがもぞりと動く。


「……あれ? マナリーク?」

「うん? ああごめん。起こしちゃったな」

「なに? 寂しくてスピララのところへ来ちゃったの?」

「ま、まあそんなとこ」

「ほんとにざこなんだから。さ、寒いならもう少しこっちへ来てもいいけど?」

「うん」


 もふもふと暖かいスピララの首元へと身を寄せる。


「スピララはやさしいな」

「や、やさしくなんてないしっ。スピララも寒いからちょーどいいだけだからっ」

「そうか」


 両親や兄弟をやさしいと思ったことはない。

 しかし血縁も無く、人ですら無いスピララのことはやさしいと思えた。


「なにか辛い目にあった?」

「まあね」

「ふーん。どうせざこざこマナリークのことだからちょっとしたことでくよくよしてるんだろうね。スピララに話してよ。いっぱいざこって言ってあげるから」

「えっ? ああ。まあいいけど」


 ざこと言われたいわけじゃないけど、誰かに聞いてほしい心地でもあったので、俺は今のつらい気持ちをスピララへ話す。


「ざこだね」


 ばっさりと言われてしまう。


「そんなことでくよくよするなんて情けないんだから。ほんとざこざこ」

「う、うん」

「それで、どうするの?」

「どうするって?」

「親とか他の人間に言われて、ずっとレースで勝てないままざこざこくよくよマナリークのままでいるのか聞いてるの」

「そ、そんなことはないよ。絶対にレースで勝って見返してやるさ」


 半年後に行われるオランデムス記念に優勝すれば誰もが俺を称える。そして両親と弟を見返してやるんだ。


「ざこざこのマナリークにできるかなぁ?」

「できるさ」

「じゃあ見ててあげる。できなかったらいっぱいざこって言ってやるんだからね」

「ああ」


 スピララの言葉に、親から与えられた不愉快な気持ちが晴らされたようだ。


「ありがとう。なんか元気が出たよ」

「ふん。マナリークはスピララがいないとほんとざこざこのだめだめだね。スピララがいなくなったらずーっとざこのままなんじゃない?」

「ははは。そうかもな。けど、スピララはずっと一緒にいてくれるだろう?」

「それは無理」


 と、スピララははっきり言い放つ。


「スピララは馬だから人よりも早く死んじゃうの。マナリークとずっと一緒にはいられないよ」

「そ、それは……」

「もう寝たら? スピララはもう寝るからね」

「あ、う、うん。じゃあお休み」


 目を瞑るスピララの頭を撫でる。


 馬は人よりも早く死んじゃう。


 そう言ったスピララに俺はなんと言ってやればいいかわからなかった。


「……人間に生まれてきたかったな」

「えっ?」


 それは寝言だったのか。

 寝息を立てるスピララからそんな寂しげな声が聞こえた。

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