第7話 その後の物語 ①

 結局、美和子が引き取ってもらった記憶は、整形の記憶でも健太郎の記憶でも無かった。そもそも、美和子が整形中毒にハマった元凶の記憶。


 睨んでいるように見えるとか根暗だとか。不細工だとか可哀そうとか。

 陰で囁かれていた悪口の数々だった。


 陰口と言うのは、本人がいないところで言うもの。それにも拘らず、不思議と本人の元へと伝わって来てしまう。言った人は罪の意識も低く、とっくに忘れている記憶だろう。だが、言われた本人はずっとその記憶に心を抉られ続けてしまう。


「こんな風に言われなければ、そもそも整形なんてしなかったと思うんです。だから……この記憶を引き取ってください。よろしくお願いします!」


「わかりました。承ります」



 桃色の光が映し出したのは、そんな悪口と泣いて泣いて泣き明かした美和子の涙の記憶だった。


 だから、今も美和子は、自分が整形していること、健太郎に愛されて、健太郎を傷つけたことをちゃんと覚えている。その記憶と向き合いながら生きているのだった———  




 一方の健太郎。美和子との恋の記憶はもうない。あの時引き取ってもらったから、今は水色の風鈴の中にある。



 ぐっすりと良く寝た……


 目覚めた時、健太郎はそう思った。見回せばいつもの自分の部屋、見慣れた天井。


 今日はいつ? 今何時?


 携帯を開けば日曜日の正午。


 うお! 寝過ごした!


 荒れ放題に荒れた自室を見てげんなりする。


 我ながらひでえな。ここのところ忙しかったからな。

 いや、それだけじゃ無くて、なんか嫌なこといっぱいあったからだった。

 でも、なんだったっけ?


 上手く思い出せないけれど、今日の目覚めは悪く無い。


 ま、いっか。


 慌てて起き上がると支度を始めた。前から見たいと思っていた映画を思い切って見に行こうと覚悟を決めた。

 この冬一番泣ける恋愛映画という触れ込みだったから、本当は彼女ができてから一緒に見に行こうと思っていた。一種の願掛けのようなものだ。それなのに、もう春の声も届いたこの時期になっても、一向にできる気配が無い。


 公開終わっちゃうよ。


 はあぁ~


 盛大にため息をついた。


 きっと周りはカップルだらけ。ネットで配信されるまで待とうと思っていたのだが、なぜか今日は見に行きたくて仕方が無い。


 くそっ!

 こうなったらヤケだ。年齢イコール彼女いない歴の男の底力、見せてやる!

 魔王のように、周りのカップルを圧倒してやるからな!

 

 ポップコーンとコーラを持って指定の席へ。手前の席の人々へ謝りながら奥の席へ向かうと、隣の席の女性が驚いたように目を見張り息を飲むのが聞こえた。


「……けんちゃん……なんで、ここに……」

「?」


 俺の名前を知っているのかな? それともたまたま『けん』とつく名前の人と間違えているのかな?

 綺麗な女性だな。一人で来ているみたい? だよな。


 わけもわからず会釈だけして、自分の席に着いた。


 

 運命のなせる業は、時に残酷だ———




 隣に健太郎が座ったこと。自分の顔を見ても何の反応も示さなかったこと。

 そのどちらも、美和子にとって衝撃的だった。


 一体何がどうなっているのだろう?


 気づかないフリをしているの? 

 それとも、本当に気付かなかっただけ?


 逃げ出そうとしたが、暗転してしまったので身動きが取れなくなる。


 暗闇の中で、ちらちらと健太郎を盗み見ては途方にくれた。

 だが、彼が意地悪で美和子を無視するような、そんな人で無いことは、美和子自身が一番わかっている。


 つまりは、そう言うことなのね……


 彼はショックのあまり記憶喪失のようになっているに違いないわ。 

 私はそれほど、彼を傷つけたんだ———

 


 申し訳なさでいっぱいになって、涙が溢れて止まらなくなってしまった。




 映画に集中するフリをしながらも、健太郎は隣の女性のことが気になって仕方が無かった。


 なんで俺を見てあんなに驚いた顔をしたんだろう?

 古い知り合いかなにかだったのかな?


 思い出そうとしても靄が掛かったように何も思い出せない。


 そのうち、彼女はぽろぽろと泣き出した。


 この冬一番泣ける恋愛映画って触れ込みだったからな。確かに泣けるシーンはいっぱいあるけれど……こんなになるほど泣ける映画かな?


 途中からは映画よりも彼女のほうばかり気にしていた。


 映画を見て泣いていると言うよりは……なんか泣きたくなるような悲しいことがあったみたいだな。

 

「大丈夫ですか?」


 場内が明るくなったのと同時に、思わず声を掛けていた。


「大丈夫です。ごめんなさい」


 慌てて立ち去ろうとした女性。


「あの、なんか悲しいことがあったんですか? 俺で良ければ話くらいは聞きますよ」


 こんな大胆な俺、初めてだ!


 健太郎は自分で自分の言動に驚きながらも、彼女に声を掛けずにはいられなかった。なんとなく、懐かしい思いが沸き上がって仕方が無かったから。


 彼女と話してみたい……




 フリ……じゃない……

 本当に、私のこと覚えていないんだ!


 健太郎の屈託の無い笑顔を見て、美和子は再び頽れるように椅子に腰を下ろした。


 どうしてこんな……神様の意地悪!



 健太郎と別れてから、美和子はずっと後悔と罪悪感に押しつぶされそうになっていた。それはそのまま自分への攻撃となる。


 私は罪人。被害者ヅラしたらダメ。

 そう想うと泣く事すらもできなくて、びゅーびゅーと吹きすさぶ自己嫌悪の嵐の中で呆然と佇んでいたのだった。


 でも……この間の夜は夢の中で泣いていた。


 そうしたら少しだけ、周りの目が怖くなくなったのだ。


 そして気づく。


 今まで周りの目を気にしすぎていた事に。


 私は一体、誰のために綺麗になろうとしていたんだろう?

 自分の為に綺麗になった。それのどこが悪いの。自分で稼いだお金で綺麗になっただけよ。


 あの時に、こう考えることができていたら、ちゃんと真実を話して、健太郎の判断を仰ぐことができたはず。それなのに、自分の傷を隠すことに必死で、彼を傷つけてしまったのだ。


 傷は傷を呼ぶ。

 その負の連鎖を、どうやったら断ち切ることができるのかしら?


 美和子は必死で考えて、ようやく一つの考えに辿り着いた。


 後悔に押しつぶされて、自分で自分を責め続けていたって何の役にもたたない。

 次に出会う人に、同じ過ちを繰り返さないようにするためには、自分で自分の罪を許す事も必要なんだわ。


 それは決して、甘い考えとかご都合主義とかじゃ無くて。

 

 人は皆、自分がされたこと、自分が思っていること、その範囲でしか他人を推し量ることはできないから。


 自分で自分を赦すことができなければ、他人を赦すことも簡単では無くなってしまう……そう思ったからだった。


 だから今日は周りの目を気にしないで思いっきり泣こう。

 自分で自分のために泣こう!

 そう思って、泣ける映画を見に来たのに。


 健太郎さんに会ってしまった。



 そして、彼は記憶を失っていた―――



 罪の大きさを、再確認させられる。


 もう……どうしらたいいのか……わからない。


 


 

 



 

 




 

 



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