第5話 美和子の風鈴 ②
待ち合わせの場所は、家の近くの小さな鳥居の前だった。
こんなところに、こんなものがあるなんて知らなかったわ……
名も無き小さな祠と鳥居があるだけだったが、近隣の住人が綺麗に手入れをしているようで、お供え物が絶えることは無いようだった。
みんなから大切にされているのね。
美和子は思わず手を合わせた。今までそんな信心を持ったことなど無かったが、今回ばかりは藁にもすがる思いだったから。
背後に人の気配を感じて振り向く。微笑んでいるのは、歴史小説から抜け出てきたような出で立ちの美しい女性。この世の者ならざる雰囲気を感じて、これは本物だと嬉しくなった。
この女性だったら、本当に私を救ってくれそうな気がする。
「お待たせしました」
「いえ、大丈夫です。今来たばかりで」
「そうでしたか。良かったです」
艶やかに微笑んだ女性が自己紹介をしながら手を差し伸べてきた。
「私が惟楽です。ちょっと静かなところへ移動しましょう」
美和子の手を取った瞬間、辺りの風景が一変した。瀟洒な洋館の一室。目の前には天井まで届くような白い窓があって、外に向けて少しだけ開いている。
「ここは……」
花の香りを感じて、美和子は久しぶりに思いっきり息を吸った。
ああ、美味しい。
「外に出てみますか?」
惟楽が声を掛けてくれた。白い窓の先には、二人がちょうど立ち並べるくらいの白いベランダ。恐る恐る足を踏み出してみれば、涼やかな風に包まれた。
見下ろすとバラ園。川が近くにあるらしく水音も聞こえる。鳥のさえずりが空を駆け巡っている。
「綺麗なところですね」
「ええ、私も気に入っているんです。気持ちが穏やかになるでしょう」
「はい」
横へそっと立ち並んだ惟楽にちらりと視線をやって、美和子は悲し気な表情になった。
「私もあなたくらい綺麗だったら、整形なんてしなくて良かったのに」
羨望と後悔の入り混じった言葉。
「美醜は時代によって変わっていきますし、生き物によって違います。でも、異性を惹きつけ交尾し、子孫を残すためというのが共通目的なのは変わりありませんね」
「美しくなければ子をなしてはいけないってことですね」
「そうではありません。何を持って美しいとするかは、生物によって違うと言うことです。そして……」
惟楽がその細い指先を美和子の顎に添えた。優しい眼差しがくしゃりと弧を描き、丁寧な言葉で真意を語り解す。
「人間が思う美醜は、実は人の存続にはあまり意味を持っていません。子孫繁栄を望むのであれば、この自然の中でいかにたくましく生き抜いていかれるかが大切なはずです。尽きない体力とか、創意工夫の知力とか。ね?」
そう言って同意を求めるように微笑んだ。
「大きな瞳も、真っ直ぐな鼻筋も、ふっくらとした唇も、生き残りには必要不可欠ではありません。そんな遺伝子を繋ぐ必要なんて無いんですよ、本来は。でも、人はなぜかそれに執着している。不思議です」
「それは、あなたがそんなに美しいから言えることよ。美しいから蔑まれることも無い。自分で自分に劣等感を張り付けて、自分で自分を陥れる必要も無い。私の気持ちなんてわからないでしょうね」
こんなことを言うのは筋違いだと分っていても、美和子をふつふつと沸き上がる怒りを抑えることができなかった。
みんな私を馬鹿にする。愚かな女と心の底では思っている。
そして一番我慢がならないのは、そんな自分を自分で蔑んでいることだ。
「最低……」
惟楽へ向けていた怒りを、自分に向け返して途方にくれる。
その時、ふわっと体が包まれた。
「あなたの整形に関する記憶。全て消し去ってあげます。だからもう、心配しないで。あなたはあなたとして生きていけばいいのですよ」
柔らかな惟楽の体の温もりを感じて、思わず目を閉じる。
私、やっと自由になれる……
そう思った瞬間、健太郎の顔が脳裏を霞めた。
自分が傷つけてしまった男。彼は、私のことをちゃんと見てくれていたのに。顔じゃなくて心を大切にしてくれた優しい人だったのに。本当のことを話す勇気がどうしても持てなかった。後ろめたい気持ちを隠すことばかり考えていた。
私、なんてくだらない人間なんだろう。
美醜に拘り、本当の意味で自分を磨くことをしていなかった。そんな私のことを愛してくれた
自分の不幸ばかり嘆いていて、彼の傷を思いやることもしなかった。
やっぱり、私って最低!
身もだえすると惟楽の手から逃れた。
「どうしたんですか?」
驚く様子も見せずに淡々と尋ねる惟楽。
「どうしよう……取り返しのつかないことをしてしまったわ」
「何が取り返しがつかないんですか?」
「健太郎を傷つけてしまったの」
「恋人ですか?」
「恋人……だった男性。私、整形のことを言いたくなくて、わざと彼を傷つけるような言葉ばかり投げつけて別れてしまったの」
「まだ好きなんですね。その方のこと」
その言葉に、大きく目を見張った美和子。
「私……まだ、好きなの?」
自分で自分に問いかけるようにそう口に出した。
「ええ……好きよ。私、まだ彼のこと好き。忘れられるわけが無いわ。だって、私のこと、ちゃんとわかってくれたの彼だけだったんですもの。彼だけが、本当の私に気づいてくれたのに。引っ込み事案で心配症な私の悩みにも、嫌な顔ひとつせずに付き合って慰めて助けてくれたのに……自分で壊しちゃった。自分の居場所」
そう言って、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「ちゃんと謝って、真実を話して仲直りしたらいいんじゃないですか?」
「そんなこと、今更できるわけないでしょう!」
「どうして?」
真っ直ぐに見つめる惟楽へ、叫ぶように言った。
「どうして? 当たり前でしょ。私は彼を傷つけたのよ。深くて鋭利な刃物を彼の心に突き立てたの。許されるわけがないでしょう?」
「それはわからないでしょう。やってみなければ」
「やってみて、やっぱりダメだったらどうするの? もっと深く傷つくわ」
「誰が?」
ぎょっとしたように美和子は息を止めた。
誰が傷つくの? そんなの健太郎さんに決まっているでしょ。これ以上何か言ったら、彼を悩ませることになる。優しい健太郎さんのことだもの。私を赦したく無くても赦さないと可哀そうとか思って、どう接したら良いかわからなくなって苦しむわ。
……違うわ。
私が怖いだけ。誠心誠意謝っても彼が許してくれなかったら?
そう思うと怖くて謝ることもできないの。
傷つくのが怖いのよ。
がっくりとその場に跪くと泣き出した。
「そうよ。私が傷つきたくないだけ。彼を傷つけておきながら、未だに私は自分のことしか考えられないような自己中な女なのよ!」
惟楽が手を差し伸べて、美和子をテーブル席へと誘ってくれた。
温かい飲み物も勧められて泣きながら一口。ふわりと口の中に広がる草花の香りに優しい甘み。少しだけ落ち着きを取り戻して、美和子は涙を拭った。
「ごめんなさい。みっともないところを見せちゃって」
「いいえ。構わないですよ。私のほうこそ、厳しい言葉をかけてしまいました。ごめんなさいね。でも、あなたの本音が知りたかったんです。記憶を引き受けると言うことは、その後の人生が変わるかもしれないと言うこと。良く考えてからにしてほしいから」
その言葉に、深く頷いた美和子。
「やっぱり……整形の記憶は手放すのを止めようと思います」
そう言って、惟楽の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。
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