第32話:相棒

 僕のプレゼンについて、保留のまま時間が過ぎた。

 久嬉代さんは輝一さん次第で、その輝一さんからは答えがない。

 このみさんは基本的に賛成のようだけど、海太くんの拒否反応を見ては何も言えないようだ。


 状況の変わらないまま、金曜日を迎えた。山のてっぺんのお宮を掃除する日で、海太くんが活喜ファームに居る最終日。

 また長期の休みが取れれば来るそうだが、「たぶん栗の出荷じゃろ」と言っていた。


 朝の収穫が終わったところで、その彼と僕とが輝一さんに呼ばれた。JAに出す分だけだったので、ほとんど疲れた感覚もない。


「譲くんの言いよったはなしゃあ、あっちこっち聞いてみよるけえなあ」

「あっ、はい、いえ。慌てても、ええことないんで」


 明確な返答をしないまま、立ち消えにするような人でない。だから催促をしたつもりもなかったが、そう見えただろうか。

 謝ろうと思うと、どうやら続きがあるらしい。


「ほいで、そのついでに聞いたんじゃけどなあ。そこの尾根ぇあるじゃろ」


 今日の掃除は活喜ファームの北の山だけれど、輝一さんが指したのは西の方向だ。見上げてみれば、尾根と言うだけあって繋がってはいる。


「親子連れの熊が、向こうの里の近くまで下りとるらしいわ」

「えっ、じゃあ掃除は中止いうことです?」


 母屋の裏の倉庫へ視線を投げた。掃除の道具を出してくれと輝一さんが頼んだのだ、久嬉代さんとこのみさんに。

 なんで久嬉代さんに? と思っていたが、どうやらこのみさんを遠ざけたのが本来だ。


「いやいや。山に熊はって当たり前じゃけえな、その親子だけでもなあし。まあ低いとこで見た言うんなら、腹ぁ空かせとるんかもしれんが」


 それならやはり危ない。硬くなる僕に、輝一さんはまた「いやいや」と手を振る。


「距離ぃ見てみぃ」


 あの尾根と最初に示したところから、輝一さんの太い指がさあっと水平に動く。

 およそ九十度、その通りに尾根を歩けば、一キロ以上があるだろう。熊の目撃は山を下りたところで、さらに距離が伸びる。


「餌でも吊り下げて呼びゃあ別じゃが、わざわざ来るほど熊どんも暇じゃなあわ。じゃけえ要らん心配はせんでええけど」

「けど?」

「要らん話が耳ぃ入らんようにせえ、言うことですね」


 輝一さんが息を継ぎ、僕が問う。受けてすぐさま、海太くんが答えを言った。

 そこまで聞いてようやく、集まる土地の人の雑談に気を配れという意図を理解した。


 それからキャベツの軸の味噌汁で朝食を食べ、地域の人たちが集まるのを待った。午前九時が目安らしいが、総勢十一人が揃って出発したのは九時半過ぎだ。

 小さな熊手や鎌などは、取りあえず僕が受け取って運ぶ。なかなかに重いが、頑張るのは愛車のバーディーだから大丈夫。


「バイクぅあると便利よなあ」


 丸坊主にした竹中直人みたいな、四十歳くらいの男性。海太くんとは顔見知りらしく、先に彼と話をしていた。

 でもすぐに、新顔でバーディーに乗った僕の隣を歩き始める。


「さすがに途中までですけどねえ。これ中古じゃったんですけど頑丈なし、山道でもある程度は走れますよ」

「あー、好きなんじゃがねえ。雪が降りゃあどうもならんようなる」


 バイクの話なら、なかなか熊には繋がらない。これ幸いと、購入を勧めるようなことを無責任に言った。

 しかし雪はそうだろう。年に一度、積もるか積もらないかの広島市とはわけが違う。笑ってごまかした。


「通勤に使いよったんです?」


 竹中さん、とは名乗ってくれなくて勝手に呼ぶだけだが。丸坊主の男性とは反対隣から、このみさんが問う。

 残りの人たちは、五メートルほど前をひと塊で歩く。その中の輝一さんが仕向けているに違いない。


「ですね。広島の街中を車は便利が悪いし、続けて遠くへ行くこともあるけえ電車やらバスいうのもアレじゃったんで」

「へえ、みんなそうなんですねえ」

「いや、僕だけじゃったですね」


 自分の中では理屈が通っていたのだが、答えてみて、あれ? と思った。言われてみればみんな、社用車と公共交通を使い分けていたような。


「あはは、なんですかそれ。譲さんが好きなんじゃなあんです?」

「す、好きですか」


 好きという単語を意識してしまう。中学生男子みたいに胸をドキドキさせつつ、そうだっけかと思い返した。

 そも、どうしてバーディーを買ったのか。


「ああ、同じ就職先ぃ受けた友達が落ちて。そいつがもう予約しとったけえ、代わりに買えぇ言われたんじゃった」

「いや、なんで買うんや」


 あれから口数の減った海太くんがツッコむ。後方グループの先頭から振り返って。

 たしかに苦笑するしかない。


「まあねえ。手付けしとったんでもなかったし、買わんでかったんじゃろうけど。店先まで行ったら、買わんいう選択肢が浮かばんかったねえ」

「あんたがお人好しじゃけえよ」


 いつもの切れ味で安心した。事情を知らない竹中さんも「ほんまよ」と笑ってくれる。


「でもうてかったよ。機械のこたぁ全然じゃけえ掃除しかできんのじゃけど、壊れたことないし」

「お掃除しとったら、壊れそうなとこに気づくけえじゃなあです?」


 このみさんも微笑むのは、僕にだろうか。それとも海太くんが、一応は普通に話したからか。


「それもあるかもしれんですね。写真一枚だけ撮りに、一晩じゅう走って阿蘇まで行ったりとか。無茶させたんですけど」

「譲さんの相棒ですねえ。海太ちゃんと同んなじ」


 相棒。初めて言われた言葉が、妙にしっくりくる。感心して「ああ」と頷きかけたところで海太くんもと言われ、首がムチウチになりそうだ。


「なんで俺が」

「だって助け合いよるし」

「俺ばっかりじゃろ。相棒じゃなあて、師匠と弟子よ」


 歳上の強みでからかう口調のこのみさん。ツンデレを崩さない海太くん。

 随分としばらくぶりの空気を吸った気がした。ふと見るとこのみさんも、溜めた息をぷうぅっと吐き出していた。

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