第5話 嗤うハスラー


 ミスター・アンシーリーコートについての悪い噂は、ネット上に溢れていた。

 そもそも、彼については一年前の世界ナインボール選手権でのあの傍若無人な態度で非難の的となっていたので、ラスベガスに現れたときはアメリカ中の関係者からの攻撃の対象になっていた。

 多くのプレイヤーが生意気で礼儀知らずのチャンピオンを叩きのめそうと挑戦し、ことごとく敗北し、そして―――死んだ。

 ミスター・アンシーリーコートに殺されたわけではない。

 彼らの死因は、暴走した車にはねられたり、逃亡中の強盗が苦し紛れに射った流れ弾に当たったり、やけになって飲んでいた酒に急性中毒になったり、ホテルの自室で首を吊ったりというものだった。

 だが、そのすべてがミスター・アンシーリーコートと試合をした夜の出来事であったとなると、世間の見る目は変わってくる。

 ミスター・アンシーリーコートが殺したのではないとしても、その死になんらかの因果関係を求めるのは当然のことだろう。

 しかも、彼に敗れた直後に死に至ったものは、たった一年で二桁に達した。

 彼が恐怖と怨嗟の的となるのも当然といえた。


「やつにゲームで負ければ魂をとられる」


 巷ではそんな噂が駆け巡った。

 当の本人はそんなことはまったく気にせず、ラスベガスの闇の中を薄笑いを浮かべながら闊歩していく。

 彼が主に戦場としているプールバー〈423club〉には、そんな悪魔のようなプレイヤーを一目みようと悪趣味な者たちが集い、そして深夜を過ぎると店は魔宴サバトと化していく。

 人々を堕落させる魔の使い。

 敗北者を死に至らしめる邪妖精。

 それがミスター・アンシーリーコートの伝説だった。


     ◇◆◇


 アキナがホテルのシンプルな喫茶室でコーヒーを飲んでいると、対面に座った白いコートの青年が持参したスコーンを黙々と食べていた。

 彼女も一つ勧められたが、無視した。

 食べ物を持ち込むマナーの悪さに激怒したとか、スコーンが嫌いだからというわけではなく、ただ単に考えるべきことが山のようにあったから口を動かすも億劫だったのだ。

 そんな彼女に遠慮もせずに、さすがにこれは店で注文した紅茶を飲みながら青年―――シーリーコートはスコーンを食す。


「やあ、やっぱりこの時間帯ティータイムにはバターをたっぷり塗ったスコーンを食べないと落ち着きませんね」


 聞かれてもいないのに、べらべらと感想を述べる。

 アキナにとってはどうでもいいことだ。

 ただ、ふと口に出た言葉があった。


「あんた、英国人ブリテン?」

「いいえ、どちらかというとアイルランド人ですね。まあ、元々は貴女と同じ日本人みたいなものなんですけど」

「意味がわからない」

「こっちの話です。えっと、身分証明書アイディーありますよ」


 そう言うと、シーリーコートは懐から手のひら大のカードを取り出した。

 受け取って見ると、それは大英帝国グレートブリテンの発行した国際運転免許だった。

 なぜ、自称妖精がこんな俗なものを持っているかということはわからないが、気になったのはその名前だ。

 少なくとも「シーリーコート」などとは書いてない。

 あまり英国人っぽくはない名前が記されていた。


「……あんた、―――って名前なのか? シーリーコートじゃないの」

「いいえ、それは偽名です。それにシーリーコートっていうのは役職名です。本名は別にありますよ」

「つまり、ここにある名前はジェームズ・ボンドで、シーリーコートというのは007ということで、あんたはロジャー・ムーアって訳か」

「的確な認識ですね」


 ふざけてんのか、とアキナは怒鳴るような真似はしない。

 理にかなっていればどうでもいいことだから。

 おそらくシーリーコートと名乗る青年は、彼女にとっては理解できない世界の仕組みに従って生きているだけなのだ。

 であれば、いちいち気にすることでもない。

 それよりも、彼女とってはもっと気になることがあった。


「ところで、なんであんたはここにいるの?」


 まるで彼女のツレのようにのうのうと同じテーブルについていることの方が、実は気になっていた。

 アキナは狷介な性格をしていることから友人も少ないので、一人で行動することが好きだった。食事も一人で摂ることを好む。

 特に、大好きなコーヒーを飲む時は、心ゆくまで香りを楽しむためにいつも一人でいるようにしているほどだ。

 それなのに、このシーリーコートという青年は彼女のあとをさりげなくついてきて、気がついたら同じテーブルに付いていた。

 非常に目障りだった。

 顔がいいからといってすべてが許されるとはおもわないことだ。

 アキナは飄々とした顔を睨みつけた。

 そんな彼女の心中をまったく察することなく、シーリーコートは紅茶を嗜みながらスコーンを食べ続ける。


(だいたい、紅茶党というのが気に入らない。ボストンの港にぶち落としてやろうか)


 物騒なことを考えるアキナ。

 傍から見ると、無言でティータイムを楽しむ東洋人の美男美女カップルであったが、その心中は色々と煮えくり返っていたのである。


「やっぱり飛ばしてきたか」


 いきなりシーリーコートは紅茶のカップを置くと、テーブルの下に手を突っ込んだ。

 流れる水のように自然な動きだった。

 アキナの目が追いつかないほどの。

 だが、彼女が本当に瞠目したのは、こちらに差し出されたシーリーコートの手が握っていた黒い小人を目にしたからであった。

 右拳に胴体を掴まれた小人は、二十センチほどの身長しかなく、しかも顔も体も影のように黒く、服のようなものも着ていない。

 まるで影が実体を得たかのようなそれは、キィキィとネズミのような声で哀れに鳴きながら、細い手足を振り回して逃れようとしていた。

 シーリーコートはそれでも力を緩めたりはしない。


「あ、痛。噛むなよ」


 どうやら黒い小人には口があるらしく、噛まれないようにさっと持ち替える。

 アキナは唖然としながら、それを指さした。


「それ、何?」

「御使いの邪妖精ですね。アンシーリーコートの黒い服の切れ端が変幻したものですよ。―――あ、こら暴れるな」

「えっと、どういうこと?」

「あいつが貴女の様子を探ろうとして送ってきたのでしょう。貴女は公衆の面前であいつに宣戦布告をしましたからね。どうやら、僕が接触したことについても気づいているようです。意外と目端が聞きますね、あいつ」

「……もしかして、ミスター・アンシーリーコートがやったってことなの」

「そうです」


 恐る恐る人差し指で頭に触れてみると、タイヤのゴムのように硬くとても生き物の手触りではなかった。

 指の腹は氷みたいに冷たさを伝えてきた。

 まるで冷蔵庫から出してきたばかりのキャンディー。もしく寒冷地のカブトムシといった塩梅だ。


「冷たい。―――でも生きているの、これ」

「いいえ、生物的な意味での生命はないはずです。アンシーリーコートの躰から零れおちたいわゆる擬似生命といったところですね。人の言葉を解しますし、それをテレパシーで本体に流しているはずです」

「じゃあ、今の会話も、ミスター・アンシーリーコートに把握されているの?」

「このあたりには僕の力が飽和しているから、多分、大丈夫かと。今は僕が傍にいますからね。でも、僕にとっては聞かれたって別に問題はないんですが、貴女にとっては不都合なのでしょうか?」

「まあね。あたしの情報を流されると困るのよ。ほんのちょっとでも為人ひととなりがわかると、こちらの作戦を読んでくる猛者って結構いるから」

「そんなものでなんですか?」

「うん、本当に厄介な相手ってのは根本的に人を見る目が違うものなんだ。そういう相手には、ほんのわずかな情報であっても与えちゃいけない。なにを読み取って仕掛けてくるかわからないからね。―――まあ、ミスター・アンシーリーコートはそういう強い相手ではないみたいだけど」


 シーリーコートは眉をひそめる。

 思わず見解を聞いてみたくなった。


「では、貴女の見立てでは、あいつはどういうタイプなんですか?」


 すると、アキナは不敵に笑った。


「あいつは力に溺れた雑魚ね。魔法が使える程度で、無敵を気取るなんてちゃんちゃらおかしいよ。まして、あたしに向かって―――」


 突然、アキナは俯いた。

 何かあったのかと声をかけようとしたシーリーコートは思いとどまる。

 顔が伏せられる寸前、その口角が釣り上がるのを見てしまったから。

 わずかに開いた唇の奥に、白く尖った牙のような犬歯が見えたから。


 ―――それは、とてもとても獰猛な―――


 ―――笑みだった。

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