8話 手作り弁当

 烏丸さんが帰った後、その日の俺はなかなかに慌ただしい時間を送ることになった。

 念願のベッドで二度寝してから、大学に行って教科書購入や図書館の利用登録をしたり、そのあとは真っ直ぐアパートに戻って途中になっていた荷解きに取りかかったり。そうこうしているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。

 

 空になった段ボール箱のひとつひとつをバラして部屋の隅に重ねていると、遠くに設置された防災無線から、午後六時になったことを告げる時報のメロディが聞こえてきた。


 もう、こんな時間か。

 俺は最後の段ボールを重ね終えてから、両手を伸ばして軽くストレッチする。

 窓際に寄って、掛けたてのカーテンをシャッと閉めてから、振り返って部屋を見渡した。

 

 部屋の四方にベッド、テレビボード、マルチラックといった大物家具が置かれ、部屋の真ん中には正方形のこたつテーブルが鎮座している。

 

 ほぼ半日ずっと荷解きをしていたかいあって、あらかた部屋は完成していた。あとはバラした段ボールの束を処分すれば、引っ越し作業は完了したといっていいだろう。俺、お疲れ。


 ぐう~、とそのタイミングで俺の腹から切なげな音が鳴った。それで自分が猛烈に腹ペコなことに気がつく。今日は昼にコンビニのおにぎりを一個食べたっきりで、他には何も食べていなかったのだ。


 引っ越したばかりなので、当然冷蔵庫の中身は空っぽ。

 コンビニかスーパーに行って、晩ご飯を調達しなければならない。


 あー死ぬほどめんどくさい。だけど食欲という生理的欲求には抗えない。

 床に転がっていた財布を拾い上げ、買い物に出かけようとした……そのタイミングで。


 ピンポーン


 玄関チャイムの間伸びした音が響いた。

 こんな時間に誰だろう。まさかNH(禁則事項です★)の訪問員か?

 首を傾げつつドアスコープを覗いてみる。


「烏丸さん?」


 玄関ドアの向こう側に、烏丸さんが立っているのが見えた。

 予期せぬ来客に、俺は慌ててドアを開けた。


「こ、こんばんは。夜分にすいません」

「こんばんは、烏丸さん。どうしたの? なんか忘れ物?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」


 烏丸さんはうつむきがちに視線を左右に彷徨わせる。それからなにかを決心したようにギュッの下唇を噛んだあと、言葉を継いだ。


「鳩山さんにこれを……」


 彼女は手許に持った包みをこちらに差し出した。


「これは?」

「お弁当です。晩ご飯にいかがかと思いまして」

「弁当? 俺に? なんで?」

「その……差し出がましい申出だとは思ったのですが、昨晩のお詫びに……」

「マジで? そんな気を使わないでいいのに」

「いえ、私の気がすみません。もちろんお口に合わなければそのままゴミ箱に捨てていただいてけっこうですので」

「いやいやいや、そんな失礼なことしませんから」


 烏丸さんの妙にネガティブな物言いがなんだか可笑しくて、俺は苦笑いしてしまう。それから、差し出された包みを受け取った。


「でも、ありがとう。ちょうどこれから晩メシを買いに行こうと思っていたところだから、正直助かるよ」

「本当ですか。それならよかったです」


 少しだけ彼女の顔が明るくなった。

 俺は目線を彼女の顔から受け取った包みへと移す。


「烏丸さん、ちゃんと自炊するんだね。俺も見習わなきゃなぁ」

「いえ、そんな。私なんてそんな大したものではありません。このお弁当だって、晩ご飯のついでに作ったものですし、味の保証はできませんし、栄養バランスとかもまったく考えていませんし……」

「俺なんて今家になんも食べ物が無いしさ、恥ずかしながら料理なんて全然したことないし、晩飯もきっとカップラーメンかコンビニ弁当だった。それに比べたら烏丸さんは偉いよ」

「あ、ありがとうごさいます……」


 目線を烏丸さんに戻すと、彼女はさらにうつむき気味になって、身体をモジモジさせていた。照れているんだろうか。なんだろう、ちょっと可愛らしいぞ。


「烏丸さんは、もう体調のほうは大丈夫?」

「はい、おかげさまで。今はなんともありません」

「そりゃよかった。明日から本格的に授業が始まるし、お互いがんばろーね」

「は、はい」


 俺の言葉を受けて、彼女はぎこちなく首をコクコクと縦にふる。


「それでは、私はこれで失礼します。あの、食べ終わったお弁当箱は部屋の外に置いておいてもらえれば、後で勝手に引き上げますので」

「うん、わかった。ありがとうね」

「それでは失礼します。おやすみなさい」

「また、明日。学校でね」


烏丸さんはそう言うと、俺にぺこりと一礼してから自分の部屋へと引き上げていった。

俺はそんな彼女を見送ってから、バタンとドアを閉めて、部屋の中へと戻る。

それからこたつテーブルの上に弁当の包みを置いて、早速中身を確認することにした。


「こ、これは……!」


 包の中から出てきたちょっと小ぶりな二段重ねの弁当箱のフタを開くと、一段目には色とりどりのおかず、二段目には実に形のいいフォルムをしたおにぎりが詰め込まれていた。

 おかずのラインナップは、唐揚げ、アスパラのベーコン巻き、きんぴらゴボウ、玉子焼き、プチトマト、ポテトサラダなど盛りだくさん。

 おにぎりは、海苔が巻かれたタイプとふりかけが混ぜ込まれたタイプの二種類で、視覚的なアクセントもあって実に食欲をそそる。

 そして、そのどれもが丁寧に盛り付けられていて、月並みな表現なのだが、とても美味しそうなのだ。詰め合わされた一品一品から作り手の愛情のようなものを感じるというか。いやはや。


 烏丸さんは大したものじゃないなんて謙遜していたけれど、とんでもない。晩メシの片手間に作れるレベルじゃないぞこれ。


俺はウキウキしながら箸を手に取った。烏丸さんのご厚意に甘えて、ありがたく頂戴することにしよう。

 

「いただきまーす。うっわ、マジ旨そうだな。どれから食おうかな~」


しばらく迷ってから俺が一番最初に選んだのは、アスパラのベーコン巻き。

口を大きく開けて、パクリとかじりつく。

パリッとしたアスパラの食感とともに、ベーコンの肉汁がジュワッとあふれ出てくる。作りたてなのだろう。まだ暖かくって美味しさが倍増だった。


「うめえ! 最高だよコレ」


 思わず感想がこぼれる。

 続いてもう一個。今度は卵焼きをチョイス。ふっくらとした甘い仕上がりになっているそれを頬張ると、優しい甘さが舌の上で溶けていく。

 そこからはもう止まらない。空腹も手伝って、おかずもおにぎりも、ご飯粒一つ残さずに全部ペロリと平らげてしまった。


 ひとり暮らし初日の晩ごはんがこんなに充実したものになるとは思わなかった。

 空になった弁当箱を前に両手をあわせて「ごちそうさま」とつぶやいた後、俺はなんとも言えない満足感に浸って、その場に大の字になって倒れこむ。

 

 ありがとう、烏丸さん。

 

 そのまま俺は、布団もかけずに眠りに落ちてしまった。

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