30 あきらめちゃダメだ

30 あきらめちゃダメだ


 宝箱の中に連れ込まれ、幼女化してしまったエクレア。

 言いたいことはたくさんあるが、なにから言っていいのかわらかない様子で、口をぱくぱくさせている。


 その口が言葉を結ぶより早く、ミックは彼女の肩を抱いた。


「話はあと! 今はとにかく戦線に復帰しよう! でないと負けになっちゃう!」


 ミックが崖に貼り付けていたタコ足を外すと、宝箱は落下。

 浮遊感のあと、部屋のなかに着水の振動がうまれた。


 ミックはエクレアとロックを連れ立って外に向かう。

 宝箱からはピクシーの少年と黒猫、そしてジト目の少女の顔がひょっこりと顔が出す。


 川の流れはまだ荒れており、川下に流れていく丸太の群れのせいでだいぶ水位があがっていた。

 その丸太の突端には、ヒル・キルの姿が。


 ミックはこのとき、ヒル・キルの全貌をようやく見ることができた。

 オオカミなのにクマのごとき体躯を持ち、野生動物のはずなのに黒い体毛はつややかで、まさしくシャチのよう。

 一糸すら乱れていないその姿は、何者も傷つけられなかった証であった。


 聖域の化身のようなオオカミは、「まだやるか?」と言わんばかりにミックたちを眺めている。

 ミックとロックは意気込んで応じた。


「僕らはまだあきらめてないぞ! 勝負はこれからだ!」「にゃーっ!」


 ミックは停戦再開の号砲がわりに、パチンコをヒル・キルに向かって撃つ。

 しかしヒル・キルは微動だにしない。玉は眉間に命中したが、蚊に刺されたほども感じていないようだった。


「やっぱり、アイツは物理攻撃に対してものすごい耐性を持ってるんだ……!」


 となると頼れるのはエクレアしかいない。しかしエクレアはうつむいていた。


「自分たちの負け」


「えっ、どうしてそんなことを言うの!?」「シャーッ!」


 するとエクレアは、頬に貼り付いたままの顔を向ける。


「全身が濡れてしまった。もう、雷撃魔術は使えない」


「そんな……!? 他の属性の魔術はないの!?」


 エクレアは「ない」と短く答えたあと、懐から取り出した仮面を被る。

 それは、口が裂けんばかりに笑う怪物のお面だった。


「でも、ここまで戦えたのは初めて。ありがとう、代理先生」


 笑い方を知らない子供が、無理に笑おうとしているかのような声。

 ミックはエクレアのことをずっと掴みどころがないと思っていたが、それだけはハッキリとわかった。


「……あきらめちゃダメだっ……!」


 その一言に、エクレアは心臓を急襲されたように息を飲む。


「僕はあきらめないよ! ここまでやったんだ! だから、ぜったいにあきらめない!」


「にゃーっ!」


「僕だけじゃなくて、ミックもこう言ってる! だからエクレアお姉ちゃんもあきらめないで! いっしょに考えよう! まだ、まだ……! まだまだやれることがあるはずなんだ!」


「どうして……どうして、そこまで……」


「友達だからだよ! それに今の僕は、エクレアお姉ちゃんの先生でもあるんだ! 先生が生徒のためにがんばるのは、当たり前じゃないか!」


「……!」


 その一言には、エクレアの身体を稲妻のように打つ。

 白く飛んだ脳裏の中では、またしてもふたりの人物が重なっていた。

 ありえない幻を追い払うように、エクレアは頭をクラクラさせる。


「わかった……。でも、自分は……このローブが乾かないことには……」


 そしで今度は、エクレアの言葉にミックが心打たれる番だった。


「そうだ、いいこと思いついた! ちょっと待ってて!」


 ミックはポンと手を打つと、壁のステータスウインドウへと走る。

 指でウインドウを操り、あるスキルをタッチしていた。


 直後、空調が作動したような風の音がする。

 エクレアは、室内が急激に乾していくのを感じた。


 「これは……?」視線を落とした拍子に、またしても奇跡体験を目撃する。

 なんと、水を含んでずっしりと重くなっていたローブから水滴が次々と飛びだし、空中で霧散していくではないか。

 顔をあげたエクレアは、改めて問う。


「こ……これは……?」


「『ドライルーム』のスキルだよ。この部屋全体がドライルームになって、服がすぐに乾くようになるんだ」


 ミックは足元でスリスリしていたロックを抱え上げながら続ける。


「本当は、ロックみたいな動物を洗うことがあった時のために付けておいたんだ。ロックもそうだけど、動物は機怪温風機がニガテな子が多いから」


 抱っこされたロックはミックのアゴにスリスリしていたが、『洗う』というワードが飛びだした瞬間、「させるか!」とばかりにロックの顔に猫パンチしていた。


「いてて。よし、もう乾いたみたいだね。これで雷撃魔術が使えるよ!」


 ニッコリ笑いかけてくるミックに、チクりと心が痛んだエクレア。

 ふたたびうつむくと、カラカラになった喉から掠れた声を漏らした。


「でも……もう、魔力も残ってない……。あと1回、雷撃を撃つのが精一杯……」


 エクレアはいままでヒル・キルに対し、手足の指を使っても数え切れないほどの雷撃魔術を放ってきた。

 しかし、毛先を焦がすことすらもできずなかった。

 あと1回しかない雷撃魔術。それを伝説のオオカミに命中させるのは、奇跡がいくつあっても足りないだろう。


 それはミックも百も承知のはずなので、今度こそ落胆しているに違いないとエクレアは思う。

 あの笑顔が凍りつくところだけは、直視したくなかった。

 しかし少女の降り注いだのは、春の日差しを感じているようなホッとした声だった。


「よかったぁ……! 実をいうと、もう魔力は残ってないんじゃないかって思ってたんだよ! 1発あれば、勝ったも同然だね!」


 「えっ」と顔をあげると、そこには太陽のようなさんさんとした笑顔が。


「大丈夫、ふたりで力を合わせれば、ぜったいに勝てる!」


「にゃーっ!」


「あ、ごめんごめん、3人で力を合わせれば、ぜったいに勝てるから!」


 ミックはロックを抱っこしたままエクレアの手を取り、満を持すように宝箱から顔を出す。

 前を流れる流木の群れの上には、シーウルフ軍団が勢揃い。

 その先頭にいるオオカミを、ビシッと指さすミック。


「ヒル・キル! キミが秘密兵器を使ったように、僕らも秘密兵器を出させてもらうよ! だから……これが最後の勝負だ! 僕らの秘密兵器でキミを倒せたら、僕ら勝ちだ!」


 これは裏返せば、秘密兵器が不発に終わった場合は、負けを認めるということだ。

 そしてミックはその秘密兵器を、ヒル・キルに使うと宣言。これは、3対1の戦いを申し出たことになる。


 シーウルフたちは今にも飛びかかってきそうだったが、ヒル・キルが一瞥するとみな大人しくなった。

 そして「受けて立とう」といわんばかりに姿勢を低くするヒル・キル。


 ミックはパチンコ、エクレアは木の杖、そしてロックは毛を逆立てる。


「「こいっ……!」」「にゃっ……!」


「シャァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 獲物に襲い掛かるシャチのごとき雄叫びが、渓流をつんざいた。

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