第3話「永遠」について。

誰もが一度は永遠と言う言葉を聞いた事があるように勿論私もある。子供の頃は永遠が本当にあると思っていたが、大きくなるにつれ永遠なんて存在しない事がわかってきた。絶対も、永遠もそんな物はない。永遠に生きる事も、絶対に成りたいものになれる事も。永遠の響きは凄く良いが、実際はそうでもない。永遠に楽しい学生時代を過ごし続けるのは無理だし、生きてく上で永遠に生きることも無理だし、絶対死なないなんて事もない。そう考えるとやはり生きるのが憂鬱になる。どうせ死ぬのになんで産まれた?終わりが来るのに楽しい事が増えてったり、時には悲しい事もあるがそれも自分の物。死ぬ時は全て失われると思うだけで憂鬱だ。

かといって今は生きていたいとも思わない。

矛盾してるのは百も承知だけど、生きてるのも死ぬのも嫌だから静止した状態なのかもしれない。これに関しては自分でも正直答えがわからないし、他人からしたらもっとわからないと思う。漫画家に絶対なる!と言ってた子は今は全然違う職業だし、束縛のひどい彼氏ともう絶対別れると言ってたあの子もその彼氏と同棲を始めたし、やはりこの世界に絶対なんてないと私は思う。実際に夢を叶えたり成し遂げた人は、絶対やる信念があれば成れる!などと言うだろうが、それは自分が成れただけで他の人が真似したところでその人のようにはなれない。

そもそも自分が何に成りたいかも、どうありたいかも全くわからない。幼稚園の頃の方がわかっていたかもしれない。卒園アルバムに夢を書くところがあったが、私はクワガタやカブトムシ、カナヘビが好きなだけで虫博士と書いた。

今考えたらとても笑える。大して虫に詳しい訳でもなく、ただ好きだから虫と触れ合えて知れる職業は虫博士かなと。とても単純だ。でも現実は虫博士になるにはまず博士号やら何やらとにかく勉強しなきゃだし、そもそも大きくなるにつれ虫を触れなくなってしまっているし、勉強も並。博士なんて絶対なれない。こういう時の絶対はとても信憑性があるのに、夢を叶えたりする時の絶対はとても信憑性が薄い。現実は厳しいし、悲しい日もたくさんある。

学生の頃は大事なテストや単位を具合が悪くて受けれなかっただけでも大事件で落ち込むし、大人になるにつれ就職やら一人暮らしなど大きくなるにつれ大変な事が増える。当たり前のようだがなんだかそれが悲しく感じる。その都度頑張って乗り越えてもどんどん壁は大きくなるし、それを乗り越えれるかもわからない。でも進まないとどうしようもない。進めるかもわからない所に進んでくのはとても難しいし、壁を乗り越えられない期間が長ければ長いほど人生の大変さを知る。じゃあ君はそんなに人生苦労してるの?と思うかもだが多分そんな事はない。よくある例えだが、世界にはもっと苦労して大変で悲しい人はたくさんいるなどと言うが、自分が辛くて悲しいと思ってる時に何故赤の他人の辛さと比べられてしかも君はまだ良い方じゃない!なんて慰めるのだろう。

慰めてるつもりだろうが、その例えに出す人にも慰める相手にも失礼だと思う。人の辛さなんて個人差ありまくりだし、自分のものさしで勝手に測ってそれはそんな辛くないなんておかしい話だ。こんな考えや気持ちが永遠に頭の中でループしている。解決策も特にないし、なんなら考えても無駄。わかってる、わかってはいるが考えてしまう。誰かにその考え辞めなよと言われて辞めれてるのならとっくに辞めれてる。多分内心辞めれない自分がいるのだろう。

辞めれない理由は生きてる限りそういう事がつきものだからだと思う。生きるの辞めるかと軽く辞めれるものでもないし本当に生きることは大変だ。子供の頃は死ぬのは怖かったが、今は永遠に生きる方が怖いなと思う。

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