第18話 都合のいい怪異と代償
「あのですね、すごくすごく真剣にこの事態を考えているんですよ」
この場をやり過ごしたくて思いつきを口にしたわけではない。
私は彼をちゃんと見据えた。
「あなたに私の守護をお願いするのはやぶさかではないんです。あなたが私に危害を与えるような存在ではないと、どういうわけか信用してはいるので。アニキも同意見ですし」
「だったら」
「それはたんに、あなたが私にとって都合のいい怪異だということにすぎません。そもそもどの程度の力を発揮できるのかは未知数です」
食い気味に乗り出した彼を、私は片手を軽く上げて止める。
「ゆえに、その力を私が独占していいものなのかは慎重に吟味する必要があると思うんですよ。こういうことには代償も付き物ですし」
都合のいい怪異ほど気をつけたほうがいい。どこかに落とし穴があるものだ。とりわけ、代償がなんなのかとか、副次的に起こる事象のあるなしとか、注意すべきところはいくらでもあるだろう。
私の牽制を受けていた彼は、目をぱちぱちと瞬かせたのちに首を横にこてんと倒した。
「代償は君の生気をたっぷりもらっているから、気にしないでいいよ?」
「……え」
「生気とか霊力とか呼ばれてるものをまぐわいで摂取しちゃったから、しばらく大丈夫」
言い直してくれなくて大丈夫です。
意味が通じなかったと思われたようだが、私が言葉を詰まらせたのはそういう理由じゃない。
頭痛がする。
「ええっと……マジっすか……」
「無理矢理奪ったんじゃないよ。あのとき君が動揺していた影響で、抑えられていた生気が暴発状態になっていてね。それに当てられて僕が呼び出されるに至ったし、もっとよからぬものも君に近づいていたのに気づいたから、応急処置として余剰分を受け取ったんだ」
「ああ、それで「僕にもっと感謝してもいいと思う」っておっしゃったんですか」
彼が取った行動の是非は傍に置くとして。
状況がなんとなくわかった。肉体も精神もボロボロになっていたことで、思いがけず怪異を引き寄せる事態が生じていたということだろう。
「今の君は不安定だから、僕に癒されておいてよ。なんでも協力するよ?」
彼は穏やかに笑う。アイドルのピンナップみたいな絵面だ。
くっ……顔は好みなんだよな……
状況に慣れてきたのかストレスでおかしくなってきたのか、彼の誘惑に心が揺らぎそうになる。
強い意志を持って、私!
「それって、神様さん的にメリットはあるんですか?」
「見返りに何を期待しているのかってことかい?」
「はい」
私が頷けば、彼はニコッと笑う。
「君と仲良くなれればそれで充分なんだけどな」
「仲良く……」
引っかかる部分を繰り返すと、彼は苦笑した。
「意味深にいうのはいただけないなあ。性的な意味合いを強調されたようで心外だよ」
「含んでいることを否定はしないんですね」
「うん。食事の前に軽く運動したいって誘われたら、即時に協力できるくらいには」
任せてとばかりに親指を立てられた。
うわぁ……
「ひどい契約をさせられたものですね……」
それを覚えていない自分も大概だと思うけれど。申し訳ない。
「そう? 君が気持ちよさそうにしているのを見るのは最高だったよ。ほかの人が見ないだろう可愛い姿をたくさん見られるのは優越感も得られるし。特別な儀式をしているようで、僕としては願ったり叶ったりなのに」
文句を言ってやりたいのに何も言い返せない。私は口をパクパクさせたあと、ぷいっと横を向いた。
「ふふ。思い出しちゃった?」
「恥ずかしくなっただけです」
「照れてる君もそそられるねえ」
「……黙っててください」
特別な儀式をしているようだったと告げたが、ような、ではなくまさに儀式だったのだろう。
私は大きく息を吐き出して冷蔵庫に向かう。
「はぁ……さてと、昼食にしましょう。ちょっと早いですけど、軽めにし――」
「弓弦ちゃん」
背後を向けた瞬間に抱きしめられた。充分に離れていたはずなのに。
驚きすぎて動けない私の耳に彼は唇を寄せる。
「少し思い出せたことがあるんだ」
「思い出せたこと?」
「僕は君の小さな頃を知っている」
「え?」
「あの本の内容も僕は知ってる」
つまり、私と神様さんは幼い頃から縁があるってこと?
私は小さく頭を横に振る。
「……そんな出まかせで私を誘惑しようっていうんですか?」
「僕は意図的に嘘はつけないよ」
私を抱き締める力が強くなる。
あの日の夜のことを身体が思い出した。ゾクゾクする。
「……離れて」
彼の指先が私を優しくなぞる。身体が震える。服の上からじゃなくて、直に触れてほしい。焦れている。体温が上がる。堪らない。
「弓弦ちゃんも思い出してほしいな、僕との思い出を」
「そ、そういうことをされたら、思い出すどころの……ッ、話じゃなくなっちゃうんですがっ」
「一昨日の夜のことも思い出してよ。僕と交わした契約と一緒に」
心拍数が明らかに上がっている。
腕を振り解こうともがいて、腕がやっと離れたと思ったらぐるりと体の向きが変わった。
冷蔵庫と彼に挟まれる。いわゆる壁ドン状態。困惑したまま見上げていると、流れるように口づけをされた。
「ん……」
触れるだけからついばまれて、深い口づけに変わる。食べられているみたいな口づけに意識がふわふわとしてくる。
「ふふ……その気になってくれた?」
私は顔を横に向けた。見つめ返したら頷いてしまいそうで、咄嗟の行動にしては上出来だったと思う。
鼓動が聞かれてしまいそうなくらいドキドキいっている。全力疾走後でもこんなに激しい動悸は感じたことがないくらいだ。
「なっていたとしても、あなたとはダメなの」
「思い出せないから?」
私は頷く。
彼はふぅと息を吐いた。
「……いいよ。仕方がないよね。僕が無理に迫ることで、君の状態を悪化させるわけにはいかないからさ」
残念そうに彼は告げて、私から充分な距離をとる。
「でもね、弓弦ちゃん、覚えておいて。僕は君を生かすためなら手段を選ばないよ。どんな手を使ってでも君を生かす。口吸いもまぐわいも、僕は君に必要だと思えばそうするから」
そういう契約なのだな、と思い知る。キスもセックスも、愛情ゆえの行為ではない。
目が合ったときに困ったような顔のまま笑うから、ままならないことなのだと余計に伝わってきてしまって胸が苦しかった。
「まあ、できるだけ許可はとるように頑張るよ。嫌がるところを見たいわけじゃないからね」
どういう対応が正解なのかわからない。彼が何者なのか知れたら、受け入れることができるのだろうか。
迷う程度には心が揺れている。警戒し続けることが負担になっているのだろう。言われるままに受け入れてしまったら楽になれるんじゃないかと考え始めているに違いない。
「……そうですね。許可はとってください」
気まずい。唇を乱暴に拭ったところで、スマホが鳴り出した。私は寝室に向かう。
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