あの日の夜に起きた事件

第14話 前車の轍は踏まないよ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 電話が鳴っている。取らなきゃと思っているうちに音が止んでしまった。

 折り返すの面倒だな……

 緊急であればもう一度電話が鳴るだろうからと微睡んでいると、話し声が耳に入った。誰だ?


「――あはっ、残念だったね。弓弦ちゃんはまだ眠っているよ。予期せず僕を呼び出してしまったから、身体に負担がかかっているんだろうね」


 誰と話しているんだろう。この様子だと兄だろうか。

 通話相手の声は聞こえそうで聞こえない塩梅だ。音の高さから察するには男性っぽいが。

 会話は続く。


「……ああ、うん。僕は常に一緒だし、休暇中に全快できると思うよ。……うん、うん……だいじょうぶ大丈夫。そんなことはさせないから。うっかり消滅するのも勘弁してほしいし」


 冗談めかして神様さんは笑う。ずいぶんと親しげなテンションだな。


「……ふふ。相変わらず心配性だね」


 急に声色が変わった。声は低く、シリアスな雰囲気。その声に背筋がゾクっっとする。


「前車の轍は踏まないよ。ちゃんと彼女の意志で行動させるから。……ふふ。そんなに僕のことが信用できないなら、君が弓弦ちゃんを監視すればいいんじゃないかな」


 挑発するように告げる。

 ……相変わらず? 轍は踏まないって、前にも同じことが?

 回らない頭でぐるぐる考えていると、神様さんは声を立てて笑った。


「あははは。まあ、やれるだけのことはやっていこうよ、お互いに、ね。……うん、うん。じゃあ、またあとで」


 ベッドに座って通話をしていた彼と、彼の布団の中で様子を窺っていた私の目が合ってしまった。なんか気まずい。


「ありゃ、起こしちゃったかな」


 彼は何食わぬ顔で通話を切ってスマホをベッドに置いた。


「誰と話をしていたんです?」

「梓くんだよ」


 チラッと時計を見やる。兄から電話がかかってくるにしてはいささか早い時間だ。


「なんの用事だったんですかね?」

「それはわからないけど、僕が出たから驚いていたよ」

「私はあなたが普通にスマホを使いこなしていることに驚きでしたけど」

「それはまあ……直感で?」

「直感……」


 なんとなく現代知識に疎いんじゃないかと思っていたが、そういうものでもないらしい。よくよく思い返せば、この部屋にあるものは私が説明せずとも問題なく使えている。風呂にしても食事にしても、困っている様子はなかった。


「とにかく、他人の電話に勝手に出ないでください」

「梓くんの名前が表示されていたから、ついからかいたくなっちゃったんだよねえ。次は気をつけるよ」

「そうしてください」


 ベッドに転がされたスマホを手に取って履歴を見る。確かに兄からの電話だったようだ。少ししたらメッセージでも送って何の用事だったのか聞いておこう。


「もう起きる? ゆっくり寝ていてもいいとは思うんだ。僕のお布団、気持ちがいいでしょ?」


 時刻は八時前。充分に朝寝坊をしていると言える時間帯だ。だが、兄が電話をかけてくるには早い時間だなと思う。これからどこかに出掛けるつもりなのだろうか。

 私は適当に頷いた。


「ええ。すごく寝心地がよかったです。夢も覚えていないくらいぐっすり眠れましたし」

「ほんと、ぐっすりだったねえ。僕が悪戯しても無反応だったから諦めて眠ることにしたよ」


 悪戯?

 さっと血の気がひく。


「何したんですか」

「マッサージ?」

「疑問形で返すな」


 私が非難すると、彼はあっけらかんと笑った。全く反省していない。


「ふふ。怒らないでよ」


 彼の手が私に伸びて頬に触れる。さわさわと撫でてくるので、私は彼の手を軽く払った。


「気安く触らないで」

「嫌じゃないくせに。――まあ、顔色がよくなってきたから安心したよ。疲れが溜まっている顔をしていたから、梓くんも気に掛けていたみたい」

「十八連勤してたら顔色だって悪くなりますよ」


 栄養ドリンクの差し入れがなかったことを思うと、それほど心配しているとは思えなかったが。


「二日酔いが原因じゃないんだ?」

「私、お酒には強いんで」

「君と一緒に飲みたいなあ、お酒」

「嫌ですよ」


 私が冷たく返すと、彼は目をぱちくりさせてとても不思議そうな顔をした。


「どうして? お酒、好きなんでしょう?」

「好きですけど、しばらくは禁酒したいので」

「記憶が跳んじゃったからかい?」


 私は首を横に振る。記憶が跳んでしまった理由は別にあるような気がするのだ。

 さっきの会話も、やっぱり引っかかるし。

 私は彼に探られる前に言葉を続ける。


「違いますよ。単純に飲み過ぎたからです。過労状態で飲む量ではなかったと反省したので、肝臓を労わるためにも一週間は禁酒しようかと」


 よくよく考えると、連勤中に栄養ドリンクにお世話になりまくっていたわけで、肝臓への負担は甚大だったのではないかと思い至る。禁酒は妥当だ。

 彼は冷やかすように笑った。


「わあ、真面目だねえ。じゃあ、禁酒期間が明けたら、一緒に飲もうよ」

「アニキが同席してもいいなら、考えておきます」

「ふふふ。前向きに検討してよ?」

「神様相手に約束はしない主義です」

「それは確かに賢明な判断だ」

 

 残念そうに肩をすくめる。これでこの話はおしまいだ。


「朝ごはん、準備しようか? 出すだけになるけど」

「自分でやりますよ。神様さんは一緒に食べます?」

「うん。同席しても構わないなら」

「了解です」


 私が返事をすると、彼は指をパチンと鳴らして布団を片付けた。ほんと、便利だな、それ。


「朝ごはんのあと、何をするか決めようね。部屋から出られそうにないけどさ」

「そうですね……惰眠を貪るのも勿体無いですし」


 天気は晴れ。外に出られないのはちょっともったいない気がする。


「男女が密室ですることと言ったら一つしかないよ!」

「はいはい」


 隙あらばそういう方向に話を持っていこうとするなあ。

 私は適当にあしらいながら、朝食の準備に取り掛かるのだった。

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