神と友のはざま

吉寺横家

第1話

 私を乗せた列車は帰省客でごった返す大都会の駅のプラットフォームに静かに滑り込んだ。彼らとは異なり荷物の少ない身軽な私は、飛び跳ねるように座席から立ち上がり、扉へと向かった。だが、プラットフォームで鳴り響くけたたましいベル音とそれに紛れた彼らのざわめきが聞こえてくると、私はそれまで自己の内部を支配していた、自分でも驚くほどの平常心とやらを失い、扉の前で平静に立っていることができなくなった。これはいったいどういうことなのか。思わず扉近くの手すりを何度も握りなおす。ふとその手すりに目をやると、光沢のある銀色の細い円柱に私の醜い顔が歪んでさらにいっそう醜く映っている。それは人間とは似ても似つかぬケモノの様相にさえ見えた。


 扉が開くその瞬間から、キンと冷たい空気が私の全身に刺さり、私は一瞬眉をひそめた。自分のいる地域との違いに驚き、「あの人」と別離状態であったという紛れもない事実を改めて認識させられた。


 今まで私は別離という言葉を軽く考えすぎていたのかもしれない。ある人が死ぬことによってその人と別離するという意味ならば別だが(しかし死という別離すら私は実感的にはほとんど未経験である。それは私が幼いころまでに祖父・祖母の類はみな鬼籍に入っていたからである)、人生の節目において人と別れるという意味に関しては、住所や電話番号といった類の情報を交換しておけば、会おうと思えばその人にすぐに会えると思っていた。むろん、私のこの空想めいた思い込みは、これまで実際に旧友との再会を果たさなかったことに起因する。すなわち、私はこれまで仲の良かった友と連絡手段を確保しあってから別れていたのだが、私自身、特に機会を設けて旧友と再会しようとは特別思わなかったのである。そうして私の人生における人間関係は、連絡先を交換してあたかも「生涯の友」という雰囲気を漂わせながら、実質的には人生の節目ごとに完結し、そしてまた一からつくり直されるという奇妙なものになっていた。いま、以前の環境における人間関係を思い起こせば、それはあたかも幼少期に見た夢のように、現実であったことが不思議に思われるほどぼんやりとしたものとしてしか脳裏をよぎらない。


 長いプラットフォームをゆっくりと歩きながらこういったことを考えているうちに、下車する前の動悸に似た現象は収まっていた。隣のホームで再びけたたましいベル音が鳴り、ふとそちらの方に目をやった。自分が乗ってきたのとは別の列車がまもなく発車するようである。


 若い女性が列車のデッキに立ってホームの男性と向き合い、しばしの別れを惜しんでいる。発車間際にその列車から降りてきたと思しき子連れの両親が、「ばあちゃん、ばあちゃん」とせかす子どもに引っ張られて歩いている。私はふと「これやこの」とつぶやいてみた。この瞬間はゆっくりと歩みながら傍観している私も、人生における出会いと別れ――私の場合、再会――を演じようとしている現在進行形の身なのである。その舞台として、駅という場所は現代の逢坂の関といえるのかな、と思った。


 私は歩き続ける。改札口近くの時計台には「あの人」がいるはずである。私はひどく疑問に思った。今まで一度も再会というものを経験したことも経験したいと思ったこともなかった私を、彼と再会することに至らしめた理由とは何だったのであろう。彼と私の関係は親友とはいえない。それどころか、友達という表現もしっくりこないのだ。一方で、仮に私が女性であったとしても、彼に対する私の気持ちは恋にはならないだろう。どういったことか、どうも「あの人」と会っていると私は自分自身と会っているような感覚がしてならなかった。そしてその感覚は別離の直前までだんだんと強くなっていったのだが、こうした、他人と会っているのに自分と会っていると感じる矛盾のなかで、私は「あの人」を最も露骨な私自身に直面する手段としてとらえるようになっていったのかもしれない。よくよく考えてみると、表面的には「あの人」と会っていながら、私は自分の中で起きるものすごい感情の竜巻のようなものに翻弄されつつ、私自身というものの位置づけを模索していったといえるのではないか。決して「あの人」との対人関係をおろそかにしているという意味ではないが、「あの人」に会うことは、全くもって異質な他者としての自己に直面することそのものだったのかもしれない。「あの人」との人間関係、その過程は非常に奇妙奇天烈で、自分ですら不可解なものであった。


     ◇    ◇    ◇


 中学三年の梅雨入り間近のことである。

 

 ……私は徒歩で帰宅途中だった。歩行者用信号が青になり、横断歩道を渡っているまさにそのとき、左の方からとてつもない轟音ごうおんが聞こえてきた。大型トラックである。信号が赤なのにもかかわらず、トラックは減速どころかいっそう速度を上げて交差点に進入しようとしていた。私には急いで横断歩道を渡りきるほどの猶予があったのだろうと思う。しかしこともあろうか、私は足が硬直した。コンクリートが道路だけではなく私の膝まで固めていると思えるほど、足はぴくりとも動いてくれない。クラクションの轟音は鼓膜が破れんほど大きくなり、心の中にわずかながらの覚悟を用意した。


「危ない!」


 私はその刹那せつなに起きたことが信じられなかった。同級生Nが私に向かって体当たりをし、私を道路の端まで突き飛ばした。と同時に鈍い音がし、トラックは猛スピードで交差点を通過していった。


 いつもと変わらぬ平日の夕刻、カラスもいつもどおり鳴き、踏切の警報音と列車の走行音が遠くかすかに聞こえる。この日常の中において、この十字路にはとてつもない非日常的空間が広がっており、その不調和な空気があたりを漂う。


 Nは衝突地点から少し離れたところに痛々しい姿でぐったりと横たわっていた。それは人間というよりもはや物体だった。すぐさまそこに駆け寄り、


「Nくん! Nくん!」


 と叫びにも近いような声で呼びかけた。ここまではほとんど無意識的だった私も、自分の声帯からNの名前が呼ばれると、声帯の震えからほんの一瞬遅れて全身の震えを覚えた。Nはかすかにうめき声をあげ、その吐息は今にも消え失せそうであった。Nとは当時、顔見知りの関係にすぎなかったのに、なぜNは自分を犠牲にしてまで私を助けたのか。周りの者から常に尊敬の目で見られ、文武両道で前途が有望視されていたNの将来を断ち切ったのは、間接的には本来Nの代わりに死ぬはずであった私ではないのか。私の目にはNが悲劇のヒーローとして映ると同時に、彼が失った分の価値を自分が持っているとは思えないことに私は絶望した。私はNという生のともしびが消えかけた物体の前でうずくまっておいおい泣いた。


 これは悪い夢だ、と思いながら緊急電話もそこそこに、私は学校まで走り出した。本来そこにいなければならないのは分かっていたのだが、現場のことは誰かがやってくれる、自分は学校にこのことを知らせなければ、と直感的に感じたようである。


 普段走り慣れていない私の身体はほとんど極限状態であった。そのことが己の体力の乏しさをさらに実感させ、Nに対する申し訳ない気持ちがいっそう私を支配した。友人と談笑しながらだとあっという間の、学校までのこの道のりが千里のように思えた。よく「無我夢中で走る」と言われるが、このような状況には思いの外、歩道の側溝に無秩序に生えた雑草や横断歩道のかすれた白色、電柱に貼ってある怪しい金貸し業者の広告がいつもより鮮明に目に飛び込んでくる。ここにも日常のあまりにも平和すぎる光景が広がっており、数百メートル離れたあの交差点とここにいる自分だけが非日常であるという事実に私はひどく混乱し、Nの惨状がさらに痛々しくフラッシュバックされた。


 一刻も早く、一刻も早く、と気ばかり焦って、もう走れそうもないと悟った私は、バス停にさしかかったところで、ちょうどそのときやって来た学校方面へのバスに飛び乗った。梅雨入り前のじめじめとした空気から一転し、バス独特のにおいがする冷房の風にあたり、一瞬安堵するが、その直後、この局面にあって安堵する自分自身に嫌気がさすと同時に腹立たしくなった。バスの中も日常にあふれかえっており、老婆と老婆が楽しく談笑していたり、受験生と思しき女子高生が英単語の冊子を開いて赤シートで覚えていたり、会社帰りの若い男性がイヤホンで音楽を聴きながらウトウトしたりしている。私はこのとき、自分の行動が正しいのか初めて疑問を感じた。学校に報告するならば、近くの店に駆け込んで電話してもらえばよかったのではないか。私は学校に報告するという名目であの事故現場から「逃げて」いるだけなのではないか。自分では全く意識していなくても、私がNに身代わりになってもらったことをこれから一生背負うことになる心の負担を厭って、Nが勝手に事故死したことにして、私は無関係であることを装わんとしているだけなのではないか。しかし、今さらあの事故現場に戻る勇気もなかった。まずはこのまま学校に報告しに行こう、と思い直したが、いずれにせよ自分で最善の対応ができなかったことをひどく恥じた。私はNに身代わりになってもらいながら、現場のNを見捨てたのである。「恩を仇で返す」。ふとこのことわざが脳裏をよぎり、さらなる胸の痛みを感じた。視界がぼやけてきていたが、確かに、バスの窓から見える銀行の電気が、パッと消えた。……



 目を開けると、自分の部屋の天井が視界に入ってきた。幼いころに「怪物に見える」と夜な夜な怖がって泣いた茶色いシミを見つめ、私は自分でも不気味に思えるほど、フフッと笑った。まさかこれほど臨場感のある夢を見るとは、ね。私は驚くと同時に、陳腐なストーリーだ、とその夢をいかにもくさいドラマと同列にとらえるよう努めた。だが、眠っているときにほおを伝ったしずくが乾いたことによるかゆみが私の顔に広がっていた。と同時に、現実のNに対するかたじけない気持ちと、どこか憧憬しょうけいに似た気持ちが生じてきた。これは所詮子ども向け番組を見た子どもの反応である。「せいぎのヒーロー」が「ぼく」を助けてくれた。「ヒーロー」はしんじゃってざんねんだけれど、「ぼく」は「ヒーロー」にいっきにあこがれた……というレベルである。しかしながら、それで話を結論づけるのには私のなかでどこか躊躇があった。それは、あの交差点から学校へ向かった時に脳を駆け巡った複雑な思いのみに起因するものではなく、何かほかの要因――別次元から発せられる、さらにスケールの大きい「何か」――によるものだった。それはまさしく、そこにあると分かっていながら何なのかが漠々としている、私の宇宙に広がるダーク・マターであった。



 週明け、私は実際にあの交差点を通り、バスが縁石を挟んですぐ脇を臭い排ガスを残して抜けていくのをぼんやりと眺めつつ、友人と上の空で話しながら登校した。確かにそのときは何の感慨もなかった。夢と同じ光景であったが、あの怪しい金貸し業者の広告はもう剥がされていたのを確認した。しかし、その時点で私はおかしかった。これまで私はどれほど衝撃的な夢を見ても、うつつの日常の波にさらわれてその夢の内容はいつの間にか記憶から消えていたのだが、今回は脳裏にこびりついている。そしてそのぼんやりとした状態の中で学校に着き、私は「あの人」――同級生N――を目撃してしまった。


 絶句である。私の朦朧もうろうとした感覚は一気に吹き飛んだ。私は自分の心臓が丈夫で本当によかったと思った。先週、つまり私があの夢を見る前、この教室や窓の外の風景はいまと何ら変わりなかった。始業前のざわつきも同じである。しかし、いまのざわつきの一構成員となっているNに対する私の印象は劇的に変わってしまったのである。


 自分でも自分がばかげていると思った。そして、自分で自分を滑稽だと思った。どうして夢などにふりまわされなければならないのか。むろん、夢では本当にありがたかったし、Nは文字通り命の恩人であり、自分がとっさに渡りきっていればNが死ぬこともなかったから、夢の中でのNに対しては申し訳なく思った。けれども、夢は夢である。現実は現実である。現実のNと夢の中のNは同じではない。とりわけ、あの夢はベタな小説で描かれるような典型的・陳腐な展開であった。なおさらその中のNは現実のNとは乖離している。そういうことを十分承知していながら、私には現実のNまでもが神々しく見えてしまった。


 さすがに私は焦った。これまで「よく分からない、ちょっと天才かもしれない謎めいた同級生」としてしか見ていなかったNが、急に私の「ヒーロー」となったからである。私はいい年をして、子どもが本気になって夢中になるヒーローを手にしてしまった。なお、このヒーローという言葉は後から思いついた言葉である。当時はNをヒーローとはとらえていなかった。では何ととらえていたのか。――神、である。



 思うに、子どもにとってヒーローは、神格的位置づけなのかもしれない。彼らにとって、正義のヒーローが負けることは決してあってはならないことであり、ヒーローとはすなわち絶対的な存在である。この「絶対」という言葉は非常に厄介なもので、あらゆる行為を正当化してしまう。子どもにとってのヒーローは、宗教という概念を知る以前の原始的な神といえるだろう。


 私はNを子どもからみたヒーローのように、本当に神格的存在としてとらえ、滑稽にもあがめていた。しかし、これはNだからこそありえる話であった。文武両道であり、皆から尊敬の念を集め、どこか不思議なオーラを発するには、たとえあの夢のような偶発的要因であれ、Nを神格的存在と見なす余地は十分であった。私からすれば、Nに対する気持ちは尊敬ではなく、もはや尊崇、崇拝の域であろう。


 気がつけばNを探している。Nを一目見て、心を洗われたい。Nの神々しいパワーを自分も受けて、希望をもらいたい。そう思う私は、もはや怪しい宗教の信者状態であることは確かだった。手をすりすりして祈る私の姿はいかにも不審者であっただろう。また、どうにもこうにもNを一目見たいと思い、Nのいる教室をちらりと覗く姿は、もはや片思いの人に対するストーカー的行為にも映るかもしれない。それは一理いえそうな感じがするが、歪んだ恋愛感情に起因するそのような行為とは決定的に異なる部分があった。というのも、休み時間の終わりがけ、遠くに見える廊下の果てに、サッと現れそして物陰に消えていくNを目にしたとき、私にわき起こる感情は嬉しさという類ではなく、緊張という類でもなく、深い深い罪悪感であることだ。神聖なNをこの「けがれた」目で見てしまったという後ろめたさがしばらく私を襲うのである。しかし時間が経つと、このようになると分かっていながら、Nを一目見たいという欲求が高ぶり、一目見てまた罪悪感を抱いた。いわばそんな負のスパイラルに私は陥っていった。もはやNを「信仰」している私にとって、Nは観念的な存在になってしまった。



 他の人と変わらぬ何気ない平凡な日常生活の中で、ふっとNのことが思い出され、たちまち尊崇の念にかられるという非日常的感覚を味わう。私のこのような現象は、完全にあの夢そのものによる影響ではなくなっていた。あの夢が契機であることは変わりないが、現実のNを観念化してしまった以上、あの夢の場面を思い出さずとも現実のNでさえ夢の中のNのように非現実的な存在なのである。そして、Nを一目見ると、救済されたような一瞬の心の充足を感じたのちに、現実に生きるNの生々しさに直面し、ひどく混乱してしまうのである。そのような非日常が次第に日常の中に組み込まれていった。しかし、あくまでもそれは日常の中の非日常にすぎず、その苦しさから解放されることはなかった。



 私の異変は端から見ても明らかだったようである。あるとき、友人にこう言われた。

「聡輔、きみ、このところ最近ずっと元気ないみたいだね。なんかあったの」


 私は驚いた。自分では日常生活の中にNが入り込んだとはいえ、日常生活そのものには何ら影響がないものと思っていたし、Nを考えていない間は全くもって一般人だと思っていた。しかし、Nへの信仰が自分の内面へ内面へと向かうにつけて、自己そのものまで内向きになっていたのかもしれない。びくびくしながら尋ねた。


「えぇ、……なんで」

「だって、なんか寂しそうにぼやーとしているんだもん。マンガで言う、縦線がいっぱいのどよーんとした雰囲気で」

「縦線がいっぱいのどよーんで悪かったね」


 私はぶっきらぼうに答えたが、友人の茶目っ気ある言葉に救われた気がした。他人から「縦線がいっぱいのどよーん」と言われたものの、実際のところ、私は寂しいというわけではなかった。友人にも恵まれている方だったし、当時の生活に満足感も覚えていた。しかし、友人の目に寂しいという印象を持たれたのはなぜなのだろう。自己の内部に神格的存在をもつと、センチメンタルな感情になりやすいとでも言うのだろうか。

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