第12節:孤児たちの女王

 はっきりと聞こえる蹄鉄の音が、強い風の音とともに、耳を何度も通り過ぎていく。頬や鼻筋が少し冷たく感じるのは、ずっと風に吹かれているせいかもしれない。

 アンナは馬の揺れにつれて段々目覚めたが、目の前が真っ暗で何も見えなかった。前方がカーテンで覆われたみたいに、手を伸ばしてそのカーテンを持ち上げようとしたが、両手を後ろで縛られていることに気がついた。

「起きたか?無闇に動くな、落ちるぞ」エステルの声が背後から聞こえ、そして彼女はアンナの頭を軽く叩いた。「あと、くすぐったいから、あちこち触らないでください」

「あたし、なぜ目隠しを?」

「お前の強さは常人離れしている。先に感覚の一つでも封印でもしなければ、私はもうお前に勝てん」

 それは確かに合理的だった。自分がエステルだったら、大体同じような方法で身を守るだろう。アンナは長くため息をつきながら自分の運命を受け入れ、「この馬はどこから手に入れたんですか?」と何気なく聞いた。

「川で水汲みした時に見つけたんだ。おそらく戦闘中に怖気づいて逃げてきた偽キャラバンの馬だろう。私たちは運が良かったな!こいつのおかげで、あと少しで目的地だ。予想より半日も早く着くぞ!」エステルはほくそ笑んだ。

 最後の言葉は自分に向けて言ったものだとわかり、アンナの心にかかったモヤは少し晴れた。エステルは賢く、挑発的な発言をしないようにした。そうでなければ、アンナは遠慮なく手を出していただろう。

 どうせ暇ならもっと情報を収集したほうが損はしないし、この悪女が遺物の行方を知っていれば尚更だ。「ポポセイ港で何をするんですか?なぜあたしが役に立つんですか?」

「もちろん、お前が所属する商人ギルドと取引するんだ!浮遊世界最強の商人ギルドなんだから、私が提案する小さな契約などケーキを一切れ食べる程度のものだろう!」

「あたしを利用して身代金をせしめるつもりなのですか?もしそうなら、そんなことは考えないほうがいいですよ。一銭も手に入らないばかりか、商人ギルドに捕まって、利益のために騎士たちと交換することになるかましれません。それはあたしたちお互いにとってデメリットですよ」アンナの言葉は嘘ではなかった。商人ギルドは既にすべてを持っているが、商売のチャンスはいつも大歓迎だ。

 エステルは大笑いして、アンナの髪をぐちゃぐちゃに撫でた。「お前の頭脳は確かに金になるだろうな!でも私は身代金に興味はない。継続的に利益を生みだせる物のほうがいいんだ。それを手に入れて初めてこの旅は価値があるからな」

「だったら教えてください。あたしの力が必要だと言いましたけど、一体何しようとしているんですか?」

 しばらく考えてから、エステルはこういった。

「私はお前の力を借りてお前の商人ギルドのポポセイ港支店と契約したいのだ。内容はこうだ。私が必要とする入国用の情報を商人ギルドに調査させ、最終的に計画を成功させたら、戦利品の一部を商人ギルドに渡すという契約だ。お前たちが頭を使って、我々は力を出すということだ。我々の安全が確保され、お前たちも常に儲けられるわけだ。どうだ、悪くないだろう?」

「バカバカしいです。そんなものはあたしを誘拐しなくても買えます。大体、自力で調べればいいじゃないですか。そんなことにお金の無駄遣いする必要がないでしょう」

「そうだね。ならば、お前をハムプアに売ろうか。知っている奴隷商人の一人がそこで商売している。確か今夜に船便がある」

「ふざけるな!」アンナはあがいて、大量の血気を放出した。

「ハハハ、落ち着け、冗談だよ!」エステルがそう言ってアンナの頭を撫でた。誰がクルップルの猫を買って奴隷にするんだ?ハムプア人を百人買ったほうが割りに合う。噛みついてこないしな」

「こう言ったほうがわかりやすいか。我々が強盗するターゲットは貴族だけだ。奴らが送り出すキャラバンの情報は入手しづらい。関所で入手した情報は偽造のものか暗号化されている。そして羊に化けた狼もいる、今日のようにな。この前、手に入れた情報は我々が自力で港に行って手に入れたものだ。手間をかけても無駄な情報を得ることが多い。情報に不明な点が増える以上、作戦に移ることができない。そんなことで一部の団員が不満を持つようになり、待てば待つほど焦り出し、最後は一攫千金のチャンスとばかりに、自分の命で富を交換しようとする。それは一か八かの賭けと同じだ。だから、そんな欲張りな団員を納得させ、他の団員を安心させるために、安定した情報源を手に入れてやろうと思う」

 これを聞いてアンナは鼻で笑って、悪女が聞いていたことを期待した。「実は、貴族から奪うことに執着しなければ、こんな面倒なことをする必要はないんです。一般のキャラバンが持つ金も金ですから」

「それは仕方ない。私は貴族に恨みを持っているからだ。団員が勝手に一般のキャラバンを襲撃したら、除名されるからさ。私には人脈も資源も頭脳もある。本気で私を怒らせようとする部下はいまい。だが最近、副団長が少し金を持つようになって野心も抱くようになった。このままでは面倒なことになる」

「貴族に恨みでもあるんですか?」とうとうアンナはつけ入る隙を見つけた。「それなら王宮にいる狐はなぜあなたを救うようにあたしに依頼したんですか?そして、とても高価そうなペンダントをプレゼントしてくれました。あなたに求婚するつもりなのでしょうか?」

「そうかもしれんな!ならばお前が私のブライズメイドになってくれるか?」

 エステルが話したくないのは伝わってきたが、せっかくこの話題になったので、聞けることは絶対聞いてやることにした。「それで、狐は一体何者なんですか?王宮から商人ギルドへ密使を送り、プリム祭の調査を依頼し、そして秘密裏にあたしにあなたの救出を依頼しました。全然あなたに恨まれているようには見えませんね」

「私が知る訳ないだろう。何度も強盗されて、私を好きになってしまったんじゃないかな?」エステルの感情は揺らいでいた。秘密が暴かれそうになっている者の多くが見せる反応だ。

「当ててみようか。おそらく、あなたたちは二つの家族の確執で別れた恋人同士でしょうか?だから貴族を憎み、金を奪い続けているのでしょう。狐はある大臣の息子ですか?それとも高位の騎士の一人ですか?」

「なんだ?よく眠れた後、たくさん話せるようになったじゃないか。ほら、保存食だ。遠慮せず食べるがいい──」

「いや、お腹は空いてないのです!口に詰め込まないで、そんなことを聞いてないから手を離して!」

 当分はこれ以上何も聞けないだろう。本当にケチな悪女だ。しかし、相手の反応を観察していると、エステルが狐の正体を知っている。そして貴族を憎む気持ちが本物であることが概ね確定できるだろう。そこでアンナは、狐は団長が王宮に送り込んだ手下か、団長の義賊活動を高く評価する役人だと推理した。

 その後、途中では二人とも言葉を発しなかった。せいぜい、お腹は空いたかとか、おしっこがしたいかとか、山がきれいだとか――アンナには見えなかったが――くらいだろう。

 その直後、アンナは蹄鉄の音以外の音が聞こえた。市場にいるようだ。エステルはアンナの目隠しをはずし、「乗客の皆様、シルバーウェア王国最大の港都、ポポセイ港に到着しました!」と元気な声で言った。

 アンナは寝ぼけまなこで瞬きをした。想像中の森は消え、代わりに後背地広場を埋め尽くすテントの海と、現れては消える貨物の山が見えた。この景色は薄暗い陽光に照らされて淡い金色を帯びている。これらはすべて王都に向かう準備を整えた商人や貨物であり、銅の月が始まって一週間が経った今でも、王都に輸入待ちのものがまだこんなにたくさんあるとは。

 エステルは頭巾を結び直して、アンナの縄を切った。二人は商人たちのいる広場を横切り、城門の関所までやってきた。エステルはくしゃくしゃにした書類一枚を門番に渡すと、門番はそれを数秒見てから門を開け、敬礼にも近い態度で二人を城内に迎え入れるのであった。

 アンナはエステルがクルップル商会の通行証を手渡したことに気付いて、それを勝手に使ったことについて怒って抗議したが、気持ちのこもっていない謝罪をされただけだった。

 大通りから港を見渡すと、家々の後ろに風や波でわずかに揺れている数本の巨大なマストが霞んで見える。一方、空の向こう側では、大きな気球一つがゆっくりと膨らんできた。周りのロープがピンと張ってまっすぐになったところで、気球が屋根から浮き上がり、プロペラによって空へ突き進んでいった。

 エステルは変装グッズを売っている店を見つけ、茶髪のウィッグと伊達眼鏡を買った。アンナはふと、変装用の頭巾を乾かすために取り出すのを忘れてリュックの隅に詰め込んでしまったことを思い出した。今頃は腐ったワカメのような悪臭がするに違いないと思った。

 いくつかの通りを渡り、二人はクルップル商会の支店に到着した。入り口の受付に合言葉を言うと、馬を荷揚げ場へ案内し、馬小屋を一部屋手配してくれた。礼儀正しく挨拶を交わした後、上の階に上がって管理人に報告しに行った。

 アンナは痛む腕と肩を伸ばし、馬水槽の水で体を軽く拭いた。すると、頬と腕の汚れが落ちて、ようやく気分が落ち着いた。くせ毛の髪をポニーテールに結び、エステルの準備ができたかと振り返ると、ブラウンヘアーの美しい女性が眼鏡をかけようとしているところを見た──

 盗賊団の団長の格好でもいいんじゃないかと、アンナは思わず聞いた。エステルは苦笑いして、その秘密を絶対に明かさないようにと頼んできた。

 しばらく経つと、受付の人が戻ってきて、彼女たちを上の階へと丁寧に案内してくれた。一行は優雅な雰囲気の廊下を通り、VIP応接室に入った。中には一人の紳士が背筋を伸ばして待っており、相応しい笑顔で二人を迎えた。

 この男はこの支店のマスターだ。シルバーウェアにいる多くの人たちのように亜麻色の髪とブルーの瞳をしている。アンナは彼がサゼラック人とジャフェンラージュ人の混血だと前もって言わなければ、エステルにはわからなかっただろう。噂通り、クルップル商会で管理職につくにはサゼラックの血を引いている必要があるということだ。

 マスターは二人を席に座らせ、自分もそばにあるソファに座った。アンナと視線を交わしても、その表情は変わらなかった。

 アンナは、マスターにエステルのことを簡単に紹介した後、エステル自身が事業提携の申し出について説明した。

 マスターは椅子の背もたれに背中を預けて足を組み、両手を膝の上に置いて、営業スマイルで静かに聞いていた。キーワードが聞こえると二つの親指を離したりくっつけたりして、集中力が持続していることがわかるようにしていた。

「上記の申し出に同意するならば、私は百六十八マラックの保証金を支払い、貴会は一年以内に我々が奪った戦利品の収益の二割を受け取り、一年後に契約の更新を検討することになります」エステルが言い終わると、アンナは目を大きく見開いた。相手が自分を交渉の材料にするのではなく、単に実力で交渉していることに驚いた。

 マスターは笑顔のまま、しばらく考えてから返答した。「エステル団長、あなたの申し出は非常に魅力的です。当会にとっても大変興味深いものですが、特にあなたととことんお話したい事があります」と答えた。

 エステルはわざとらしい笑顔と眉で、相手に好きなだけしゃべっていいと合図をした。「税関の二次検査書類のチェックや偽造も簡単にできますから、百マラックの保証金が妥当でしょう。ただし、収益の分け前に関しては三割を取りたいのですが、いかがでしょう?」

「問題ありません」エステルは快諾し、アンナに顔を向けて「それと、追加サービスをお願いしたいのですが、このお嬢さんは急いでいるので、貴会最速の飛空艇を一隻借りて、私たちを送っていただくことは可能でしょうか?」と言った。

 その言葉を聞いて、アンナは驚き喜んだ。もう真面目な表情に戻ることができないまま、期待に満ちた表情でマスターのほうに視線を向けた。

 その様子を見たマスターはとうとう笑い出した。その瞬間、これまでの笑顔よりも信実な表情になった。「喜んでお受けします。では、契約が成立しました。当会のサービスはご満足いただけるものだと思います。契約書と飛空艇は四時間以内に準備できますので、リフレッシュして休んでいただけるよう、当会がVIPルームをご用意しました。それでは、失礼します。ごゆっくりお過ごしください」

 エステルはマスターと一緒に席を立ち、笑顔で握手を求めた。

 マスターはその礼儀を象徴するジェスチャーに目をやり、背中の手はそのジェスチャーに反応せず、そして意味深な笑みを浮かべた。「エステル団長、申し訳ありませんが、当会はお客様の信頼を得ることが最大の原則です。その対価として同等以上のサービスを提供します。あなたの信頼を全部得られなかったのは当会の実力不足です。総マスターの期待を満たすことができないので、握手を交わすことができないのです」

 営業スマイルを浮かべる二人を見て、アンナは頭がこんがらがっていた。仮にエステルがウィッグを被っていることがマスターにバレたとしても、そんな発言で晒し者にする必要はないだろう?アンナは心の中で「商談は成立したんだから、これ余計なことはしないでよ。マスターさんよ、あたしの任務のことはわかっているはずでしょ……」とつぶやいた。

 エステルは俯いて、しばらく黙っていた。彼女が再び顔を上げると、笑顔を広げてから眼鏡を外し、ウィッグを下ろして金髪のウェーブを背中に垂らした──

「そうですね。たくさんの人の心を見抜いてきた、情報通のあなた方に対して、隠し通すはずがないでしょうね」団長は再びマスターに手を差し伸べた。「ありがとうございます。私はサラ・エリザベス・シルバーウェアと申します。貴会の偉業のことは存じ上げております。一緒に仕事ができることを嬉しく思います」

 アンナの頭が反応する前に、マスターはサラの握手を受け入れていた。「ご支持いただけたことを、当会は最高に光栄と存じております。王女様」

 ここでサラの視線がアンナの顔に戻り、高貴な笑顔が広がった。「避難所の街から来た女の子よ、あなたと一緒に旅するのは本当に楽しいね」


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 今夜も夜空に月明かりはなく、雲は天蓋の下に墨の色調だけを残した。そのとき、一隻の飛空艇が雲を突き破り、別の雲に潜り込むように速く動いている。そのエンジン音はあまりうるさくないが、航路の静かな雰囲気をかき乱している──

 アンナは船尾の一番隅にある樽の上に座り、二枚の毛布がキセルを持っている手を除いて、肩から下を全部覆っている。彼女は甲板と船首、そして無数のロープが織りなす夜景を見つめながら、風を浴びながら一人きりの静かな時間を楽しんでいる。

 少し離れた艦橋から顔を出したサラは、同じく毛布に全身にくるみ、指すら毛布から出さないまま、アンナのほうに向かってきた。プロペラの音に人の言葉を邪魔されない距離まで踏み込むと、サラは「外は本当に寒いわね。寒いのは平気なの?飛空艇に乗ってからずっとあそこにいたじゃない」とアンナに声をかけた。

 アンナは煙を吐いた。「平気です。ここには九十度ありますから」つまらない冗談に何の反応もしないと思っていた相手は、目を丸くしておどけたように唇をすぼめた。それ自体は冗談が面白いと感じるように見えなかった。逆にまた人の頭を撫でたいという表情に見えたので、アンナは先回りして「少し考えてみました。あなたが王女様ですから、狐は王様なんですか?」と聞いてみた。

「違うよ」サラの魂は突然の波動に揺らぐことなかった。彼女は真実を語っているのだろう。

 アンナはキセルを手に取り、火皿を王女から少し遠ざけた。「よくわかりませんが、商人ギルトのマスターと交渉したときにあたしを交渉材料にせず、自分で多額の手付金を支払ったのですから、あたしがその場にいる必要は全くなかったではありませんか?それに王都にもうちの商人ギルドの支店があるのに、なぜ港都に行く必要があるんでしょうか?」

「バカね。あなたたちはお互いアイコンタクトを取り合っているのに『人質がいること』をこちらから言う必要があるの?」サラも横にある樽の上に腰を下ろした。「それに、もちろん入国の件は港都の支店に依頼するほうが早いじゃないか。王都の支店に行ったって、港都の支店に仕事を請け負わせるんだからね。それに、高速飛空艇をチャーターするのに普通はいくらかかると思ってるの?あなたの商人ギルドがそこでお金を取らなかったのは、私にあなたと協力して、絶対に狐が与えた任務を達成しろって、暗示しているじゃないの!」

 アンナはまだ少し納得がいかない様子で、口を尖らせた。王都の支店もサラの要望に応えられるし、より多くの資源を持っているだろう。なんとなく団長が港都に行くことを決めたのは、わざと自分を引き留めようとしている気がする。

 王女はアンナのふてくされ顏に気づき、商談をする時よりも誠実な口調で言った。「正直に言うわ、アン。あなたの腕はあなたの身分の何百倍もの価値があるのだ。たとえ一万マラックがあっても、今夜中にあなたより優れた人材を雇うことができないだろう。狐もきっと同じ考えで、あなたに私の元に来てくれるよう頼んだんだわ。だから、盗賊団の件が片付くまで、あなたは私のそばにいてもらわなきゃ。私たちが先に王都へ帰って、あなたが欲しいものを手に入れて去ろうとしたらら、誰もあなたを止めることはできないから。あなたも一応商人だから、口約束がどれほど安っぽいか知っているよね?さあ、私の目を見て。私たちの王都の城壁は、あなたにとって、花畑の柵のように低いじゃないか?」

 アンナは横目でサラを見つめ、灰色の煙をゆっくりと吐いた。洞窟での約束は心の底からのもので、サラを欺くつもりはなかったとはいえ、それは誰がわかるのだろう?遺物が手に入り、武僧が見つかり、ラビに何があったとき、異民族の王女との約束は重要なままだろうか?確かに向こうの言う通り、欲しいものが手に入るまで、全ての約束はカウントされないと判断するほうがいい。やはり考えることは皆同じだ。

 約三十分後、艦橋から大きなバックパックを二つ手にした船員が現れ、二人に近づいてきた。「こんにちは、あと十分ほどで目的地の上空に着きますので、荷物を取って一緒に来てください」

 船員は二人を甲板のフェンスに案内し、ランディングバックパックを手渡した。「現在、地上からの高度は約七百メートルです。船長の笛が鳴ったら、すぐに飛び降りることができます。集中のうえ、緊張しないでください。飛び降りてから三秒以内にパラシュートの紐を引けば安全に着陸できます。では、私がバックパックの着用をお手伝いさせていただきます」

 サラと船員がランディングバックパックのバックルに注目していると、アンナはフェンスから身を乗り出し、飛空艇から上半身を突き出して眼下の暗い樹海を見下ろした。さっき船員が告げたように、航路の前方に星のような光体が見える。それは真っ暗な大地に突拍子もなく目立つしるしをつけた。

 その光体は船体に素早く近づき、そして密集している無数の小さな光の点になって広がっていく。光の点もさらに大きく、明るくなっていく。

「面倒なことはやめて、こっちのほうが早い!」アンナはフェンスの内側に足を戻し、手に持っていたランディングバックパックを甲板に置いてから、サラの腰に腕をまわして飛空艇から飛び出した。

 王女の悲鳴は突風に巻かれて、細く長くなっていった。アンナは心に一片の恐れもなく、逆風の中で大きく目を見開いて、急速に向かってくる大地を見つめた──


 右手でサラを肩にはさみ、左手で木の杖を取り出すと、体から溢れ出した魂が千枚の羽となり、夜空に輝く流れ星のような光の軌跡を残した。

 樹冠に飛び込むと同時にアンナは木の杖を伸ばし、太い枝に正確に引っかけた。木が触れ合った瞬間、杖から木にオーラが流れ込み、両者から大量の羽が吹き出すと同時に、不自然な強靭さが付与された。太い枝がわずかに曲がっただけで二人が落下した際の衝撃を分散させた。

 惰性の勢いで、杖は二人を一周半回せた。その勢いが完全になくなったところで、アンナは杖を枝から外し、サラの拘束を解除した。

 二人は別の木へと軽く放り出され、空中に浮いていて、それぞれがつかまるものを見つけるのに十分な時間があった。

 最後の羽が指の隙間から飛んでいき、アンナはそっと息を吹きかけて、この無謀な行為を終わらせた。その時、彼女はあまり考えず、ただ早く着地したかっただけだった。これに乗じてサラをからかう気がなかったとしたら、それは嘘になるが、せいぜい『ついで』程度だっただろう。何しろ、からかうことが主目的なら、羽を出すこともできず、血気に頼って二人の死体がバラバラにならないのが最善の結果だろう。

 内面も外面も落ち着くと、しばらく続いていた笑い声が聞こえた。それはだんだん澄んできて、最後は長くて豪快な雄叫びになった──

 アンナは困惑した表情で嬉しそうに笑っているサラを見た。明らかに、相手は変な顔をされても構わないようだった。そして、サラは両手でアンナの首に回して、さらに無礼に自分の頬でアンナの頬をこすった。「あなた、本当にすごいわね!楽しかったわ。またいつかやりましょう!千メートルの高さはどう?」

 飛空艇からの飛び降りがサラを怖がらせたのは言うまでもないが、アンナ自身も相手の反応にびっくりした。

 ラビとヨナの家にいる兄弟姉妹以外に、自分の技量が他の人間に純粋に評価されたのは初めてのことだ。特に、彼女の腕前を知った商人ギルドの要人たちは、ラビを会うとよく「依頼料はいくらですか」と聞いてくるので、打算的な目で見るのは仕方ないことだった。

 今立っている場所は地上二階ほどの高さしかなく、サラは木の構造に沿って、膨らみのある根元まで三歩くらいで降りた。アンナはもちろん、直接ジャンプして降りたのだ。

 この木の近くには、村の入り口まで続く草木の生えない一本の道がある。

 その時、道に二つの光が現れ、ゆっくりとこちらに寄ってきた。それが村の人たちだと思ったサラは森から出て話しかけようとしたが、光が彼らの胸に反射していることに気づき、警戒してアンナを灌木の間に引き入れた──

 二人は地面に這いつくばり、葉の間から近づいてくる人影を覗き込んだ。相手が持つオイルランプで──リストガード、胸当て、兜、剣などの外見の特徴が明らかになった。

 サラは思わず小声で「あの時の騎士たちだ。やはりここまで来たんだ」と独り言をつぶやいた。

「あんたの声が大きすぎるんだよ」

「そうじゃなくて……」

 二人の騎士は道の端をぶらぶらと歩きながら、木々の間にオイルランプを突っ込んだ。下草に剣を突き立てて、好き勝手なことを続けていた。その様子から、先程の笑い声の出どころを探っていることは明らかだった。

 二人が近づいたのを見て、サラはアンナにウインクした。親指と人差し指で自分たちを指さして、それから二人の騎士を指さした。最後に手刀で首の後ろを二回叩いた──指示の内容が簡単でわかりやすかったから、文化の違う人でも理解できたのだ。

 アンナはうなずくと、親指で喉を掻っ切る仕草をして、白目をむき出しにして舌を出した──見事エステルから頭を叩かれた。

 喧嘩をしているうちに、二人の騎士は突然、前方の灌木の間に引き込まれた。その後わざとらしく音を抑える格闘が始まって、タイミングよく止められた助けを求める声が聞こえた。騒ぎはすぐに収まり、サラは何が起こったのか察したようで、快く灌木から顔を出してくれた。

「団長、ちょうど近くにいたのですが、団長の笑い声が聞こえたので見に来たんです」盗賊の格好をした男が現れた。

「縛り上げたら、森まで退却してから話そう」とエステルは命令した。

 アンナも地面から立ち上がった。限られた視界の中で、エステルの言葉に反応して行動する人影をたくさん発見した。彼らの魂には不安や恐怖、怒りなどが入り混じっていた。でも面白いことに、エステルが話したり、命令するような仕草をしたり、あるいは視線を送ったりしただけで、彼らの不安の感情が大幅に緩和された。

 一行は不運な二人の騎士を連れて森の奥へと進み、二三十人は入れそうな空き地にたどり着いた。ちょうど周りの木の根元に光るキノコが少し生えていて、その光はお互いを識別するのに十分な明るさがあった。

 エステルはアンナが持つ麻酔粉で二人を気絶させると、団員たちと状況を整理し始めた。橋の爆破から始まり、脱出、盗賊団の避難所での待ち合わせ、そして最後には両チームの意見が合わず、今のメンバーだけが残った──

 アンナは黙って聞いていたが、その中にはエステルと共に橋を爆破した者だけでなく、森で手伝ってくれた団員も含まれていることに気づいた。事実の説明や告発の口調から、彼らがエステルに最も忠実な小隊長や団員であることは間違いないだろう。

「我々は規定に従い、十二時間シェルターに滞在し、戻ってきたら村が騎士だらけでした」と、小隊長らしき男が言った。

 また別の男は、「村人が危険を冒して投げた投石の手紙は先に受け取った。騎士たちは夕方にかけて村を発見し、先に戻った団員を拘束しました。亡くなった団員の妻たちも、村長も捕まってしまいました。夜間外出禁止令が出されてしまったから、村人は許可なく家の外から出られなくなりました。村の入り口にあった数台の荷馬車は、早朝に囮として使ったもので、夜明けに裁判のために都へ移送する囚人を収容するために使われました」と言った。

「全部あいつらのせいだ!自分のボスが死んだら、みんな迷子の少年のようにパニックになって、規定をすっかり忘れてママを探しに家に帰っちゃったんだ。ほら、やばいことになったな!」小隊長の一人は、この言葉を長い間準備して、この時を待っていたように、大いにエステルの前に披露した。

「モルデカイが死んだのか?」続けて質問するエステルの口調と表情は、どちらも複雑でどのような意味にも解釈することができたから、非常に興味深いものだった。まるで信じられないような、それとも、予想しているような感じだ。残念に思う部分があるかどうかと聞いたら、そのような感情も確かに感じられた。

 団員たちがお互いに顔を合わせて、最もこの質問に答えるのに相応しい人間を目つきで推薦していたが、ようやく誰かがこの『ミッション』を引き受けた。「はい、騎士たちが集めた死体の山に、副団長の死体を確認しました」。

 それを聞いたエステルはしばらく黙り込んだ。その表情は喜怒哀楽がはっきりせず、彼女は片手で口を覆って、洞窟でやったのと同じように、もう片方の手で『チェスの駒』をいじり始めた。

「よし、大体理解した」エステルは顔を上げ、先ほど副団長の訃報を伝えた男に言った。「ジョナサン、使える装備、人員、動物の数を把握しろ。他の者はこちらを見てくれ、これから戦術の説明を行う」

「団長、あの強欲な連中を助けるんですか?」とある小隊長が驚くと、背後からその言葉に呼応した呟きが多数聞こえてきた。

「そうだ。我々は彼らを救うのだ」エステルは、一ミリも目を逸らさず相手を見た。「意見の相違はあったが、過去に金を分け合って作戦に協力していた時、彼らがお前にひどい仕打ちをしたことはなかっただろう?」

 これを聞いて、反対派の団員は黙ってしまったが、眉間を緩めることはなかった。彼らは口をわずかに動かし何か言いたげだったが、なんらかの理由で、反論が喉に詰まった。

 エステルは話を続けた。「そして、今困っているのは彼らだけでなく、近所住民や村長もだ。おそらく、あの大尉は罪人の数を利用して自分の功労を高めようとするのだろう。そういえば、軍隊にはまだこんな時代遅れの功労の積み方があるのだな。大切な人を失うだけでも辛いのに、もう死んでしまった者のために責任を取らされるのは願い下げだ」

 その時、人の群れから一人の若い団員が立ち上がり、震える声でこう言った。「だ、団長、これはおかしいですよ!団長は俺たちに逃げ方だけ教えて、正面から戦う方法は教えてくれなかったじゃないですか。それで一体どうやって皆を救うことができるのですか?」

 エステルは指を鳴らした。「そう。お前たちはただ逃げればいい」そして彼女はアンナの頭頂部に手のひらを押し当てた。「戦いと囮は私と私の従妹がやる」

「誰があなたの……うっ!」アンナが口に出そうとすると、エステルはすぐさまパンをその口に押し込んだ。

「団長」ジョナサンは手を挙げて、全員の視線が自分に向くのを待ってから続けた。「あの若者が言ったように、私たちは自分たちの能力の低さを知っているから、怖くなるのです。しかし、私たちを本当に困惑させるのは、なぜあなたがまだあの人たちを仲間だとみなして、危険を冒してまで彼らを救出しようとするのか、ということです。サウルはもともと団長を嫌っていた上、団をメチャクチャにしていたのです。たとえ救出に成功しても、彼らから感謝されないし、なんでそんな奴らのために戦うんですか?」

「もし、私に逆らう者と私を嫌う者を、それを理由に見捨ててしまったら、今後、誰が私に従おうとするだろうか?」エステルのこの言葉は、とても穏やかで、優しいとさえ言えるものだった。

 エステルは立ち上がり、寄りかかっていた木の根の上に立った。「私はプリム祭の団長だ。ナイフをテーブルに刺したのだ。団員の誰一人にも私の命を賭けるに値する。しかし、共に苦しんできた隣人のために、お前たちは戦う覚悟があるのか?彼らのためでなくとも、村長や婦人たちのためにも」

 不満そうな顔をする団員もまだいたが、団長への愛着からか、ある種の恩義からか、誰もそれ以上口を開かず、中には黙ってマスクをつけて参加する意思表示をした者もいた。

「私の家族を傷つけたら、無事に帰れると思わないことだ」エステルが人差し指を立てると、その覇者としての風格が見る者の心を一瞬にして打ちのめした。「あの騎士たちの人生の一ページに燃やそうとしても燃やせない記録を残してやるのだ」

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