第十七章 恩に報いるのは適度でいいから、くれぐれも恩人を困らせないでくれ

 そもそも、農薬を飲んで自殺したおばあさんを葬儀社が引き取りにきたらそれで終わりだと思っていたから、一週間後に患者の娘がナースステーションに現れるとは思ってもみなかった。


「すいません、お伺いしますが簡さんという看護師さんをお願いできますでしょうか?」近くで調薬をしていた私は聞いてすぐに振り向くと、ちょうどその家族と目が合った。劉彦霓はいつものようにどうしたのか私に聞こうとしたけど、私が首を振るのを見て諦めた。


「こんにちは、先週こちらの緊急救命室で農薬を飲んで自殺した戴金蘭の娘です。覚えてらっしゃるかと思うんですが」


「はい、覚えてます」私は手にした生理食塩水がいっぱいに入った抗生物質のビンを激しく振って、まだ仕事中だから話をするのはあまり都合がよろしくないことをほのめかした。


「すぐ済みます。私もどう言っていいのかわからないのですけど……」彼女はまず水色のハンドバッグから自分の勤め先、名前と電話番号が書かれた小さなカードを取り出し、私のナースカートに置いた。「まず自己紹介をしますね。王恵華ワンホイファです。チュンティエン病院の病棟看護師をしています。一昨日が両親の初七日だったんですが、夢枕に現れてあなたに自己紹介とお礼をするようにと念入りに……おかしなことを言っているのはわかっています。ですが、どうぞこのカードを受け取ってください。何かトラブルに巻き込まれたり、ほかのキャリアプランをお考えでしたら、全力でお手伝いいたします」


 もっと早く知っていたら、双子の冥官にあの老夫婦を斬らせていたのに!死後のサービスに満足したからいい評価をするっていうのは、どういうことなんだよ!


 急に頭が痛くなった……けど娘さんは目の前にいる。自分は何も知らないふりをして、王恵華と同じようにぎこちない表情であの手書きのカードを受け取るしかない。特に劉彦霓がそばでカルテを整理するふりをしながらその実両の耳で極力私たちの会話を聞き取ろうとしているから私も話を続けられないし、できれば王恵華にはそこを察して帰っていただきたい。明らかに、いつも邪魔をするのは思いもよらない人間だ。


「あなたのご両親が夢枕に立ったというだけでわざわざ来られたんですか?」江小魚がどこからか湧いてきて、するりと会話に入ってきた。この人は一貫してスピリチュアルな題材に興味があるから、キーワードを聞かれてしまったのかもしれない。


「実は……最初に夢を見たときはまだ、ただの普通の夢だと思っていたんです」王恵華はそもそも話したくなかったものの、江小魚の熱烈な好奇の目を受けて、全部を話すことにした。「ですが三日続けて同じ内容の夢を見たんです。知り合いの先生に相談したところ、早くその方にお礼をするよう言われました」


 ……次にまたこの手の死別に遭遇したら、私は一切手を貸さずに祐青と祐寧を行かせることにしよう。


「両親はもともと進物を用意するよう言っていたんですが、進物はさすがに唐突過ぎるかと──」


 必要ない、あなたの両親はもう十分私に面倒をかけているんだよ!これによって劉彦霓と小魚だけでなく近くにいた何人かの先輩と医師がみんな興味を持ちだし、私たちを取り囲む人はどんどん多くなっていった。


 患者がいるだろうが!今は午後の四時でちょうど患者が少ない時間だけど、あんたたち見なきゃいけない患者はいないのか!頼むから、何人かは不幸があった家の気持ちを少し気にかけてくれ!


「ご両親はなんて言ってたんですか?」


「言っていたのは……すごく変なことなんです」王恵華はその口で直接私に必殺の一撃を与えた。「両親は『簡さん、私たちを助けてくれてありがとう』と言ってたんです」


 今や死んだばかりの魂でさえ、私を『簡さん』と呼ぶことを知っているのか!私はそれを聞いて吐血するところだった。まったく、どの殿主でもいいから、この魂たちの口を早く管理しろよ!以後、死んだ人間の魂が夢枕に立って話ができないように定められないものだろうか?少なくとも、私の名前は出さないでくれ!


 この瞬間おそらく十人の目が私を凝視していて、彼らの目には同じ言葉が込められていた:何を助けたんだ?


 たとえ手にした抗生物質が全部生理食塩水に溶けてしまったとしても、私はすっとぼけて振り続けることしかできなかった。「私は何も知らないんですよ!」


 退勤時、ゴシップ好きな同僚たちによる質問と好奇心の集中砲火を避けるために、私はわざわざナースステーションで忙しいふりをした。全員が退勤するのを待ってから更衣室に入り、そそくさと仕事着を着替えた。上着を脱ぎ終えた直後、後ろから低い声が聞こえた


「簡さん」


「このクソ野郎!服を着替えているのが見えないのかよ──」私はすでにリュックを手に取って後ろにいる変態KYな冥官に叩きつけようとしていた。その瞬間、後ろには同じく服を脱いでいる直属の後輩しかいないことに気がついた。後輩は怪訝な顔で私を見ていた。


 ちくしょう、危うくバレるところだった。ごまかすために私は辺りを見回し、下着姿になった後輩に再び目を向けるしかなかった。


 私が言うまでもなく、劉彦霓のスタイルは本当にいい。胸があってくびれがあって、その上腹筋も割れている──ダメだ、注意力を乱しちゃいけない!私は口を開いて聞いた。「今私のこと呼んだ?」


「はい」


「わざと声を低くした?」


「その通りです。こんな感じで」劉彦霓が実際に一度実演すると、本当にさっき後ろで私を呼んだ声と同じだった。


 さっきの自分の反応を説明する術がなかったから、私はしばらく言葉が出なかった。私も間違いなく劉彦霓の企みに驚かされて、脳内の回路がパニックになっていた──


「佳芬先輩、さっきの反応は大学の時みたいでしたよ!」彦霓は急に大学時代を懐かしみ始めた。私も勢いに乗じて話を続け、なんとか話題を変えるしかなかった。「キツい言い方は仕事上よろしくないからね。仕事のときは患者にいい顔で接しないとならないしさ。さもなきゃ患者から苦情が出たときに延々と報告書や始末書を書く羽目になるし、上司から睨まれて面倒くさいことにもなるし──」


「先輩はここの先輩たちに対してもすごく控えめですもんね!四人病棟で中国語と英語を交えた罵詈雑言で後輩を一時間も叱ったすごい人には全然見えませんよ」


「あれはパンジーユェンのヤツが死にたがっていたから、叱らなきゃいけなかったんだよ」私は歯ぎしりしながら言った。私の三期下で劉彦霓の一期下だった直属の後輩は、新学期一週目にバイクで山道を走って事故に遭い、緊急救命室に運ばれた。家族に知らせることを厭ったから、当時唯一知っていた直属の先輩たちに助けを求めるほかなかった。確かあのときは、劉彦霓に乗せてもらってある山奥の小さな病院に後輩の医療費を払いに行ったんだ。そのとき、台湾には健康保険という魔法のようなものがあることに本当に感謝した。海外だったら、緊急救命室に入る医療費なんて大学生二人にはどうやったって払えないよね?財布の中には三百元だけでクレジットカードも持っていない後輩も、十分に愚かではあるんだけど。


 一度だけならよかった。二度目、後輩は市街地の道路を猛スピードで赤信号に突っ込み、軽トラックに跳ね飛ばされた。同じように、命が惜しくない後輩は家への連絡を厭い、以前助けてくれた大学四年の先輩(つまり私)に助けを求めるしかなかった。私はお金を持ち、直属の後輩たちを連れてその後輩の見舞いに行った。カーテンを開けると『ただの軽傷』と聞いていた後輩の両足にギプスが巻かれていたので、堪えきれずに怒りが爆発した。なぜなら年がら年中冥官や殿主とやり合っていて、気迫と度胸はみなぎっていたからだ。後輩はかわいそうな子犬のように私に激しく叱られることしかできず、あともう少しのところで土下座するところだった。そのとき外にいた看護師と同じ病室の患者たちは、誰も私に静かにしろと言えなかったそうだ。


 話が出た以上、ついでにこのバカな後輩のことが気になった。「アイツはまだ車をかっ飛ばしてるの?」


「先輩にあんな風に怒られてからは、完全にもう飛ばせなくなったみたいですよ。交通ルールをしっかり守ってます」


 叱って効果があったならよし!


「先輩、」彦霓が話題を変えたので、私は本題が来ることを察知した。「防災訓練のあの日……」この本題のほうが、さっきの企みよりはよっぽどコントロールしやすい。少なくとも、私はこの話題の終点がどこなのかわかっているしね。仮に途中で彦霓がカマをかけようとしたって、私は軽く回避することができる。


「どうしたの?私は魔神仔は見てないし、紅い服の少女も見てないよ!」


「違います、違います──」劉彦霓はすぐに手を振り、声を押し殺した。「私はただ……先輩が本当に何も覚えていないのか聞きたいだけです」


「そうじゃなかったら、私が何を覚えていると思うの?」私はついでに、この子がどこから記憶を失っているのかを確認するために聞き返した。


「私たちは牢屋に閉じ込められて……それから空飛ぶ服があって……あの日幽霊も見ましたよね……」劉彦霓は口ごもりながら言葉を連ねた。自分の話がちょっと変だとわかっているから、ずっと私の視線を避けている。でも少なくともこの子の記憶は、間違いなく私が一生分の力を使って守衛を丸め込んだ前で途切れていることがわかった。もし覚えていたら私の発言をもっと警戒するだろうし、いとも簡単に質問を質問でかわされるなんてあり得なかっただろう。


 劉彦霓は顔をあげるとためらいがちに聞いてきた。「先輩、私に嘘はつかないですよね?」


 私は軽く笑うと、自分の妹をかわいがるように彦霓の頭を撫でた。昔もよく下の後輩女子二人をこんな風にかわいがったものだ。後輩男子はいいや。私に頭を叩かれなければラッキーだ。


「おバカさんなの?私がどうやってあんたに嘘をつけるっていうのよ?」私は撫でながら言った。


 バカか?私がどうやってあんたに本当のことを言えるっていうんだ?


 劉彦霓が去るときに、私は明廷深の本当の名を呼んで更衣室に呼び寄せた──もちろん、私服に着替えたあとで、だ。


「劉彦霓のあとをつけている奴を探して、あの子の記憶があるかどうかを確認して。様子がちょっとおかしいんだ」私は命令した。


「はい」明廷深は退出して去っていった。私もリュックを手にして、救急外来の出入口に向かった。あれこれと考えながら……


 前に宋昱軒はもったいぶって「殿主に人手が足りてるのかどうか尋ねてみるよ」と言った。でも廷深は命令を聞いてすぐ立ち去った。


 つまり、私には直接冥府の人員を動員する権限があるということだ。明廷深の迅速な対応から判断すると、いつでも私のために待機している連中がいるはずだ……いや宋昱軒のためか。


 あの十人の殿主はいったいどれだけの権限を彼らの心理カウンセラーに与えたんだろうか?

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