第十五章 失った瞬間

 くそっ、やっとのことで脱出したのに、今また鉄格子の中に放り込まれるっていうの?突然、その人影はかすかに緑色の光を発した……


「怖がる必要はありません。私です」


 なんとまぁ、生きている間に冥官が内境の制服を着ているなんていう違和感ありまくりの場面を見られるなんて!内心での賛嘆に加えて、まずは身元を確認した。「この間はなんで私に会いにきたの?」曖昧にこう言った。なぜならほんのわずかな情報も内境に漏らすわけにはいかないからだ。


「私の息子の霊視能力の件で、です。簡さん、私の身元を確認する力があるんでしたら、怪我はされてないですね?後ろのお嬢さんはいかがですか?」言うと同時に元奕容は体から発している緑色のかすかな光を消し、人間と変わらない見た目になった。


「スマホある?電話かけるよ」前の唐詠詩の事件からというもの、私は蒼藍の電話番号を暗記して必要に備えていた。図らずも、私の背後で星の海音楽少女の元気でお茶目な歌声が響いた。


「かける必要はないよ。俺はここにいる」蒼藍は私の前で終話ボタンを押した。見たところ、私を殴りたそうな様子だった。


「佳芬姐さん、以後むやみに、発、砲、しないでくれるか!」デブオタク高校生はこのとき極度に感情が崩壊している様子で、私を八つ裂きにしたそうな表情をしていた。「冥官が慌てて報告しに来たのを聞いて、俺はもう唖然としたよ!てっきり嘘をついてるんだと思ったよ!姐さんは本当に普通の人間なのか?正常な人間なら怖がってワンワン泣くか、おとなしくその場で救援を待つだろう?誘拐犯と心理戦を演じただけじゃなく、さらにはそいつを殺すところだったんだぞ!」


 つまり冥官は私が牢屋にいた間ずっと監視していて、どのタイミングで乱入して私を強奪/救出すればいいのかわからなかっただけなんでしょ?でも私は自立した女で、自分の口先一つで逃げ出したことをすごく誇りに思っているんだ。


「私は冥府の心理カウンセラーだよ?人間とはいえ、『普通』の二文字からは程遠いはずでしょ」少なくとも、普通の人間に霊視能力はないと私は確信している。


「姐さんはただの二十五歳の看護師なんだから、本当に内境を怒らせたらどうするつもりなのさ?家族、友人みんなに危険が及ぶ──」


「わかった、もういいよ!まだ生きてるじゃない?あんたの能力があれば、助かるはずでしょ?」私はただ『殺しそうになった』だけで、『本当に殺した』わけではないよ。


 蒼藍はすっかり死んだような目つきをしていた。「姐さんと知り合ったことを本当に後悔してるよ」


 あいにく反対に、私はこのデブオタク道士と知り合えたのは前世での行いが良かったからだとずっと思っている。やらかしても尻拭いをしてくれる人がいるんだからね。しかも、私に内境のことを多く知られたくない以上、いつでも『知らない』という言いわけを盾にできるから、誰も私をどうすることもできないんだ。


 特に私の性格は『己の本分を守る』ということからはかけ離れているかもしれないから、あまり隠しすぎるのはよろしくない。


「送り返して!後輩の記憶を洗い流すのも忘れないでね。あの子は知り過ぎたから」


「先輩、あなたは──」本当にごめん。蒼藍は不器用な外見とは裏腹に、行動力はかなりあるから!後ろに控えていた冥官が気を失った劉彦霓を受け止め、そっと地面に置いた。私は木に寄りかかって待っていた。


 ……


「何やってるの?送り返してくれないの?」


 蒼藍がいきなりつかみどころのない質問を投げかけてきた。「聞かないの?」


「聞くって何を?」私は聞き返した。


「どうして俺がここに現れたか、元奕容が何のために内境の制服を着ているのか、いったい何が起きているのか……とか?」


「私が聞いたら、答えてくれるの?」


 一人と一鬼は黙して語らず、それが答えとも言えた。元奕容はまだ何か言いたげだったけど、蒼藍が手を振ると唇がジップロックのようにぴったりとくっついた。


 言いたくないのなら、私も探求しない。簡単に記憶を消せる道士がいるんだから、うっかり漏らし過ぎると洗脳されるかもしれない。それなら現状を維持して、自身の観察力と冥府に対する知識で事のいきさつを推測したほうが、もっと多くの情報を保持できるかもしれない。


 何度か記憶を改ざんされたことがあるような気さえするけど、蒼藍の腕があまりに優れているのでこれまでに気づいたことはなかった。


 立ち続けて足が疲れたよ。「私をここに留め続けておくのには、何か考えがあるんでしょ。じゃあ座って話そうよ!」


「佳芬姐さん……俺たちは本当に姐さんを守ってるんだよ……」


「わかってるよ。私が知れば知るほど危険になるんじゃないかと心配してるんだよね。今回は何も質問してないでしょ?」好奇心を抑えるのも嫌なんだけど?じゃなかったら私だって今の状況をすごく聞きたいよ!


 私は適当に話題を選んだ。「中間テストはどうだった?」


「口を開くなりテストのことを聞かないでくれよ!」


「ということは酷かったんだね」


「佳芬姐さん!」


 私の質問が唐突すぎたからかもしれないし、あるいはヤツの成績が本当に酷かったからかもしれない。ショックを受けた蒼藍は周囲への警戒を緩め、遠方から誰かが麻酔針を撃ったことには少しも気づかなかった。麻酔の分量は、百キロのデブオタク高校生が毛利小〇郎みたいに頭を揺らすことさえなく、即座に両足から崩れて深い眠りに落ちるほどだった。


 目測で麻酔薬の投与量を計算した麻酔師の技術は本当に素晴らしい!呼吸に支障を与えることなく、このデブオタクをきっちり麻痺させることができているんだから──


 蒼藍が昏倒したあと、木々の間にたくさんの白い光が現れ、光が弱まると紺色のローブを着た人間が出てきた。気になるのは、その法陣の白い光が蒼藍が普段使っているものとやたら似ているということだ。ただ、蒼藍が使っているものはもう少しまぶしい。


 今いちばん心配しなきゃならないのは、私たちを狙っていつでも放てる法術だよね?


 私は昏睡状態の彦霓と蒼藍の前に立って守り、元奕容は手を広げて私の前に立ちはだかった。


「元奕容!捕虜の逃亡に手を貸すのか――」


「あなたたちは民間人二人を捕まえたんですよ!私が去ったとき、内境がこれほど乱暴だった記憶はありません!」


 去った?人間のふりをしたこの冥官は、本当に内境に潜入していたことがあるっていうの?それともただ内境の制服を着てハッタリをかましているだけ?


「奴らが民間人などとはあり得んことだ!看守のミカエルは倒され、体には法術の痕跡まであったんだぞ――」


 おお!ミカエルっていうのか!ミカエルさんの犠牲のお陰で、私の人生において『生きた人間に銃を撃つ』という貴重な経験が加わったことに感謝だ。


「悪い、それは俺がやったんだ」私の足元のデブオタクが体を支えながら起き上がると、もともと私を狙っていた法具と法陣が次々と私のそばのデブオタク高校生に向きを変えた。ヤツは完全武装した内境関係者を完全に無視して、体の汚れを軽く払った――


「気晴らしに山中を通りかかっただけなのに、内境のこんな堕落っぷりが見れるとはな!長いこと戻ってないが、以前は声を大にして叫んでいた『正義』と『平和』は跡形もなく消え失せちまったようだな……それとも最初からただの宣伝文句に過ぎなかったのか?」


 私はバカじゃないから、聞いてすぐに蒼藍が冥府と内境に関する疑惑を晴らそうとしてくれているのがわかった。私は即座に後ろに下がり、怖がりでどうしていいかわからないかよわい女の子を演じることにした。


「あり得ない、あの睡眠薬は……」


「分量は本当に多かったよ。調整した奴は俺を象扱いして打ったのか?」蒼藍が肩の麻酔針を抜き取ると、その動作を見て内境関係者に緊張が走った。ついに一人が耐え切れずに、蒼藍めがけて紫色の光の玉を放った。けど紫色の光の玉がぶつかると、白い火の光に叩き落とされた。続けて紫色の光の玉を放った内境関係者が気を失った。この気の失い方はよく知っている。ウチの後輩が十分前に同じやり方で倒されて記憶を消されたからだ。


 一人が白い火の光に気づき、驚いて大声をあげた。「清浄の炎だ!奴はリー家の――」


 黎家、内境関係者がこんな風に蒼藍の来歴を叫ぶのを聞いたのは、これでもう二回目だ。けど前回、蒼藍はあくまで否定した。今回蒼藍は否定すらせず、叫び声をあげる人間が一人、またひとりと倒れていった。ものすごく速い。森にはもう戦闘態勢をとる内境関係者はいなかった。なぜなら全員死んだ豚みたいに眠っているからだ。


 私はそもそもこんな風に終わると思っていたけど、蒼藍は依然として前方を見据えていた。ヤツが注視する中、ゆっくりと一人が歩み出た。呪文の書かれた札を握りしめた右手を高々と掲げ、左手には鈴を握っていた。その全身は、蒼藍と似た白い火の光に覆われていた――


「おや?お前は黎家の誰だ?」


「それはこっちの質問だ!」その怒鳴り声はある種理性が吹き飛んだ感じだったけど、続けて真剣に答えた。「リーグアンチャン


 私はやや遅れて、その男が自分の名前を名乗ったことに気づいた。蒼藍は表面的には変化がなかったものの、小声で感慨深そうに言った。「冠の字の世代か……」


 私はとりあえず何も聞こえないふりをした。


「同じ清浄の炎を持つ者として、俺がお前の記憶を操作できないことはよくわかっているだろう。なら、宗家にメッセージを伝えてくれ」


 気を失っている奴らの体はおろか、黎冠宸の体さえ白い光に包まれた。法術の正体を知っている黎家の人間は白い光を振り払おうとしたけど、あと一歩遅かった。


「内境の権力に飢えた連中のために命を燃やすな。まったくそんな価値はない」


 まるでタイミングを見計らったかのように、蒼藍が言い終わると内境関係者全員が転送され、私たちもその場から移動された。


 ……


 …………


 以下の記憶は、私が熟睡している間に聞こえた同僚たちの慌てふためいた声だ。


 私と劉彦霓は結局、小学校校内の廊下で見つかった。女性二人が停電時に行方不明となり、最終的に二人揃って鍵のかかった教室で倒れているところを発見されたのだ。二人は自分たちがどうして発電機に防水シートをかけていただけにもかかわらず、かけ終わったあとに教室で寝ていたのかわからないと主張した。


 「絶対に魔神仔モオシンナア(台湾の妖怪)にさらわれたのよ!」小魚がとんきょうな声で言った。


「この魔神仔も優しいわよねえ。女の子二人が風邪ひくのを心配して、カーテンを外して体にかけたんだから!」


 どこが優しいんだよ!あのカーテンだってどれだけ洗ってないかわからないのに!絶対に埃だらけだったよ。考えただけで全身が痒くなってきた。


 このとき、普段着に戻った元奕容が小魚とワイワイ騒いでいる看護師たちの後ろで私に向かって軽く会釈した。


 サンキュー!私は唇でそう言った。元奕容も読み取ったに違いない。


 もう一人はそれほど幸運じゃなかった。


「言え」私は呪文で加持された麺棒で叩いた。「あの日いったい何が起きたの?」


 仮に直射日光が照りつけるベランダに吊るして聖水をぶっかけて冷やし、加持済みの麺棒で激しくぶん殴っても、シークレットシューズを履いた冥官は口をつぐみ続けて少しも情報を漏らそうとはしないだろう。


 蒼藍も私に会わないよう避けていた。私もヤツを責めてはいない。というのも今回ヤツの記憶改ざん技術は正常じゃなく、記憶が消えていることに気づいてしまったからだ。一般的に言って、蒼藍はこんなレベルの低いミスを犯さない──これは、ヤツがあの場から私たちを移動させたときに間違いなく何かが起きたことを証明している!


 当然、ヤツは言いたがらないだろう。


「あーあ」この、地獄のように深いため息は、私の今の気持ち……と居場所を物語っている。


「ため息なんかついてると老けるぞ!」閻魔はからかって言った。私はじろりと睨みつけた。「どれだけ老けたって、あなたたちより老けることはないよ」


 閻魔も自分が若くないことを認めているから、適当に返事をすると私のため息の理由に話を戻した。「拉致されたことを悩んでいるのか?」


「じゃなかったら?あなたたちが何も言わないから、私は自分で勝手に推測するしかないんだよ。それとも少しヒントをくれるの?少なくともなんで拉致されたのかを知る権利はあるでしょ!」私のところにカウンセリングに来たのは紛れもなく閻魔にもかかわらず、私が質問する側になっている。でも答える気はなさそうだ。


「とりあえずカウンセリングをして、お前の答えに応じて俺は答えるよ」


「小賢しいマネを!言いたくないなら言わなくていいよ。何が『状況に応じて答える』だ──」何もせずに答えが得られるわけではないとわかっていたから、定例の質問を始めるしかなかった。「今日はなんで来たの?」


「この間お前がくれた金元宝……」


「いつ金元宝なんてあげたっけ──」私は話の途中で『Fuck You』と大きな字で殴り書きした冥紙の金元宝を思い出した。「──渡したの?」


「奴らはすごく怒ってたぞ」


「はぁ?本当に渡したの!それから?怒ったあとに何か動きはあった?」


「お前が金元宝を渡せと言ったんじゃないか!何をそんなに驚くことがあるんだ?」閻魔はしばらく間を置いてから答えた。「奴らは俺の宝物を盗んでいったんだ」


 私はこのとき本当にパソコンの電源を入れて、『ロード・オブ・ザ・リング』で痩せこけた生き物が取り憑かれたように指輪を触っているシーンを閻魔に見せたかった。その生き物は私の子供時代の悪夢となり、半身が腐った幽鬼よりも怖かった。重要なのは、子供の頃から幽鬼を見続けて大人になった人間を怖がらせるのは難しいということだ。


「ここでのんびり私と話ができているところを見ると、おそらくもう戻ってきたんでしょ?」


「そうだ……幸いにも無傷でな」


 閻魔が大切にしている様子から、その宝物とはいったい何なのかという好奇心を抱かずにはいられない。でも目の前のこの黒い顔をした殿主と知り合ってだいぶ経つものの、何か宝物を持っているという話は聞いたことがない。一殿の秦広王の変態が棚いっぱいにエロ本を持っているのは間違いなく、古代の春画から現代の女優の写真まで、狩猟範囲内の物は一つたりとも見逃さないらしい。剛直で人にへつらわないイメージが世に広く伝わっている閻魔大王が、どんな宝物を持っているのかもすごく気になる。まさか法器の類とかではないよね?


「じゃあ、このことに対する感想は?」


「感想?」閻魔は驚いて顔を上げた。「次にどうするのかを聞くのではなく、感想だと?」


「そんな遠回しな言い方をするから、たくさんディテールを聞いてカウンセリングに役立てるしかないんだよ」


 はっきりと言うと水を向けるけど、人生/鬼生経験数百年の閻魔も私が何を企んでいるかはわかっていると思う。


「感想なぁ……たぶん、腹が立つ、だよな?普通の人間の感情だってそうだろう?」


「それ以外には?」


 黒面のおやじは何度も思いめぐらし、相応しい形容詞を探していた。「うーん……仕方ない?もしくはちょっとした自責の念かもしれんな」


「まず仕方ないで、それから自責?それはちょっと変だよ。自分が物を守れなかった結果盗まれたわけだから、自責の念に駆られるのは普通のことだよね。でもまず最初に仕方ないって言ったけど、その感覚って普通は力がなくてどうすることもできないときに感じるもんじゃないの?この二つの感情は互いにまったく矛盾してるよ!つまり何らかの要因が、その宝物を全力で守ることを邪魔してるんじゃないの?」


 図星だった。閻魔は顔の感情をうまくコントロールしてほとんどボロも出なかったけど、ワンテンポ遅れた反応を私は見逃さなかった。


「……その宝物は今いる場所から離れられないんだ」しばらくためらってから閻魔は理由を説明しようと奮闘したけど、多くを漏らしたくなかったのか一貫して曖昧な物言いだった。


「いる場所から離れられないのに盗まれるの?特定の場所で作用する法器?もう──敵が誰で宝物が何で正確な状況がどうなってるのか、少しも教えられないっていうの……私、口は堅いし、あなたたちのためにこんなに長い間カウンセリングもしてるし、クライエントの悩みが流出したのを一回でも聞いたことある?」


「佳芬、お前はすでに知りすぎた──」


「全然多くなんかないよ……肝心なことは全然教えてくれない。敵が誰なのかも教えてくれないし、私は問題すらよくわかってないのにどうやって正しい答えが言えるっていうのよ?降霊でもしろって?じゃなかったら黒無常のところに行きなよ、慰めるのが上手いから」自分が手助けできないなら、別の人を薦めればいい。もしクライエントがその人に啓発されるなら、それも悪いことじゃない。それに、閻魔はきっと黒無常とはもっと分かち合うことができると私は信じている。


 閻魔は間髪入れずに反抗的な表情で「いやだ」と答えた。


「黒無常が何か怒らせるようなことでもしたの?そんなに嫌悪するなんて」


「部下には言いにくいこともある──」


「じゃなきゃ白無常……もしくはほかの殿主は?副官とは関係も悪くないから、適切なタイミングで悩みを打ち明けてもいいんじゃない。お互いの関係もより深まるし──」


「佳芬、聞き方を変える」閻魔はいきなり私の話を断ち切った。「もしお前の弟と俺が水に落ちたら、誰を助ける?」


 私は一秒で答えた。「どっちも助けない。岸の上から頑張れって二人を励ます──あなたは死なないし、弟は水泳チームだから……こんな変な質問をするの?」


 閻魔はすぐに謝った。「俺が悪い。お前の弟が水泳チームだということを忘れていた……じゃあ、もし俺とお前の弟に雷が落ちたら──」


「弟を助ける、」閻魔は私の答えに少しも驚くことなく、寂しそうにうなだれていた……


「……だってたとえあなたが雷に打たれて灰になっても、私だってどうやって助けていいのかわからないよ。でも蒼藍に電話してなんとかするように言って、それから弟を助ける。実際、蒼藍が駆けつければ、弟も死なずに済むでしょ?」


 閻魔は仕方なさそうに言った。「そんなに真剣に考えないでくれるか?それとも、それがお前たちの人命救助の標準的な手順なのか?」


 なんていうか、もし雷に打たれたらまずは心臓マッサージをしてから助けを呼ぶのがセオリーだ……だからこのやり方は実のところ間違った答えだ。でも閻魔はもう死人なんだから、正しいやり方を知る必要はまったくないよね。


「殿主に堂々とこんな子供じみた質問をされたら、そりゃ当然真剣に答えないとだよ」私はわざとまじめなふりをして言った。「でも──」


 でも……


 え?私は何を言おうとしていたんだ?


「佳芬?」


 市中に出回っている画像とは全然違う黒面が心配して言った。「大丈夫か?」


「……大丈夫だよ?何を言おうとしてたのか忘れちゃったみたい……」変だ。二十五歳にして老人性痴呆症か?


「お前は疲れてるんだよ……防災訓練から戻ってきてそのまま帰宅すらせず夜勤に入ってたんだろ?どうしてそのときに休暇を取ろうと考えなかったんだ?」


「ケガしてなかったし……」


 閻魔は軽く微笑むだけで、いきなり大きな手を伸ばすとブラッシング済みの髪をくしゃくしゃと撫でた。昔のように……


「ちょっと!私はもう二十五歳なんだよ!五歳児扱いしないでくれる!?」


「──先に帰るぞ。早く休めよ」


「えっ?ちょっと待って、カウンセリングはまだ終わってないでしょ──ちょっと!」閻魔は一瞬にして霧の中に消えてしまい、引き止める暇さえなかった。


 カウンセリングの過程をよくよく思い返すと……閻魔は私が自分の記憶力に関して極度に困惑している隙を狙って瞬時に話題を変えたような……奇妙な違和感が心の中に広がったものの、思いがけなく響いたドアのノック音に遮られた。のぞき穴から覗いてみると、外には白黒無常と宋昱軒が立っていた。


 なんで突然私のところに来たの?私を迎えに来たの?私がドアを開けると、白無常がまず微笑みながらブラックジョークを口にした。


「久しぶり。最近はかなり調子がいいね。シフト中に誰も死なないから、通りすがりに挨拶することもできなかったよ」


「ふざけんな、変な話をしないでよ!今日の夜勤が忙しかったら、絶対にあんたたち三人とっ捕まえて仕返しするからね──」


「僕たち二人、時間があるときも緊急救命室に会いに行っていいのかい?」黒無常が横で口添えした。


 あなたたち二人は今日私に冗談を言いに来たんだよね?


 私は即座に白黒二人の申し出を断った。「お願いだからやめて!あなたたち二人を見たらすごく緊張するし、どの患者が死ぬのか教えてくれたこともないし。外で話すのもなんだから、入って話をしよう……」長いこと会っていなかった宋昱軒はそばで助け舟を出すこともなく、逆にからかって言った。


「最近の生活は素晴らしいね」


「もう何も言わないで……」


 私は三人/鬼を部屋に案内した。さっきまでの変な感じもすっかり忘れてしまった。


 あとから振り返ると、私は根本的にバカだったんだ。でも自分の愚かさに気づいたのは、ずっと後のことだった。

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