第五夜:吸血鬼(2)狼王も拗ねている幼犬に過ぎなかった

 ここは満月の荘園に位置するプライベート宴会場だ。

 この宴会場は備品が豪華で、天井と壁には美しい彫刻が施されている。尖頭アーチの窓には金色の線が多数刺繍されたカーテンがかかっていて、床にはきめ細やかな柄の絨毯が敷かれている。

 宴会場の中央には定員が二十名以上の円卓がセットされている。このとき、空席はなく、皆人狼が座っていて、いずれも人間の姿をしている。

 上座に座っている者は『満月の荘園』の主――狼王、アザット・メメティだ。

 狼王は他の者と同様に華やかな衣装を纏うことなく、相変わらず蛮族の戦士に扮していて、強烈な個性が現れている。

 市長の死と人狼側の全面的な勝利を祝し、狼王は晩餐会を主催した。そして、人狼の名士を多く招待し、アトラクションに『狩人(人狩り)』のゲーム大会を催したことで、会場を盛り上げることに成功した。

 大半の人狼は外のホールに座ることしかできなかった。プライベート宴会場への入室が許されたのは、ミラーズシティの各地区を治める頭目だけだった。

「狼王様に栄光あれ!」

 一匹の人狼が率先して角杯を掲げ、他の者も後に続いた。

「アザット・メメティカガンに栄光あれ!」「人狼トゥーラーンに栄光あれ!」「人狼の勝利は永遠なり!」

 祝いの言葉が終わると、そこにいた者は皆、角杯に注がれた『勝利の美酒』を一気に飲み干した。狼王も角杯を掲げたが、儀礼として角杯に唇を少し触れるに留めた。

 宴会が正式にスタートすると、ウェイターが次々と入ってきて、テーブルに一品ずつ料理を運んだ。

 黄銅製の皿の蓋を開けると、真っ先に目に映ったのが前菜――タルタルステーキだった。

 この料理の調理法は新鮮な人肉をみじん切りにしてから、スパイスと刻みネギを均等にかき混ぜた後、ウズラの卵を載せる。

 その食感は柔らかさと滑らかさが強く、味は甘くて濃厚で、後味が残る。

 各招待客は料理を口にすると次々と賛辞を口にしたが、狼王は少し心ここにあらずといった状態であり、テーブルに置かれた料理に手を付けず、陰鬱とした表情をしていたので、他の人狼は不安を抱いていた。

 シャーベットで口の中に残った後味がなくなると、続いて、メインディッシュ――人間の丸焼きが登場した。

 この料理の調理法はまず一人の人間を屠殺し、熱湯でその全身を加熱して体毛を取り除き、内臓を綺麗に取り除く。

 次にスパイスで身体を漬けたあと、腹部によく混ぜた詰め物を入れる。最後は巨大な石窯に入れて、その皮膚が黄金色でパリパリになり、中がピンク色で柔らかくなるまで焼き上げる。

 この料理が運ばれてきたとき、招待客は皆感嘆の声を上げた。

「こちらは、先ほどの狩人ゲームで狩られたプレイヤーを使っています」ウェイターが丁寧な態度で説明した。

「おお、それが新鮮さの理由だな」「やっぱり取り立ての肉でできた料理が一番美味しいですね」

 招待客が一通り見終わると、ウェイターはナイフとフォークで料理を分割した。

 ナイフで切ると、肉汁と脂が染み出てきて、肉はちょうど食べごろのピンク色をしていた。客は皆食指が動き、よだれが垂れそうになった。

「オエッ……」

 どこからか、突如吐き出す声が聞こえると、人狼たちが振り向き、宴会場の隅に目を向けた。

 そこには巨大なケージがあった。でも中に入っているのは動物ではなく、全身傷だらけ人間の少年二人だった。

 二人はマスクを装着していたが、それが没収されたから、素顔が露わになっていた。

 二人の少年は井千陽と南宮樹だった。ゲームで人狼たちに捕獲された後、その場で食べられたわけではなく、狼王の命令によって、宴会場まで運ばれて手を付けられなかった。

 人狼に殺された人間の死体を二人とも見慣れていたが、人間の丸焼きを目にしたとき、鉄のケージの中で吐き気を抑えることができなかった。

「この二匹の人間がなぜここにいるんだ?」一匹の長身の人狼が怪訝そうに訊いた。「しかもこんな声を出しやがってよ、食欲がなくなるんじゃねえか!」

「バリル、よせ」カトゥという名の人狼が笑いながら言った。「この二匹は腹を空かしているかもしれん。俺たちが食べ物を分け与えようでないか」

 カトゥは人間の丸焼きの上腕を引きちぎり、鉄のケージに向かって投げると、すぐさま強烈な嘔吐の音が聞こえて、宴会場内に胃酸の悪臭が広がった。

 激怒したバリルは、その瞬間、がっちりとした体格の灰色の人狼へ姿を変えた。彼は鉄のケージに向かって突進し、中の二人に対して雷のような咆哮を上げると、揺れて天井からも塵が落ちてきた。

「てめえら、噛み殺してやるよ!」

「バリル、あんた、狼王の面前で何バカなことをしているの?」割って入ったのは、ナイトクラブ『クレイジーウルフ』のオーナーである赤髪のメス狼――ザナイだった。「カガンの命令抜きで、この神民の坊やたちを好き勝手していいと思ってるの?」

 バリルはすぐに戦慄して、怯えた目で狼王を見ていた。

 人狼の間には、明確な縄張り意識が存在する。他人の縄張りで狩りを行う場合は、必ずその縄張りの頭目から許可を得る必要があり、これを破ると挑発行為とみなされ、狼王の領地ではこの掟が異常なほど厳しいのだ。

 バリルは驚いたまま尻尾を二本の後ろ脚の間に挟み、全身が震えていて、人間の姿に戻ることさえ忘れてしまった。

「お前ら、行くがよい」狼王は威厳と落ち着きを加えた声で命じた。「それと、他の者にも告げる。『今宵の宴会が終了した。全ての者は荘園から立ち去れ』と」

 その言葉を聞くと、全ての人狼は条件反射で立ち上がって宴会場を去り、テーブルに残った料理に未練を抱く勇気もなく、十秒も経たないうちに誰もいなくなった。

 広々とした宴会場に残っていたのは、狼王とケージの中にいる井千陽と南宮樹だけだった。

 狼王は立ち上がり、カギを二人に向かって投げた。「ケージの扉を開けて、そしてついて来い」

 井千陽と南宮樹は狼王の目的がわからなかったが、その命令に逆らう勇気がなかったので、カギでケージの扉を開けて出てきた。

「そのナイフを置け!」狼王はテーブルにあるナイフを取ろうとした井千陽に強い剣幕で警告した。「さもなくば、この場で貴様らの喉を噛みちぎる!」

 井千陽は全身が震え、不本意ながらナイフを元の位置に戻した。

「来い」狼王が命令した。「何かを企もうとしていることがわかったら、我は絶対に容赦はせん」

 井千陽と南宮樹には他に選択肢がなかった。ただ、狼王の後をついて行くことしかできなかった。宴会場を離れ、別の部屋へ移動した。

 扉を開いて中に入ると、そこは広々として高さのあるホールで、宴会場よりも大きく、より伝統的な雰囲気が漂っていた。壁には垂れ幕がかかっていて、床には絨毯が敷き詰められていた。低いテーブルにはオイルランプと香炉が用意されていて、ジャスミンの香りが漂っていた。

 柔らかいマットが積まれていた部屋の隅には、一匹の幼狼が体を縮ませながら寝ていた――よく見ると、それは生きている狼ではなく、頭部から尻尾まで原形を留めていた狼の毛皮であり、金色の毛皮に薄いローズの色が混ざっていた。

 井千陽と南宮樹はこの狼の毛皮がチャリティディナーの競売品であった記憶がある。それが狼王の手によって持ち去られていたか。恐らくはその日の夜に手下に運ばせていたのだろう。

 ここにはもう一匹、絨毯にうつ伏せになっている年老いた人狼がいた。その体は背中が曲がっていて、毛の色は薄暗いだった。その首には骨と宝石をあしらったネックレスをかけ、そして彼は濁った眼をしていた。

 既に余命いくばくもなく、間もなく死が訪れるであろうことは誰の目から見ても明らかだった。

 この人狼は既に視力を失っていたが、井千陽たちが中に入ると、正確に二人がいる位置を見つめた。

 その視線は、人に自分がまるで丸裸にされたような気分になり、どのような偽装も飾りも意味を為さないように感じさせた。

 狼王はいつも傲岸不遜な態度を取っていたが、ここに来ると恭しい態度で老いた人狼の前にやってきて、ひざまずくと、目の前の絨毯に口づけをした。

「狼魔アバ様、お元気そうで何よりです」狼王が小声で言った。

「来たか……」『狼魔』と呼ばれた老いた人狼が力なく言った。その声はかすれて弱々しかった。

「言われた通り、未成年の神民の二人を連れて参りました」狼王が言った。

「わかっておる」

 狼魔は白く濁った目を井千陽と南宮樹に向けて、どうやら二人を「観察」していたようだった。

「予言の王になったか?アザット・メメティよ」狼魔が訊いた。

「私は頭目たちをまとめて、彼らを私の部下にしました。そして、市長を殺しました。現在、ミラーズホロウには私の名を知らぬ者はおりません」狼王は自信を持ってそう言った。「これから、教会の拠点を攻撃して、神民たちを皆殺しにします。人狼に逆らう人間は全て死に絶えるのです!」

 狼魔はしばらく沈黙したあと、ゆっくりと尋ねた。「お前はあの予言の内容を覚えておるか?」

「この地で生まれし赤子は、悲劇を経て成長し、苦難を経て力をつけたなら、やがて闇夜を払う勇者、夜明けの戦士、予言の王と呼ばれるであろう」狼王が予言の内容を言い終えると、「そして、このアザット・メメティこそが、予言の王なのです!」と言った。

 狼魔はため息をついて、「お前の行いは、王者の行いではない」と言った。

 狼王は眉をひそめながら「そんなはずは?」と返事した。

「幼子たちよ、儂の下へ来るが良い」狼魔は優しい声で井千陽と南宮樹を呼んだ。

 二人はゆっくりと狼魔の眼前まで歩いた。

「答えよ。お主らは人狼を殺したことがあるか?」狼魔が訊いた。

 二人は互いに目を合わせ、少し考えたてから、一斉に「はい」と答えた。

「何匹殺したか?」狼魔が訊いた。

「覚えていません……」

「十匹以上か?」

「はい……」

 井千陽と南宮樹が少しずつ小声で申し訳なさそうになりながら言った。

 この年老いた人狼は二人を責めていなかった。二人はなぜ自分たちがこのような感情を抱いているかわからなかった。

 狼魔の慈しみとは対照的に、二人が問いに答える度に、狼王から放たれる殺気が強くなっていった。それはまるで、今すぐにでも二人を引き裂こうとしているようだった。

「お主が予言の王になりたいと申すなら、儂の言う通りにするがよい」狼魔は狼王に向かって「この人狼を殺した二人の人間に対して『兄弟、私はあなたたちを許します』と言ってから、二人を抱きしめ、家まで送り、彼らの無事を祈ることだ」と言った。

 狼王はその瞬間、顔色が変わり、怒りを露わにしながら言った。「私を愚弄するな!」

「愚弄などしておらん」狼魔は狼王の威嚇を恐れていなかった。彼から見ると、いわゆる狼王も拗ねている幼犬に過ぎなかった。「王になりたいと申したから、儂がお前に王になる方法を教えてやるのだ」

「戯言はもう結構!」狼王が大声で罵倒した。「王になる方法はただ一つ!神民と逆らう市民を皆殺しにして、ミラーズホロウの頂点に立つことだ!」

 狼魔は長い溜息をついた。

「この二人の神民は、我を倒さぬ限り、ここからは出られん!」

 狼王はそう言うと、壁に掛かった曲刀を取り外し、井千陽と南宮樹の前に投げつけた。

 長さ約五十センチの二本の曲刀は、柄は獣の角があしらわれ、鋭い刀身は銀色に光り、狼の牙を彷彿させる形をしていた。

「それは人狼すら殺せる武器だ。それを取って!命を賭して我と決闘するのだ!」

 次の瞬間、ブロンズ色の肌をした男は毛皮が黒く光る巨大な狼へ変身し、大地を揺るがす咆哮を上げた。

 井千陽と南宮樹は思わずぞっとして、全身に鳥肌が立った。地面に転がった曲刀を拾うべきか拾わざるべきかわからず、ただ眺めていた。

 二人が躊躇していると、狼王は既に下あごを限界まで開けて、ケルベロスのように二人に襲い掛かってきた――

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