43:あの日、あなたは誰を見ましたか?

 二人がドアを押し開けて入って来たのを見て、王平安は窮屈そうに椅子で姿勢を調整して、媚び諂った笑顔で二人に向かって頭を縦に振って挨拶した。

「お二人の警官さん、あの……私を連れてきて何か聞きたいですか?私の知っていることは本当にすでに全部話しました」

 長年ビジネスをしているせいか、王平安の姿勢が習慣のように低く保って、顔にもずっと微笑みを浮かべている。彼はもう若くない。五十歳くらいで、実際の身長も高いほうで、百八十センチがある。しかしいつも腰をわずかに曲げているから、人に恭順で卑屈な印象を与えていて、視覚的に彼は小柄な男性だと誤解される。

 蘇小雅と何思はそれぞれ王平安の前に座って、ファイルを机に置く時にコッと音を出して、王平安もそれにつれて肩を引いてビクッとした。

「王さん、亡くなった卜東延が知らないだと言いましたよね?」何思は口を開いて直接本題に入った。王平安の今の立場は事件の関係者で、容疑者ではない。彼はいつでもこの尋問に付き合わなくてもいいし、警察署を離れてもいい。だれも彼には手が出せない。

「それは……」王平安は慎重に机に手を置いて、怯えと戸惑い顔した。「正直なところ警官さんが聞いているのが誰か確定できません。確かに常連のお客さんの中にその名前の方がいますが、ご存知の通り、その日は現場にいる皆が緊張していました。そんな普通そうに見えた一人が急に血を吐いて、体に血まみれで、五官の大半が血で隠れていました。一瞬で見て、その人が知り合いではないと本当に思っていました」

 この話は一滴の水も漏れないと言ってもいいのだ。王平安の用心深い性格を表現しいて、尚、警察の彼に対する嘘話の疑念を説明した。非常に高度な話術で、蘇小雅は彼の感情波動を直接調査できないなら、事実が本当に王平安の言う通りだと信じるところだった。

 蘇小雅は他人の情緒を探り調べるためにエンパスempathを使うことに慣れていて、おそらく何思のようなベテランガイドよりも慣れているがこの瞬間、彼は王平安から感じる唯一の感情が「冷淡」だ。

 目の前の顔にある皺は長年笑顔をかけているから、笑っていなくても微笑んでいるような形をしていた。最初に広場で会った時、風采が上がらない容姿だがとても親切な中年男性だと思っていた。妻を心配して、自分の心が痛んでいるように驚いた妻を慰めて、本当に妻を深く愛している夫が持つべき姿のようだった。

 だが、人はいつまでも自分の本当の姿を隠せる訳ないだろう?

 何思は王平安を見て、ファイルから一枚の写真を取り出して、前に押した。「それではこの写真を見て、あなたが知っている卜東延かどうか確認してください」

 王平安は手を伸ばして写真を取ろうとしていたが、急に動きを止めて、何思を見た。触ってもいいかを確認しているような意味だろう。

 何思は軽く頷いた。「取っても構いません。じっくりと見て、考えが纏まってから私たちの質問に答えてください」

 馮艾保のような綿の中に針を包み込む尋問方法とは異なって、何思は多くのガイドが持っている冷静さと穏やかさを持っている。彼の口調と言葉遣いはとても柔らかくて、耳に入った最初の瞬間には人に怯えさせる何かがあるかを意識させないが、よく考えたら、自分の心が石に押されているような感じがして、訳のわからない息が詰まる感覚を与えられる。

 王平安の手がためらっていて、写真の上でしばらく揺れ回っていた。その間、彼は何思を何度かこっそり見て、蘇小雅のほうも何度かこっそり見た。しかし二人とも何の反応もせず、表情が一切変わらないのを見てから彼はやっと写真を取った。

 蘇小雅は本当に見事だと思った。何で王平安がこのように装っている演技をしているのか彼はわからないが、この中年男性の心の中に抑え込まれた感情は依然として硬い殻に包まれて、一滴の水も漏れないように武装していて、「冷淡」でさえほとんど消えそうになっていた。代わりに出てきたのは少しのイライラで、特に写真を取っていた瞬間、蘇小雅は一瞬の焦燥を感知した。

 卜東延は証明写真でも凄くイケてる美男子だ。何思が出した写真は半身写真で、証明写真を拡大されたもので、技術のおかげで画質は非常に明白かつ繊細だ。口角で微笑んでいるかっこよくて美しい男は、まるでいつでも呼吸し始めて、この場にいる人々と挨拶し始めるかのようだ。

 卜東延は上品な卵型顔を持って、男性にしては下顎の部分がやや繊細で狭いように見えるが、下へと繋ぐ首のラインは繊細でありながら男性らしいスマートさを失っていない。全体的にはセックシが隠れているエレガントさを持っているようになった。

 細くて金色の縁取りのメガネをかけているが、それは純粋に飾りで、彼の濃密で艶麗な鋭い眉目を隠しているから、腕のある洗練感と大人しい上品さに変えていた。この写真の男性を見て、彼が見心地よくて、精明で手腕を持っているホワイトカラーのエリートだと誰もがそう思うだろう。彼は会計士であっても、ファイナンシャルアドバイザーであっても、弁護士または他のどの職業であっても、クライアントは喜んで彼を選んで、自分へのサービスを受けさせるだろう。

 王平安は長い間見つめた。長すぎたとも言えるくらい見ていて、写真に穴をあけそうになるまで見て、やっとに写真をテーブルに戻して置きてから、二人のガイドに笑顔をかけた。「私は確かにこの卜さんを知っています。彼は私の店の古い顧客で、およそ七、八年前から毎日私の店で昼食を食べるようになりました。特にチャウダーがお気に入りです」

「チャウダーと言えば、馮警官はあなたの店のスープに特に興味を持っています。数日前からずっとそれを飲みたいとうるさく言っています。でも、最近はこのスープを作っていないようですね?」何思が突然微笑みを浮かべて、口調も熱くなってきた「彼があなたの店のスープからどんな匂いを嗅いだのかわかりませんが、ずっと心にかけていて、他のレストランのスープを買っても、彼の口を塞げないですよ。あなたの店のレシピを教えてくれませんか?」

 何思がこの話題を持ち出すことは予想外で、王平安は明らかに呆然としてから、たどたどしく答えた。「実は……特別なものは何も。市場で入手可能なチャウダーと大差ないだと思いますでしょう……ご存知のように、私は小規模なビジネスを営んでいて、一杯のスープの値段はわずか六十五元で、中には冷凍のエビ、グリーンピース、にんじん、カニカマなどで、乳製品も安いものばかりで……」

「乳製品?」何思が王平安の話を遮って、指でテーブルを叩いて、微笑みがもっと親切に見えた。「あなたのチャウダーにはどんな乳製品が使われていますか?」

「それは……」王平安は窮屈で不安な両手を何度か握り締めて、十本の指が赤く腫れてしまうくらい強く押されていた。「すべて常軌的なものです」

「常軌的なもの?」何思は容易く逃されるつもりはなくて、柔和な口調だが押しの強い勢いを隠せない。

「それは……えっと……」王平安は敵わなくてため息をついてから、顔をこすって許しを乞うようにそう言った。「警官さん、実はですね。店のチャウダーには乳製品が使用されていません。これはうちの秘伝レシピのようなものだから先ほど答えたくありませんでした。私は乳製品を代わってナッツミルクと植物性のクリームを使っています。馮警官がもし興味があるなら、明日いくつか作ってきて、味を試してもらえますよ!」

 何思は受け取るかどうかを言えず、再び卜東延に言及した。「乳製品と言えば、卜東延の未亡人が言ったことがあります。彼は乳製品にアレルギーがあって、乳製品を一切食べられないそうです。それについて、あなたは知っていますか?」

「このようなプライベートなこと、私と卜さんは普段会話する時も二、三句すら超えていません。どうやってそんなことを知るんですか?」王平安は手を振り続いて、とても緊張しているように見える。「警官さん、妻がまた何か変なことを言ったのかはわかりませんが、彼女の診療記録も見て、彼女の状況を知っているはずです。多くのことは彼女が意図的にした訳ではなくて、ただ自分を制御できないから、あまり真剣に受け取らないでほしいです。妻も、自分から願って病気を患ったではありません」

「あなたの妻がどんな変なことを言うと思いますか?」蘇小雅の頭がフォンっと鳴って、何思が隣にいることに頼っているのかもしれないから、彼は自分を放任していて鋭い口調で聞いた。

「それは……私もよくわかりません……」王平安は驚かれたのように、彼の目付きには驚き、焦りと畏縮を篭っていて、迅速に蘇小雅をチラッと見たらすぐ顔を背いて、俯いたまま囁いた。「彼女も不本意です……幼いころから彼女が病気を患っていましたが、義父は妻のことをあまり気にかけていなかったので、彼女には何が起こったのか気づいてあげられませんでした。私と結婚してから、ある時、私は引き出しに彼女が隠したたくさんのラブレターを見つけて、それはすべて私の知らない男に宛てたものですから、彼女が浮気していると思いましたが、後に彼女が病気だってわかりました。彼女がその男とはまったく面識がありません……私は妻を愛しています!彼女は素敵な女性で、優しくて、いつも私を支えてくれていて、彼女はこのままこの病気で苦しむべきではありません!そう思って私は彼女を医者に診てもらって、私のそばにいってもらいました。私が連れ添っている限り彼女の病気が安定できると医者はそう言いました。この二十年間、彼女は発病していませんでした……何でまたこうなったのか私にはわかりません……」

 そう言いながら、王平安は苦しそうに顔を覆って、悲切で抑えきれない泣き声が狭い尋問室に詰め込んだ。

「あなたはまだ答えていません。あなたは妻がどんな変なことを言うと思いますか?」蘇小雅は淡泊に王平安の苦しむ泣き声を聞いていた。エンパスempathへ反響された感情がまるでパラレルワールドから伝わってきたようだ。嫌悪、苛立ち、吐き気、そして人を焼けるほどの悪意。

「私は……私はわかりません……でも、警官さんたちが私を尋問して、私のケータリングカーで変な実験まで使って、それはきっと妻がまた変なことを言ったからだと思います。彼女は一体何を言いましたか?私には話せないですか?あなたたちが私の口から何を聞き出そうとしているのか、本当にわかりません!私が知っていること、本当にすべて話しました!」王平安は激動になってきて、涙の痕を滲んで狼狽えている顔を上げてから、悔しくて苦しんでいるように机を二回叩いて、警察に疑われることに対して深い無力感を感じたようだ。

「確かにあなたの妻が私たちにあなたを疑わせるようなことを言いました。あなたも聞いてみたらどうですか?」何思はマイクロパソコンしている手を机の上に置いて、音声ファイルを再生した。

 王平安はまだ苦しんでいて、どうしようもなく無力の様子をしているが、ほんの少し傾けて、耳を持ち上げた動きはこの場にいる皆が見逃していない。

 王平安は明らかに音声ファイルの内容に凄く気にしていて、目の縁はまだ赤いままだが涙はすでに乾いていた。

 録音の最初の十数秒はシャーシャーッとしたホワイトノイズで、そのノイズが消えた後は軽い呼吸音と重い呼吸音が交互に聞こえる。蘇小雅はその軽いほうが馮艾保で、重いほうが王夫人だとわかる。

 二人が交互する呼吸音はさらに約半分間を続いた。蘇小雅は王平安の焦りと不安の感情が伝わってくるのを感じて、それはまるでムンクの『叫び』のように歪んでいた。それが蘇小雅に非常に不快な感じを与えているから王平安への探査を一時停止せざるをえない。

『あなたがその日、約束通りに行った時、何を見ましたか?』馮艾保の声が最初に皆の耳元に現れて、柔らかくて心地よい男性のバリトンで、この場に滞った空気をほんの少し緩和した──もちろん、この緩和は王平安には計算に入っていない。彼はいい夫としての正直でお人好しの仮面をかかれなくなさそうだ。

『私は……卜さんを見ました……』王夫人の答えはゲロを吐いたようで、全身の力を振り絞ってやっと数語を吐き出した。

『卜さんだけですか?』

『もちろん……もちろんね……きっと彼しかいないです……そうでしょう?だって彼が私との待ち合わせを約束したのですよ!私達はチャウダーを合図にしています。チャウダーがある日は待ち合わせの日です。夜七時半、新美シンメイホテルの四〇五号室です。コンコン……コンコンコン……コンコン……コンコンコン……』

 王太太はなだらかで起伏のない口調で話していた。それが蘇小雅の背中に寒気を走らせて、聞くのが二度目でさえ、エンパスempathで自分をしっかりと抱きしめるのを抑えられなかった。

『王夫人、もう一度確認いたしますが、あなたは他に誰を見ましたか?あなたの前に誰かがいて、コンコン……コンコンコンとドアを叩いて、部屋に入りましたか?』馮艾保は聞くだけでなく、何かを叩いているようで、机の上を叩いたかもしれない。これらの声調を叩き出した。

 王夫人は激しく息を吸い込んで、まるでこの一口で自分を窒息させるつもりのようで、次から次へと息を吸い込んでから、一気に激しく吐き出して、それに続いているのは歯がガタガタと震えていた音だった。

『王夫人?』

『私は……実は私は知っています……私は知っています……私の夫は、私と卜さんとの関係に気づいてしまいました……私はもうこんなことをしないと約束しました。私はこんなにも彼を愛しています……こんなにも彼を愛しています……こんなにも彼を愛しています……』王太太はがみがみ絡んだ言葉を止めて、何度も深呼吸して、一文字ずつ言った『私は、こんなにも彼を愛しています』

『つまり、あなたは王さんが卜さんのいる四〇五号室に入ったのを見ましたか?』

 王夫人はもうこの質問に答えようとしなくて、ただ夫との深い感情について繰り返して話していて、自分の愛情を何度も繰り返して、そして夫の甘くて可愛らしい嫉妬心について語って、夫はいつも彼女が他の男に引かれるのではないかと怖がって……彼女は夫に申し訳ないことをしてはいけない。絶対にダメだ。なぜなら彼女は約束しているから、などの話を繰り返していた。

 馮艾保はしばらく聞いた後、王夫人のがみがみしている話を遮った。『あの日、王さんはあなたに何と言いましたか?私に教えてもいいですか?』

『あの日?』王夫人は困惑して、彼女はまだ自分の思考から抜け出せていないから、馮艾保の質問が理解できないようだ。

『こう聞いてみましょう。あなたが卜さんを殺したあの日、警察に尋問される前に、あなたの夫はあなたに何と言ったのですか?』

 王夫人は再びしばらく黙っていて、どう口を開くのかを足掻いているようだった。

『あなたの夫に対する愛情を証明したくないのですか?』馮艾保はまるで悪魔のように、軽やかな言葉で彼女を押していた。

『彼は……私が彼に申し訳ないことをしただと言いました。もうしないと私は彼に約束しました。彼は、私がもう一度他の人に愛してしまったことを知って、とても傷づいているだと言いました。彼は言いました……彼は言いました……』王夫人は泣いているようで泣いでいない、笑っているようで笑っていない。羽のように軽い声でそう言った『私は彼を愛しているのなら、責任を取るべきだと言いました……』

 録音は突如に中止した。

 何思と蘇小雅が王平安を見て、まだ涙の跡が乾いていないこの男は微笑みを浮かべて、両手を広げて肩をすくめた。『この対話は何を示しているのですか?警察がわざと質問を誘導したのです?それとも、妻の病状がさらに悪化したのですか?警官さん、もし他に質問がないなら、私はもう続けるつもりはありません』

『新美ホテル受付スタッフの吳さんについて話し合ってみませんか、そして……この写真』何思は監視カメラからキャプチャされた写真を取り出して、人の影がぼんやりしているが、王平安の輪郭だとはなんとか見分けられる。『実はですね。新美ホテルは最近監視設備を更新して、七つのカメラを追加しましたが、そのうちの一つは四〇五号室の廊下を向いていました。なんという偶然ではないか?』

 それを聞いて、元々余裕のある様子をしていた王平安の表情は一瞬で固まって、心の中に秘めた冷淡さがやっと徹底的に表に浮かび上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る