2 初めまして

 月曜日、黄佑恩は早起きした。彼は新しい『部下』と出勤時間から1時間前、仕事内容を引き継ぐために会社と同じビル内にあるスタバで待ち合わせをした。無意識のうちに緊張しながら手には1枚の黄色の名刺を握っていた。『沈曼依シェンマンイ』という営業の名刺──その下に『Angeart・部下レンタルプラン』と会社名と、何か困ったら電話することができると記載されている。

「はじめまして。黄佑恩さんですか?」そう話す甘い声がすぐそばから聞こえた。黄佑恩は驚いて顔を上げると、目の前には二十代と思しき女の子が立っていた。笑顔で目を細め、黒髪ロングヘアの丸顔の女の子はノートパソコンを持ちながら、「蘇小卉スーシャオイといいます。小卉と呼んでください。よろしくお願いします!」

 黄佑恩は再び驚いた。この『部下』は普通の女の子ではなく、かなり整った容姿をしている!

「あ、初めまして、こちらこそよろしくお願いします」

 蘇小卉は黄佑恩の向かいの席に座った。黄佑恩は少し考えながらまずは彼女のことを知ることにした。「この仕事を選んだ理由は何だい?」

「もちろん給料が高かったからです」と、蘇小卉は恥ずかしそうに笑って言った。「ご存じかもしれませんが、多くのグラフィックデザイナーは三十歳になっても給料が三万元以下なんです。でも、レンタル部下になればその倍近くなんですよ」

 黄佑恩はその話を聞いて、コインが地面に落ちた音を聞いた気がした。

「ゴホン……あの、レンタル部下になるためには何か条件が必要なのかな?」

「得意スキルと、あと、強い奴隷根性ですね」

「奴隷根性?」

「社畜経験をした人なら、大抵は持ち合わせている素質ですよ。私は特別な長所がある訳ではなく、社畜の肩書が私の唯一の取柄なんです」そう語る蘇小卉的の目にはうっすらと陰りが見え、清潔感のある笑顔には一抹の悲しい色合いがあるようだ。

「だからレンタル部下の募集広告を見たときに、やってみようと思いました」

「そうか」

 黄佑恩は長い溜息をついた。同じグラフィックデザイナーとして、その悲哀を全て理解した。幸運にも今の会社で就職できなかったら、給料は蘇小卉がレンタル部下として働いている以前とほとんど一緒だっただろう。

「じゃあ、俺は君の何番目のお客さんという訳かい?」と黄佑恩が尋ねた。

「黄さんが一番目ですよ」と蘇小卉は少し姿勢を直してからこう言った。「だから今日もちょっと緊張しています。少しぎこちないところもあるかもしれませんが、お手やわらかにお願いします」

「了解、俺のことはRodneyと呼んでいい」

 やはり、相当お利口な子なんだろうな──黄佑恩はこんなに礼儀正しい子なら満足だと思った。

「これから君に仕事内容を大まかに説明するよ」


 三十分後、黄佑恩は蘇小卉を連れてドキドキしながらエレベーターで七階へ上がった。

「あの、Amanda。彼女は蘇小卉、私の新しいデザインアシスタントだ……」と黄佑恩はテレフォンオペレーターのチェン湘儀シャンイに恐る恐る説明した。実際、沈曼依は彼に対して、部下を連れるときは堂々と会社に入ってくださいと言ってきたが、それではやはりまずいと思って、彼女を紹介せずにはいられなかったのだ。

 陳湘儀は怪訝そうに黄佑恩を見ながら、「どうした?今日はどこか具合でも悪い?」

「ハハハ、ここ毎日多くの社員が出たり入ったりしているから、覚えていないかもしれないと思って」黄佑恩は無理やり笑みを浮かべながら、逃げるように自分の席へ向かった。

 蘇小卉は黄佑恩の隣の席に。二人がオフィスに入るとき、見かけた同僚たちは何事もなくいつものことのように二人に挨拶をした。黄佑恩は席に座った後、蘇小卉をちらっと見た。彼女は目を見開いて周りを見ながら、「おお、やはりハイテク企業は違いますね」と感嘆した。

 黄佑恩は思わずに「あの、これ、どういうことだ?」と、周りの同僚を指でさしながら尋ねた。「君に質問する人間が誰もいないぞ!」

「私もよくわからないです。曼依さんが私に新しい雇い主さんと一緒に出社するとき、自然に溶け込める雰囲気が出来上がっているって言われまして」、蘇小卉は目を少し細めながら大げさに両手を開いて、「やっぱり本当ですね!面白いです」

 黄佑恩は訝しげに彼女を見た。普通、怪訝に思ったことはきっと『Angeart』の不思議な力なんだろう。しかしその時、黄佑恩は心の中で「この可愛い仕草にハートを掴まれるわ。反則だろう」と思った。

 その返事をする前に、突然声をかけられた。謝旻娜がいつの間にかすぐそばにいて、せわしない声で言った。「ところで、動画ファイルを湯社長に提出したの?」

「昨日、六つ目を渡して七つ目は今やっています……」

「まだ一つ残っているの?あんた何やっているの?」謝旻娜は大げさにため息をついた。「前にも言ったよね、私たちができる限り最高のものを作って、社長に叱られないようにするのよって」

「でも、セキュリティセンサーのカタログと展示会のデザインもあって、最短時間でやっと六つ目を完成したんですよ……」

「時間くらいは自分で管理しなさい!それと、小卉もいるでしょ?午前中までにさっさと終わらせること。わかった?」と苛立ちながらそう言って席に戻った。

 黄佑恩はあり得ないという表情で謝旻娜の後ろ姿を見ながらブース越しにこっそり中指を立てた。

「見ましたよ」蘇小卉が笑いながら小さい声で言った。

「驚いた。名前も知られているんだな」

「もちろんです。あなたのデザインアシスタントですから」と、蘇小卉はそう言ってウィンクをした。

「実は、今の仕事は三人がかりでやっても間に合わない。君がいても間に合うはずはない」黄佑恩は少し申し訳なさそうに「今日の残りの動画制作、手伝ってくれるか?」と頼んだ。

 蘇小卉はパソコンを立ち上げながら「完成した動画は会社の公式YouTubeチャンネルにアップロードされますか?」と聞いてきた。

「いや、動画は六、七割の確率で無駄になる。湯社長に『試聴』させるだけさ」

「試聴だけですか?」そう驚く蘇小卉は「声優さんに依頼するのって安くないんですよね!」と言った。

「IC設計会社で最後に物を言うのは金だから。あいつら、俺たちの労働時間も気にしていないんだ。そうだろう?」

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