真夜中に散歩してたら、絶世の美少女に××された話

霖しのぐ

第1話 散歩してたら出会っちゃった

 俺は身支度を軽く整えると、一人暮らしをしている部屋を出る。


 ドアに鍵をかけてから、空を見上げれば浮かんでいるのは半分ほど欠けた月。さらに目を凝らすと星がまばらに輝いている。


 今日も日課にしている散歩をする。別に行くあてもなく、単に考え事をするためだけにぐるぐると歩く。


 大学三年にもなれば、考えなければならないことや悩みも増える。まもなく本格的に始まる就活のこと、思った通りの結果が得られない実験のこと、人間関係……まあ主に彼女が作れないこと。馬鹿馬鹿しいとは思うが、これがいま一番焦っていることかもしれない。


 時刻は午前零時半。俺は誰もいない街を歩く。世界にひとりきりになったかのような錯覚に陥り、寂しさに身がすくみそうになるが、それも心地いいとも思う。


 静かな闇に身を委ね、夜風に吹かれながら思案を巡らせると、より良い結論を得られる気がするのだ。


 今は十月。日中は汗ばむこともあるが、夜になるとぐっと冷える。一段と強い風が吹き、上着の前をかき合わせた。


 ざわざわと葉が擦れ合う音がする。微かな金属音もする。高い音が耳を搔くたび、全身を不快感が走った。


「あっ」


 ここで俺は、この辺りに住む学生連中の間でお化け屋敷と呼ばれている洋館の前に立っていることに気がついた。 考え事をしながら適当に歩いているうちにすこし遠くまで来てしまったらしい。


 庭に鬱蒼と茂った木々が揺れ、年を経て合わせが甘くなってしまっている鉄製の門扉が、きいきいと音を立てているようだ。




「相変わらず気味が悪いよなあ、ここ」


 近くに友人が住んでいるので昼の姿は見たことがあった。一面をツタの葉に覆われた洋館は、住宅街の外れで不気味な存在感を放っている。全く手入れがされていないわけでもないらしいが、人が住んでいる気配はなく、魔物が巣食うと噂すらあるほどだ。


 今は真夜中の静寂に沈むように佇んでいて、その姿は輪郭さえもはっきりと捉えられない。


 しかし重く覆い被さってくるような気配はそれだけでも十分に恐ろしく、この世に存在するものらしからぬ禍々しい雰囲気を漂わせている。


 足早に通り過ぎようとした俺の目の前を何かが横切ったのでブレーキをかける。


「ああ、コウモリか」


 街灯の明かりで姿が浮かび上がった。ひらひらと飛び続け、やがて闇に溶けて見えなくなる。


 コウモリを見かけるのは別段珍しいことではない。この辺りでは日が暮れたあたりの時間から、よく鳥に混ざって飛んでいる。


 病気の危険があるらしいので触ったことはないが、案外可愛い顔なのを知っている程度には馴染みがある生き物だ。


 ただ、よりによってここでコウモリに出会うなんて不穏な気がしなくもない。今日は早めに散歩を切り上げて帰ることにして、アパートへの最短距離を進んだ。



 近道になる公園にたどり着いた頃、時刻はすでに夜中の一時だった。にもかかわらず、目の前のベンチにどう見ても女性にしか見えない人物がひとりでポツンと座っている。


 どうやら髪も服も白っぽいその人物は、街灯の下で、まるでその身体が発光しているかのように白く浮かんでいる。動いている気配はない。


 何かあっただろうかと駆け寄って、息を飲んだ。


 その身に纏うのはところどころに繊細なレースが折り重なった白っぽいワンピース。露出された肌は雪のように真っ白だ。


 ゆっくりと顔を覗き込む。陶器のように滑らかな肌をしていて驚く。顔立ちはやや幼さが残っているが、歳はそんなに変わらなさそうだと思った。


 降り注ぐ月明かりと同じ白金色の長い髪とまつ毛。唇は透き通った桃色。閉じられた目は何色なのだろう? 好奇心を掻き立てられる。


 手足はすらりと細く、胸の膨らみも控えめだ。


 頭に輪っかは浮かんでいないが、まるで絵に描かれた天使のようだと思う。


 胸はできるだけ大きい方がいいと思っている俺でも、その人間離れした美しさに唾を飲んでいた。そっとその口元に手をかざしたが、呼吸をしていない。おそるおそる手を触ってみても、やはり体温を感じられない。


「まあ、やっぱり人形だよな」


 かといって、慌てることも騒ぐこともなく、そう結論づける。


 死んでるとか、気を失っている可能性を除外したのは、こんな作り物めいた造形の人間が実在しているわけないと思ったからだ。


 その白肌はすべすべで吸い付くような感触だったが、俺は女の子に触ったことがないので人間の女の子と人形の女の子の区別がつかない。なんとも悲しい話だ。


 俺は腕を組んで考えた。この手の立派な人形は、バッグに入れて持ち運べるサイズのものでも結構な値段がするのは知っている。実寸大となればとんでもなく高価だろう。果たしてこんなところに置き忘れたりするものだろうか。


 考えられそうなのは……どっかの家から金目のものとして盗んだけど、扱いに困って置いて行ったというところだろう。


「まあ、警察だよなあ」


 草木も眠る真夜中とはいえ、どこで誰が見ているかわからない。黙って立ち去って後日あらぬ疑いをかけられるより、正直に届け出て、第一発見者になっておく方が都合がいいだろう。


 あとは、こんな精巧な人形を買うか作るかできる持ち主からの謝礼は弾むんじゃないかという計算をしたのもあった。久々に焼肉を食いに行けるかもしれないと思うと少し心が弾む。


 人形の隣に腰掛け、スマホを取り出した。救急車は呼んだことがあるが、警察は初めてだ。緊張しながら三桁の番号を押し、発信ボタンをタップしようとした瞬間、


「なっ!?」


 全身に衝撃が走る。スマホが飛ばされて地面に落ち、勢いのままに滑っていく音がした。


 拾え……ない。今、俺はすごい力でベンチに押し付けられている。肘掛けで頭を打ち、目の前に星が散っている。


 目を細めても焦点が合わない。ただ、荒い息遣いの音が聞こえる。


 何かに馬乗りになられていると察したが、口がぱくぱくと動くだけだ。人間は本当の恐怖に遭遇すると声が出なくなるというのはどうやら本当らしい。


 ゆっくりと、絹糸のような感触が頬をくすぐる。ようやくしっかりと焦点が合った俺の目に飛び込んできたのは、ルビーのように深い深いあか――――


 縫い留められたかのように動けなくなった俺の首筋を、冷たいものが伝う。


 なんだこれ!! 何かの舌が這っている!!


 今まで生きていて経験のない刺激に、全身の細胞が沸騰しそうになる。


――なんだ!? 俺は、人形に押し倒されているのか!?


 そう理解すると、ようやく喉が開いた。しかし……声を上げる間もなく俺の意識はそこでぷつりと途切れた。

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