第33話 不思議な飲み物、そして 前編



「エルナ! テーブルはこっちの場所でいいのか?」

「そんなとこ日当たりが良すぎでしょ、ちょっとは考えなさいな!」

「頑張って考えた結果、ぽかぽかがいいと思ったんだよ!」

「ぽかぽかどころか、アチアチになったらどーすんのよ!」

「ジピーもノマも落ち着いてね」


 お互いに吠え合うように叫ぶメイドと兵士の二人は本当にいつものことである。とはいえ、時間も限られているから……とエルナはにっこりとその場を制した。


「でもたしかにテーブルはもうちょっと日陰の方がいいかな。今日はいい天気だから」

「たしかにそうだな、移動すっか!」

「しょうがないわね手伝うわよ!」

「お前の細腕なんていらねぇよぉ!」

「ばっかね、私の力強さを知らないっての!?」

 と、仲良く言い合いながらテーブルを移動している。微笑ましいことこの上ない。


「えーっと、場所は大丈夫、警備はクロスにお願いしてるし……あとは」

「エルナ! お食事なんだけど、最初の品も後の品もなるべく冷えていた方がいいものが多いわよねぇ? それならスムーズに移動できるように厨房に声をかけてくるわ」

「準備が終わったのならコモンワルド様に伝えて来ましょうか」

「じゃあ私は全部の最終確認」

「みんなありがとう。お願いしてもいい?」


 返答すると、三人のメイドたちは、『おまかせくださいな!』とぴったり声とポーズをそろえて返答したので、エルナは予定が書かれた紙を両手で持ちながら、ぱちぱちと瞬いてしまった。その後で、ちょっとだけ苦笑した。三人ともエルナの同僚なのだが、最近はよくよく世話になっている。血つがなっていないのに、そんなことも忘れるほどに仲がいいので、彼女たちは三人姉妹と呼ばれているらしい。なんとなく、言いたくなる気持ちもわかる。


「うん、カカミにも改めて協力してもらえたし……厨房の人たちにも」


 失敗したらと思うと不安に感じるばかりだが、動く前に不安がっていても仕方ない。たくさんの人に手伝ってもらい、なんとか形にできたのだから。エルナの頭の上ではえいやほ、えいやほとハムスター精霊が踊りながら応援してくれている。

 折よく天気にも恵まれ、精霊たちも草木の中を駆け回り喜び溢れていた。


「エルナ、ここでいい? 席は三つ分だったわよね」

「うん。クロ……ヴァイド様と、フェリオル様。それから、カイル様も」


 最後の名前は、少しだけ緊張してしまい、硬い声が出てしまった。エルナはどきりとしてきゅっと唾を呑み込んだが、ノマは気づいた様子はない。


「本当に、皆様いらっしゃるの?」


 それよりも、ノマはさっきのエルナよりもずっと不安そうに用意された三つの席を見つめている。「大丈夫よ」と、これについてははっきりと声が出た。だって、クロスが約束してくれた。


「マールズ国と、ウィズレイン王国。二つの国の、。絶対に成功させてみせるから!」





 フェリオルはまるで借りてきた猫のように毛を逆立て、警戒を隠すことなくじっとカイルを睨んでいる。それに対してカイルは困ったように笑っていて、互いに顔を見合わせる丸テーブルで、ほとんど正面に座っているクロスは素知らぬふりだ。


 ぽかぽかの暖かな日差しを浴びながら、冷え冷えとしたこの空気。もしやこの組み合わせ、相性が悪いのでは……? とエルナが気づいたのは、呼ばれた三人が席についてからのことだった。設置を手伝ってくれたノマや同僚のメイドたち、ジピーはすでに遠巻きにこちらを見つめていて、何かあれば手伝いをしてくれることになっているが、ちょっとそわそわしている感じがする。いや、そわそわというよりも、不安そうな瞳というか、それみたことか、という顔のような……。


 いやいや、とエルナは首を振った。そんな気弱でどうするのか。顔を上げると、ぱちりとクロスと目が合った。腕を組んだままこちらを見つめる彼は、ほんのすこしの間の後で、にやり、と口の端を上げている。なんだか挑戦的だ。


 エルナはむうっと少しだけ頬を膨らませた。

 ――やってやろうじゃないの。

 この場を設けるように頼んだのはエルナだ。始まる前から逃げるわけにはいかない。


「うん。カイル殿。昼をご一緒するというこちら側の提案を快く承諾いただいたことに、まずは礼を言おう」

「いいえ、こちらこそ。せっかくのご機会です。ぜひ、クロスガルド王、またフェリオル殿下とも交流を深めさせていただければと思います」

「……僕も、お会いできて、光栄です」


 カイルと食事会を、とクロスに頼んだのはエルナだが、まさか一介のメイドが言い出したとエルナが主催するわけにもいかず、表向きはクロスからの提案ということになっている。フェリオルも相変わらず警戒心は消えていないがなんとか言葉を擦りだしていた。


(フェリオルとカイルは初めて会ったわけではないけれど……あの場に王族がいたと知られるわけにはいかないしね。発言を選んでくれているわ)


 正確にいうと、自称自警団に殴られるカイルの姿を甘味処でフェリオルと一緒にいたエルナが一方的に目撃しただけなのだが。なんにせよフェリオルの目にはカイルは怪しい男として映っているのだろう。しかし彼も今はエルナの提案に協力してくれている。

 王族と使者の会話を妨げるわけにはいかないので、エルナは給仕役として手のひらをエプロンスカートの前で合わせて顔を伏せ、じっと口を閉ざして待った。


 すると、「あのときのメイドさんだよね、この間はどうも」とカイルが小さく声をかけられたので驚き顔を上げると、カイルはにこりと微笑みわずかに首を傾げていた。さらりと長い前髪が流れている。

 エルナは無言のまま、返事の代わりにそっと頭を下げた。そしてクロスが問いかける。


「カイル殿。この間……とは?」

「少し街でお世話になっただけですよ」

「そうであったか。こちらにいる間は、ぜひともこの国を満喫してもらいたいものだ」

「ありがとうございます。しかしすでにとても楽しく過ごさせていただいていますよ」


 エルナとカイルの出会いはクロスには報告していない……という体になっているため、わざとらしいがこういった会話も必要なのだ。顔を伏せつつちらりと目だけで窺ってみたが、フェリオルがさらに訝しげな顔をしてカイルの顔を穴があきそうなほどにじいっと見つめている。フェリオルに、どうか頑張ってほしいとエルナは静かに念を送った。

 そうこうしている間に会話は落ち着き、食事の準備に取り掛かった。


「今日は外で食べるならではの趣向を、ぜひとも味わってくれ」

 と、クロスはカイルに笑いかけ、カイルも「もちろんですとも」と爽やかに答える。なんとも作り物めいた笑みである。エルナのポケットの中では、ぶるんっとハムスター精霊が震えている。


 まず一品目はトマトとチーズのカプレーゼだ。トマトはそのまま出してもよかったが、じゅわっと焼き目をつけることで甘みが増し、間に挟んだ冷えたフレッシュチーズがしっかりと味を引き締める。バジルの彩りが爽やかで、かけられたオリーブオイルのとろみがなんともいえない調和を成している。あっさりと食べることができる前菜である。

 二品目は冷たいコーンスープだ。ただのコーンスープと思うなかれ。生クリームと牛乳を絶妙な配分で混ぜ合わせ驚くほどクリーミーな味わいとなっており、ぷつぷつのコーンの粒と、ぱりぱりのクルトンが交互に食感を楽しませてくれる。暑い日差しの中でのスープは、みんな食が進んでいる様子でほっとした。


 次は魚料理だ。水が苦手であり、川とも海ともあまり縁がなかったエルナは魚のことはあまり知らなかったのだが、王都では精霊術、また流通の発達のより魚料理は一般的なものらしい。カイルたちの前に出された料理は、まるまるした大きな魚だ。低温の油でじっくりと揚げることで鱗まで食べることができるらしく、さっくりとした食感にこれにはカイルも驚き、クロスたちにも好評なようだ。


 食事については厨房で働く料理人たちが、他国の客を相手に、どう喜ばせたらいいのだろうかと頭をひねって考えてくれた。よし、とこっそりと拳を握ってしまう。考えて、そして完璧な料理を出してくれた料理人たちには、本当に頭が上がらない。

 冷たい、冷たいと二つ連続したために、温かい料理で腹を膨らませてもらい、本来なら次はデザート、またメイン料理と続くのだが、ここで一つ趣向を変えることにした。あくまでもこれは交流のための軽いランチだ。相変わらずのわざとらしさは漂うものの、クロスとカイルの会話も表面上は弾んでいる。概ね、成功しているといえよう。

 どきどきしながら、エルナは最後のデザートを運び、三人の前に並べた。


「ん? これは……」


 ――途端にカイルはぴくり、と眉をひそめて鋭い視線を手元の皿に向ける。

 出てくる料理のすべてを嘘くさいほどに褒め立てていたカイルが、ぴたりと口を閉じたのだ。和やかに会話をしていたテーブルからは、寒々しい空気さえ伝わってくる。淡々と給仕をしていたエルナはともかく、食事を運ぶために手伝っていた同僚のメイドたちが漂う不穏さに恐れ、怯えたように息を呑み込む音が聞こえた。


「カイル殿。その皿が……どうかされたか?」


 そんな空気すらも意に介さず、いや、理解しているからこそ、あっさりと乗り越えるように、はっきりとした声でクロスは問いかけた。


「……いえ」


 長い間の後、カイルは顔を伏せたまま曖昧に首を横に振る。カイルの前に置かれたデザート。それは、ただのチョコケーキだ。

 クリームの一つすらもデコレーションされていない、なんの変哲もないケーキを前にして、食事会は失敗だとそのとき誰もが思っただろう。他国への賓客に出すべき食事ではない。


 このデザートだけは城の料理人が作ったものではないため、料理を運ぶ際に、「本当にこれでいいのか」とエルナは周囲に何度も念押しされたのだ。

 カイルはフォークすらも握りしめることなく、不格好なケーキを見下ろしている。そして、ゆっくりと口を開こうとした。


「……クロスガルド王、大変申し訳ございませんが」

「失礼致します」


 エルナはそっと目の前に新たなカップを差し出し並べる。予定外にも準備がギリギリまでかかってしまい、出すタイミングが遅れてしまったことには肝を冷やした。が、なんとか間に合った。


「これは……」


 今度こそ、カイルは驚きに目を見開いていた。エルナとカップの中身を、何度も視線を移動させ、信じられないとばかりにもう一度カップをじっくりと見つめた。よかった。これで、合っていた。


「見たことがない飲み物だな。これは一体なんなんだ?」


 と、ここで声を出したのは今までじっと口をつぐんでいたフェリオルだった。

 そう、これはウィズレイン王国では馴染みのない。クロスは苦笑するように弟を見つめていた。そして「そこの者。よければ説明を」とエルナが発言する許可を与えた。

 純粋なフェリオルの態度を除き、もちろんここまで織り込み済みの対応である。


「はい。フェリオル殿下、これは珈琲といってマールズ国の方々の間でとても親しまれている飲み物です」

「親しまれている? こんな黒い汁が?」


 とフェリオルは素っ頓狂な声を出した後で、慌てて自身の口に手を当てた。その親しんでいる住人がすぐそばにいるのだ。失礼な物言いをしてしまったことに気づいたのだろう。


「いいんですよ。フェリオル殿下。たしかに見慣れない方からすれば、おかしなものに見えるでしょう」

「いえ……こちらの考えが足りず、大変なご無礼を致しました。謝罪いたします」

「本当にお気になさらないでください」


 ぴんと背筋を立てたフェリオルに対して、カイルは恐縮した様子ではたはたと両手を振っている。


「しかし、メイドさん」とカイルは今度はエルナに顔を向け、それから困ったような顔をした。エルナは少しだけ考えて、クロスに視線で確認してみる。こくり、とクロスは頷いたので、問題ないと判断した。


「エルナと申します」

「そう、エルナさん。どうしてこの席で珈琲を? いや、この国に来てからずっと飲んでいなかったからとても嬉しいけれど、びっくりしてしまって。それともクロスガルド王のご提案でしたか」

「ここにいるメニューは、私ではなくそこにいるメイド……エルナが中心となって考えたものです」

「じゃあやっぱり」


 カイルは驚きに銀の瞳を瞬いている。

 エルナは両手をエプロンスカートの前で合わせたまま、「失礼ながら、説明させていただいても?」「許す」と、クロスの返答を受けたのちカイルの前に立って、にこりと笑った。

 堂々とせねばと震える気持ちと、それは得意なことだったはずだとささやくように話す過去の声がしんと心の中に響く。エルナルフィアは大勢の人間の前であっても常に慌てることなく気品すらも感じる姿であり、のちの世に淑女の鑑とまで伝わった。


 エルナはすい、と顎を引き背筋を伸ばした。

 それは空気が変わったとしかいいようがない光景だった。その場にいる誰もが、エルナに目を向けずにはいられない。


「以前、カイル様と甘味処でお会いした際、不思議に思ったのです」


 話す声は凛として、風の中に吸い込まれ流れていく。ふわりとなびくアプリコット色の髪が、空の青と緑の中で、妙に引き立つ。


「……不思議に思った、とは?」

「お出ししたケーキと紅茶を、一口も口につけていらっしゃらなかったからです。甘味処ですから甘いものを求めて来られるのが一般的です。それなのに、と」


 実際は殴られ、気絶した後だったから純粋に体調が悪くて食べる気がなくなってしまったという可能性もあるが、そうではないということはその場で風の精霊が教えてくれて知っていることなので、この場では省略する。おそらくカイルは、もともと甘いもの、いやを目的として店に入ったわけではなかった。


「なら、一体どうして店に来たのか。考えたとき、はたと思いつきました。カイル様は、ウィズレイン王国の方ではない。マールズ国からやって来られた方なのだと。国が違えば、文化が違うのは当たり前です。調べたところ、マールズ国では珈琲と紅茶、両方を嗜まれるのですね」

「……マールズ国はウィズレイン王国と比べて水の精霊を操る精霊術師が少ない。だから我が国では独自の方法で水を集めている。水の種類が違えば、味も違うからねぇ。こっちの国では珈琲がほとんど流通していないと知ったときは驚いた。僕は紅茶よりも珈琲派なんだ。毎日一杯は飲まなきゃやる気が出ないってのに、困ったよ。あとはお察しの通りだ。甘味処なら珈琲も取り扱っているかも、と思ってあの店に行ったというわけさ」


 カイルの口調も、少しほぐれたものに変わりつつある。

 以前にケーキを出したときよりも紅茶を出したときの方がカイルの表情に変化があったような気がしたのだ。そのときクロスが妙に苦い飲み物を飲んでいたのを思い出した。そして知ったのが、この珈琲だ。

 他国の文化に触れるためにとクロスも取り寄せていたくらいなのだから、国内での流通が少なくても、王都ならば急ぎでも少量なら準備が可能だった。


「……見かけは、たしかに馴染みがないけれど。なんだか胸にくる香りというか、いい匂いがする」

「フェリオル殿下、飲み慣れない方は砂糖を入れてからの方がいいかもしれません」

「そ、そうなのですか」


 じっとカップを手にして見つめていたフェリオルが、カイルの助言を聞き慌てて顔を離した。先程までの険悪な空気は消えつつあることにエルナは自然と口元がほころんでしまうのを感じながら、「フェリオル殿下のものは、すでに溶かした砂糖を流し込んでおります」と伝える。


「ならよかった」

「ですが、たしかに最初は……驚かれるかもしれませんので、お好みでミルクをお入れください」


 あまりの苦さに噴き出してしまいそうになった過去を思い出してしまった。同時にエルナの複雑な表情の意味を理解したのか、クロスが「ぶはっ」と声を出した。今、もしかして笑った? とじろりと視線を移動したのだが、すでに彼は涼しい顔をして素知らぬふりをしている。


「フェリオル、飲んでみろ。俺もときおりだが飲んでいる。中々クセになる味だ」

「そうなのですか? では失礼して」


 ほんの少しミルクを垂らしたフェリオルに、「好きなだけ入れて良い」とクロスが告げると、ほっとしたようにたっぷりと流し入れる。さすが兄弟だな、とエルナはなんとなく微笑ましさを感じた。


「……兄上、美味しいです! 冷たいのが、またこの場に合っていて気持ちがいいというか」

「暖かいものの方が一般的ですが、この場ではこちらが合いますね」


 慣れた様子で珈琲に手をつけたカイルも満足そうな顔つきだ。砂糖水やミルクを入れることなく、クロスも優雅な仕草で珈琲を楽しんでいた。ほっとして胸をなで下ろしたのも一瞬だった。皿に載っているチョコケーキを見て、カイルは少し悲しそうな顔をしている。


「申し訳ないのですが、私は甘いものはあまり……」

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