第22話 ごんすがやんす!つまりはピンチでがんすー!

 エルナはその手紙を見て、目を見開いた。

 文章を読み、見間違いかと再度読む。そして訝しむあまりに「……え?」と妙な声が出てしまう。


 ――届いた手紙の正体。それはなんと、クロスに対して熱烈な愛を綴った恋文ラブレターだった。


 もちろん宛名は女の名だ。相手からの一方的な恋慕かと思いきや、クロスも相手の想いに応えたことがあるらしく、丁寧に過去の思い出まで書き記されている。


 くしゃり、と指に力が入った音がする。頭の上で、ハムがはわわと小刻みに震えていた。


「へー……わざわざ、王の執務室まで届ける許可を出してるんだねぇ」

「うむ。驚きだろう。実はだな」

「うん、驚いた」


 クロスが言いかけた言葉をエルナがさらに強く被せる。そのとき、視線をそらしていたクロスは初めてエルナの顔を真正面から見て、珍しくたらりと背中に冷や汗を流れるのを感じた。


 感情を無くした、いやそれよりもさらに冷たい瞳である。


「うん、自分に驚いたっていうか」


 口調は淡々として、持っていた手紙を手のひらごとばしりと机に叩きつけるように置く。

 もちろんハムは手紙と一緒にちょっと跳ねた。


「嫁になるとは言ったけど、クロスは王族だもの。側妃、というかいい人の一人や二人いてもおかしくないよね。そもそも私が正妃だとも聞いてないし。その可能性を考えなかった自分に驚いた」

「待て、エルナ」

「いいよ、全然。そもそも私に許可なんてとる必要もないもの。自分の考えが浅かった。ただそれだけだから」

 エルナはくるりとクロスに背を向けた。そしてつかつかと扉に向かったところを「誤解だ」と慌ててクロスは腕を伸ばそうとしたのだが――。


「仕事があるから。ついて、こないでくれる?」


 冷え冷えとした竜の瞳に睨まれ、それ以上動くことができなかった。


「何よ。何よ、何よ」


 むくむくと怒りの気持ちが湧いてくる。エルナはメイドのお仕着せを着たままにずんずんと街を進んだ。


「何よ何よ、ほんとに何よ」


 とにかくがむしゃらに叫びたい気分だった。けれどもちろんそんなことはできないから、喉の奥に声を留めて、ぐっと呑み込む。でもそれでも我慢することができなくて、「ばか!」と吐き出した。と思ったら、ぽろりと涙がこぼれてしまった。


 そのことが、とにかく情けなかった。一旦息を吸い込んで顔を下に向けた。乱暴に目頭を拭うとハムスターの精霊が心配そうにポケットから顔を出しているのが見えたから、まだぎこちない手で、エルナはハムスターの頭をゆっくりとなでた。人差し指でこするようにふわふわの頭を触っていると少しずつ落ち着いてくる。

 赤くなった目のまま道の真ん中に立っているわけにもいかなくて、ベンチに腰掛けて考えた。


 誤解、とたしかにクロスは言っていた。ということはなんらかの意味があるのだろう。

 それならやっぱり、エルナに怒る権利はない。クロスは王だ。自分で言った通りに側妃の一人や二人いてもおかしくないし、エルナが嫁になるとクロスに告げた理由は、実家であるカルツィード家と縁を切りたいという理由以上に、彼を支えたいと思ったからだ。

 正妃である必要は、どこにもない。

 わかっているのに胸の中に渦巻く感情が悔しくて、苦しかった。


「……よし、落ち着いた」


 立ち上がって、ぱちん、と頬を叩く。

 本当は全然そんなことはないけれど、声に出すと実際に元気になったような気がしてくる。クロスに仕事があると言ったことは事実だ。いつもの店にお使いを頼まれたのだが、泣いたあとがわかる顔で行くわけにはいかないと少し時間を使ってしまったが、落ち込んでいたとしても仕事を不真面目にする理由にはならない。


「ええっと、サンフラワー商店には……」


 数歩進みながら改めて目的を口にしたところで、「今だ!」と背後から声が聞こえた。その瞬間、エルナの視界は暗闇に埋め尽くされた。






「それで! どうするんだよこいつを攫って!」

「どうするって王に会いに行くんだつってんだろ! お気に入りのメイドだってんなら話くらいは聞くだろ!」

「でも王に会うつってもさぁ、それこそ門前払いじゃね?」

「だから! この女を攫ったんだろうが!」


 盛んに言い争っているのはまだ年若い青年たちだ。数えたところ七人。見張りを含めればもう少しいるかもしれない。バンダナを巻いた茶髪のリーダーらしき青年は犬歯を見せるように大声を上げ続けている。


 エルナはロープでぐるぐる巻きにされて座り込んだまま周囲を観察した。

 布袋を被せられて運ばれた際はどこかの隠れ家にでも連れて行かれるのかと思ったのだが、周囲を積んだ丸太で囲んで目隠ししているだけのその場所は、隠れ家というよりも秘密基地といった方が正しい気がする。見上げると青空の下でちろちろと小鳥が飛び、朗らかな日差しが暖かい。ちなみに今、エルナのポケットの中は空っぽだ。


「見たんだよ、俺は! こいつが、ヴァイド王と一緒にエルナルフィア様の生誕祭で一緒に歩いてたのをさぁ!」


 リーダーらしきバンダナの青年が何度もエルナを指差しながら仲間たちに主張している。エルナは手が動くなら、頭を抱えたい気持ちになった。


(そういうことだったのね……)


「おいメイド! どうやったら王に会えるんだよ!」

「どうやったらって……?」

「お前は王のお気に入りなんだろ! なら、お前の言うことならなんでも言うことを聞くはずだろうが!」


 エルナは段々目眩がしてきた。


「つまり確認するけど。私を誘拐した理由は、王にお目通りを叶いたいという、ただそれだけ?」

「そうだ! それで、俺たちの言うことをなんでも聞いてもらうんだ!」

「馬鹿らしい……ううん、もうちょっと深い意味があるのかも、なんて疑っていた自分が一番馬鹿らしい」

「はあ?」


 バンダナの青年に睨まれることを気にすることなく、ため息をつきながらすくりと立ち上がるエルナを見て、青年たちは目を見開く。「おい、勝手に動くな」と一番年若い少年がエルナを恫喝するように近づいた。「リーダーが話してんだろ」と、少年が最後まで言葉を発することはなかった。なぜだか少年が吹き飛んでいってしまったからだ。


 来た道を逆に辿るように、いや空を飛んで白目を剥いて仰向けになっている少年を見て、仲間たちは事態を理解することもできずにぽかんと口を開き、倒れている少年からただのメイドだと思っていた少女へと視線を移動することしかできない。

 ぱらぱらと、エルナをしばっていたはずのエルナの足元にちぎれ落ちた。


「あ? あ、あ……? なんで、ロープが……?」

「市井に噂が回っているとか言われたから、それ関連なら探ろうと思ってわざと攫われてみたけど違うみたいだし。本当にがっかり」

「は……」


 エルナの言葉の意味は、エルナルフィアの生まれ変わりが城に住んでいる……と噂が流れていうクロスからの忠告を意味していたのだが、もちろん青年たちにはわからない。

 理解ができない事態を前にしたとき、人は様々な反応をする。まず、彼らに湧いたのは怒りだった。混乱した者も中にはいたが、「一体あいつに何したってんだ、おい……」と怒りのあまりに静かに喉を震わせるリーダーらしき青年に引きずられ、仲間たちは慌てて懐からナイフを取り出し携える。


「お前……魔力持ちだったのかよ。でも魔術師じゃねぇ、たかが王宮のメイドだろ。こっちが何人いると思ってんだ」

「あのさ。私もこの間の件で、色々と勉強したのよ」


 この間の件とは、忘れもしない教会での事件だ。

 司祭は魔の者の手先に入れ替わっており、操っていた人間たちはただの土塊だった。そのことに気づかず幾度も立ち上がる土塊たちを相手にエルナは苦戦を強いられた。人は殺せない。いや、殺したくはない。多くの死を見届けたエルナルフィアとしての記憶と、エルナの感情が交ざり合い、これはもう、譲れない信条となっている。

 しかしそのことで、クロスの足を引っ張るわけにはいかない。


「だからまずは一発。思いっきり腹に叩き込んでみることにした。意識を失うならただの人間。そうじゃないなら人以外の何か。手加減する必要なく、消し炭にしてやったらいいだけ」

「け、消し炭……」

「びびんな! どうせ口だけだ!」


 腰が引ける仲間にリーダーが発破をかけるように声を荒らげる。


「おい! 見張りも全員こっちに来い! 今すぐだ!」


 青年が叫ぶと、何があったとわらわらとさらに人が増えてきた。エルナは微笑みながら拳を握る。


「でもこれであなたたちは人だとわかったから。安心してぶん殴れる」

「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!」


 リーダーが勢いよく取り出したナイフを見て、エルナはきょとんと目を丸くした。その表情を見て青年は満足そうににやついたが、すぐさまエルナも先程と同じく微笑んだので、一瞬青年は拍子抜けた。

 口元だけに笑みを残したまま、エルナはするりと瞳を細める。


「おいで。殺さない程度に、もう馬鹿なことを考えないように。――とっても丁寧に痛めつけてあげるから」




 ***




 クロスがその場に到着したのはそれからすぐのことだった。信用できる近衛騎士のみ引き連れたどり着いてみると、大勢の青年たちがぼこぼこにされて仰向けに倒れており、立っている者はエルナだけという、見るも無惨な光景であった。


「あれ、来ちゃったの?」

『ごんすー!』


 あっけらかんとした様子で腰に手を当て振り返るのはいつも通りのエルナだ。はたはたとメイドのお仕着せを風の中で揺らして可愛らしく首を傾げている姿を見て、クロスは一瞬目眩がした。


 飛び込んだハムスター精霊をエルナはしゃがみながら両手で受け止めて、よしよしと頭を撫でている。ハムスター精霊は怒っている様子でぽかすか小さな手でエルナを叩いていた。


 ――ハムスター精霊が、クロスの執務室に飛び込んできたのはつい半刻前のことだ。


 話すことができるはずなのに、興奮して『ハムハムでごんすがごんす、ごんすがやんす! つまりはピンチでがんすー!』ともはや何を言っているのかわからず、えいさほとハム踊りをする精霊を落ち着かせ、エルナが自分を誘拐した相手を探るためにわざと捕まったまま本拠地にまで連れ去られた、という話を聞いたときは肝が冷えた。


『自分も逃げなきゃだめでごんす! ごんすぅ!』

「ごめんごめん。ほら、教会で司祭と戦ったとき、一緒に連れて行っちゃったことずっと後悔してたのよ。危険なことに巻き込んじゃったなぁって」

『次したら! ひまわりの種を一生美味しく食べられない体にしてやるでがんすぅ……!』

「全然脅しにはなってないけど、怒ってるならごめんね」


 手のひらでハムスター精霊をすくうように会話をしているエルナの声は周囲には聞こえないように配慮している。クロスが連れてきた近衛騎士たちはさしもの現状に困惑の顔を見せたものの、すぐさまならず者たちの対応に走っている。「ほら、立て! こっちに来い!」「痛ぇよ! やめろよ!」とそこかしこから声やがちゃがちゃと鎧が擦れ合う音が聞こえてくる。


「エルナ」


 何をどう声をかければと眉間にしわを寄せながら呼ぶと、「ん?」とこちらを向いた顔は、ずいぶんすっきりしていた。……多分、暴れ終わってすっきりしたのだろうな、とクロスは無言のままエルナを見つめた。


「どうか……なさいました?」


 今は人目があるために、万一聞こえたときを考えてエルナも口調を変えたのだろうが、つきりとわずかな寂しさが去来した。あまりにも理論的ではない。

 そういった感情は、少し困る。


 仕方ない。惚れた弱みだとクロスは表情一つ変えずに考えて、まずは怪我がないかどうかを確認しようと口を開いたとき、「あな、あなた、まさっ、まさか!」「待て! どこに行く!」と、近衛騎士の拘束から逃れたバンダナの男が今すぐにもこけそうな不格好な走り方でクロスに接近する。


 エルナがハムスター精霊をポケットにかばい拳を握るのと、クロスが静かに剣の柄に手を伸ばしたのは同時だった。


「お、俺を、いや、俺たちを、あなたの騎士にしてくださいっ!」


 しかし男の行動はクロスたちの想定とは異なり、なんと目の前で土下座をした。「お願いしまあす!」と割れんばかりの声を張り上げながらごつごつと額を地面に打ち続けている。


「お前! 陛下の前で、なんということを!」

「王様の前だからしてんだろーよー!」


 もちろんすぐさま近衛騎士に両脇を持ち上げられ捕獲されたが、こすりすぎた額は真っ赤に腫れている。


「……エルナ、なぜこいつらはお前を誘拐したのか、その目的は聞いたか?」

「ええっと。王様になんでもいうことをきかせたい、とか」

「つまり、俺にいうことをきかせたい願いとは、俺の騎士になるということか……?」


 あまりの顛末にクロスは思わず目を強く閉じて、痛むこめかみをさすった。

 引きずられながら叫ぶバンダナの男は、エルナルフィアが生まれ変わった今だからこそ、ならず者の自分たちでもこの国を守るためにすべきことをしなければならないと使命感を抱いたと切々と語っているが、まさかその攫った相手が、エルナルフィアの生まれ変わりだとは思いもよらないのだろう。


「陛下。この後、あやつらはいかがなさいますか」

「ん……。とりあえず、一晩牢の中に入って頭を冷やすように命じておけ……」


 妙に疲れ切った気持ちで、近衛騎士の尋ねられた言葉に、クロスはそう答えるのがせいぜいだった。

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