インタールード1 八月十三日(金)――深夜

 月明かりに照らされた、けれども薄暗い砂浜を新庄勇吹は歩いていた。

 夕食時に出されたコーヒーを飲んでから猛烈な睡魔に襲われたのだが、一時間ほど眠ったところではっと目が覚めたのだ。

 酷い目覚めだった。

 どんな夢を見ていたのか全く思い出すことができない、あるいは夢など見なかったのかもしれない。とにかく頭が鈍く痛み、耐えられないほどに喉が乾いていた。意識もはっきりせず、眠る前の記憶も曖昧だった。

 そのためなのだろうか。

 佐久間瑞樹に自ら悪い予感を語ったにも関わらず、下に降りて水を飲み、そのまま何かに導かれるようにして外に出て来てしまったのだ。

 肌に冷たい潮風を感じても自分たちが置かれている状況をはっきりと思い出すことはなかった。不確かな足取りで波の音がする方へ歩いていく。

 そして波打ち際まで辿り着くとどこまでも広がる巨大な闇に視線を投じ、しばしの間根が生えたようにそこに立ち尽くした。

(……あれ、俺何でこんなところにいるんだろう)

 彼がようやくまともな意識を取り戻し、そう認識したのは十分ほど経過した頃だった。

 しかしすぐにコテージへ戻らなければと思うわけでもなく、その目は大きくうねる黒々とした海に向けられたままだった。

(夜の海ってこんなに恐ろしく感じるものなのか)

 いつか読んだ本に、海は魂の還る場所だという記述があったのをふと思い出した。

 それが本当なら彼らの――神宮寺、そして叡二や鳴美の魂もこの広い黒のどこかで彷徨っているのだろうか。

 そう思った時、視界の端で誰かの影が動くのを捉えた。

 電灯もないこの夜の砂浜では姿をはっきりと見ることはできない。ただそれが両手に何かを持った人間の影だということだけはかろうじて分かった。

(誰だろう)

 何の危機感も持たずに、相変わらずおぼつかない足取りでその〈影〉に向かっていく。

 先程思い描いた三人を殺した犯人かもしれないという正常な判断ができるほど回復していなかったのだ。

〈影〉は洞窟の方へと向かっていた。

(こんな時間に洞窟へ何しに行くんだ?)

 少なくとも今の彼にとってはさほど重要でないそんな疑問に悩んでいると、前を歩いていた〈影〉が突然足を止めた。

――気づかれた。

 双方がそう思った。

 しかし新庄は動かず、〈影〉は動いた。

 ゆっくりと振り返り、そして距離をつめる。

 近くにつれ、その顔が新庄にもはっきりと見えた。

そして左手に持ったものが――。

「どうして――」

 そんな言葉が自分の口から漏れるのを聞いた時、彼は自分たちの置かれた状況を完全に思い出した。

 そして同時に悟る。

 三人を殺害したのが誰なのかを。

 左手に持ったものが何なのかを。

 自分がこれからどうなるのかを。

 しかし逃げられなかった。足が思ったように動かず、背を向けることすらできない。

〈影〉はそんな彼の真正面から、その肩をめがけて右手を振り下ろす。

 闇の中に、恐ろしいほど綺麗な赤が飛び散った。

 

 新庄の身体がスローモーションで砂浜に倒れ込むのを見届けた〈影〉は、左手に持ったものを放り出してしゃがみ込む。そしてたった今自らの手で未来を奪った若者の遺体を整え始めた。

 仰向けにし、両手を胸の上で組ませ、目を閉じる。

 迷いがないわけではなかった。

 もともと殺すつもりはなかったから。

 しかし――。

 彼の口を封じないということは、つまり自分の計画を諦めるということである。

 それはできない。

 まだ殺さなくてはいけない罪人が残っている。

 だからこれは仕方がない犠牲だ。彼――いや、彼らに対する償いは全てが終わった後にすればよい。とにかく今は立ち止まることなく進まなくてはいけないのだ。

 そう自分に云い聞かせ、〈影〉はゆっくりと立ち上がった。その目はもう冷酷な殺人者のそれだった。

 再び両手に荷物を持ち、洞窟へと歩き始める。

 周囲の黒に溶け込むようにして――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る