🔥炎の会計師 片桐ジェニー

超時空伝説研究所

第1話 国家公認会計師片桐ジェニーだ。

「グレート製薬 不正会計の疑い!」


 週刊誌の表紙に踊る見出しを見て、ジェニーは顔をしかめた。


「業界1位が何だって不正会計なんかするのよ?」

「そりゃ、いろいろあるんじゃねェの? 事情ってもんがよ?」


 間延びした声で答えたのは片桐会計事務所の会計、吉竹清十郎だった。67歳になった清十郎は、ジェニーの父片桐丈に仕える形で働き始め、既に30年近い歳月が流れている。


 丈が2年前にこの世を去ってからは清十郎が父代わりのつもりで、ジェニーを守って来た。


 27歳になったばかりのジェニーは生粋の日本人だ。それなのにカナ文字の名前を付けているのには理由がある。


 父親の丈が亡くなったのを機に改名したのだ。


 改名する前の名前を「銭子」という。「ぜにこ」だ。

 ジェニーはその名前が嫌で嫌でたまらなかった。


 何度名前のことでからかわれたことだろう。虐められもした。

 それでも父親には告げなかった。心配を掛けたくなかったのだ。


「銭子」と言う名前は丈がつけた。


「世の中で一番大切なものは愛じゃない。銭だ」


 それが丈の口癖だった。

 一応口癖には続きがある。


「世の中で一番美しいものが愛だ」


 ここまで聞いてくれれば、「そういう考え方もあるのかな」と思う人もいる。


 だが、口癖には3つ目の続きがあった。


「だから、世の中で一番尊いものは『銭に対する愛』だ」


 台無しである。


 それが原因かどうかは知らないが、母親とはジェニーの物心がつく前に別れている。今はどこか外国で生活しているらしい。自分を置いて家を出た母親なる人に、ジェニーは今更会いたいとは思わなかった。


 改名は高校生の時からずっとやろうと心に決めていた。そういう手続きがあると知って以来だ。

 裁判所での手続きについて調べた。どのような場合に改名が認められるか。


 理由の第一は「奇妙な名である場合」だ。


銭子ぜにこ」は珍しい名前であるが、改名を必要とするほど「奇妙な名である」と認められるかどうか。


 事情として考慮されるのが、「いじめ」や「虐待」などの存在である。


 ジェニーは高校生活と並行して、これらを裏付ける証拠集めを行った。


 中学、高校時代にいじめを受けた相手の家に行き、頭を下げて協力を頼んだ。

 親に説明した上で本人に「このようにいじめた」という証言書を書かせたのだ。改名手続き以外には絶対に使用しないとこちらから一筆入れた上でだ。


 証言書は全部で20枚を超えた。


 もう一つの理由は「通称として永年使用した」である。改名したい名前を実際に社会生活で使用して来た実績が重要とされている。


 高校、大学時代、公的な証明を必要とする文書以外はすべて「片桐ジェニー」と氏名を記入した。学校での試験答案なども教師に理由を説明してそれを通した。

 大半の教師は連絡文書や名簿作成時に「ジェニー」と記載してくれた。


 SNS、電子メール、インターネットサイトのユーザー名なども、もちろんすべてジェニーに統一した。


 これらの証拠を携えて申請すると、家庭裁判所はあっさり改名の許可をくれた。

 今では「片桐ジェニー」が戸籍に記載された法的な氏名である。


 25歳で片桐ジェニーとなり、26歳で国家公認会計師の資格を得た。


 試験には大学在学中に合格していたのだが、改名するまでは資格を取りたくなかったのだ。


「自分は、国家公認会計師片桐ジェニーだ」


 そう名乗れる日のためにすべてを準備した。そしてそれを実現した。


「嬢ちゃんは人には優しいが、自分に厳しい人間だよなァ」


 己に妥協を許さない生き方を見て、清十郎は憐れむように言ったことがある。


「それじゃァ随分しんどいだろう」


「やせ我慢でも背伸びでも、突っ張れる内はまだましでしょう? 食うものも食えなくなったら、自分に優しくなるかもね」


 それをやせ我慢と言うのだと清十郎は言ってやりたかった。


「その日は意外と近いかもな? 先月も赤字だったんだけど……」

「わ、わたし外回りして営業してくる!」


 ジェニーは書類鞄をひっつかむと、椅子をぶつけながら立ち上がった。


「会計事務所が飛び込み営業って……それで仕事が取れるもんかねェ」


 冷めてしまった渋茶を啜りながら、清十郎は事務所を飛び出していくジェニーを見送った。

 古い雑居ビルの4階から外階段を飛ぶように駆け下りて行く足音が、かんかんと響いて遠ざかる。


「エレベーターくらい待ったって、罰は当たらねェってのによう」


 そう言いながら清十郎はジェニーが放り出した週刊誌の見出しに目をやった。


「グレート製薬はあいつんとこ・・・・・・の契約先か。これだけ大騒ぎだと特別監査で手が足りねェんじゃねえか?」


 言いながら清十郎は固定電話の受話器を手に取った。


「先輩風なんて野暮ってェもんは吹かせたくねェが、背に腹は代えられねェってか」


 渋茶の残りをぐびっと飲み干す。


「嬢ちゃんにそうそうやせ我慢もさせられめェ」


 3つめの呼び出し音で相手が出た。


「忙しいとこ済まねェ。片桐んところの吉竹だ。手が足りねェようなら使ってもらえねえかと思って」


 一瞬考えこむ沈黙の後、受話器が音を立て始めた。


「そうかい。それじゃァ一遍そっちに顔を出させてくれ。詳しい話はそん時に」


 受話器を置くと、吉竹はインスタントコーヒー・・・・・・・・・・を入れに席を立った。


「お呼びがかかるまでに下調べをしておこうかねェ。業界1位の会社さんとやらの」


 くたびれた風貌の吉竹の、毛虫のような眉毛の下でどんぐり眼がぎらりと光った。


「あんまりきたねえもんが出て来ねェと良いがなァ」

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