第三章

1. 皇太子、過保護になる

 ケイトとの交流は、食堂や教室内で顔を合わせば、雑談を交わせるほどには親しくなっていた。その一方で、フロラルは変わらず、話しかけるなオーラを漂わせていた。

 とはいうものの、同じ部屋で寝起きしているため、登校時間は自然と同じになる。今日もいつものように無口のフロラルと寮の玄関を出て、学園に向かう。


「ちょっと」


 ぐいっと袖を引かれ、ディアナは慌てて足にブレーキをかける。


「フロラル、どうしたの?」


 その問いには答えず、フロラルは目線で先を見るように促す。仕方なく正面に向き直ると、意外な人物が目に入った。

 白地の制服に藍色のネクタイ。胸元には太陽と獅子の校章、腕には学生議会の腕章。赤銅色の髪は今日も丁寧に耳元から編み込まれ、金色の瞳が彼の身分を象徴させるように輝く。


(なっ……どうして彼が……?)


 ロイヴァートは悠然と歩き、驚くディアナを見下ろす。


「おはよう」

「……一体、何の御用ですか?」


 登校中だった他の生徒も、何事かとひそひそと囁き合っている。けれど、好奇な視線にさらされても彼は堂々とした態度を崩さない。

 無意識に半歩下がるディアナを見つめ、ロイヴァートは滑らかに言う。


「この国で、その髪の色は目立つ。また厄介事に巻き込まれないとも限らない。今日からは可能な限り、行動を共にすることにした」

「え、でも……ケイトから会長は宮殿から通っているって聞いた……聞きましたが」

「今日から寮生活を始めるから問題ない」


 助けを求めようとフロラルに視線を送ったが、見事にスルーされた。私に関係ないとばかりに学園に向かって歩き出す。その後ろ姿を横目で見送り、ディアナは息をつく。


「つまり……監視ってことですか?」

「否定はしない。だが、俺がそばにいることで抑止力になるはずだ」

「…………」


 彼が一緒なら、表立って後ろ指を指されることは減るだろう。しかし、行動を共にするということは、女子生徒からの反感を持つ可能性が高いのではないか。


「ほら、行くぞ」

「……はい」


 有無を言わさぬ口調に、しぶしぶ彼の後ろをついていく。いつもと違う視線は嫉妬だろう。この一瞬で敵を増やしたことに、目の前の男は気づいているのか。

 ロイヴァートはふと歩みを止め、ディアナが横に並ぶのを待つ。訝しんでいると、耳元でそっと囁かれる。


「できるだけ一人でいるな。周りと距離を取れば、それが隙となる」

「わ、わかりました」


 ギクシャクと頷き返すと、満足そうな顔と目が合う。顔がいいだけに、近くで見ると見惚れてしまいそうになる。

 彼の吐息があたった箇所が熱い。髪で火照った耳を隠しながら、ロイヴァートの後を追う。

 エスコートというよりは上司と部下の距離を保ち、ディアナは内心ため息を隠せない。


(逆に余計に目立っているのは、気のせいじゃないわよね……?)


 余計な恨みを買わなければいいのだが。

 けれど、立ち止まっているほうが周囲の視線が痛い。ディアナは心をできるだけ無にして教室を目指した。


         *


 国語の授業が終わった後、一番前の席に座っていたディアナの前に女性教師が困ったようにして立つ。


「ミルレインさん。悪いのだけど、これを一緒に職員室まで運んでもらえるかしら?」


 まっすぐに伸びた赤髪は胸につくまでの長さで、後ろをバレッタで留めている。担任のフォルカーをはじめ、ディアナの扱いに困っている他の教師陣とは違い、分け隔てなく接してくれる貴重な教師だ。

 物事が柔らかく、小柄な身長も相まって、未だに小動物みたいな印象が拭えない。

 ディアナは筆記用具とノートをしまい、机に手をついて立ち上がる。


「……もちろんです。ニーナ先生」

「ふふ、ありがとうね」


 この後はお昼休憩だ。時間には余裕がある。

 集めたノートの半分を受け持ち、体育館の方向にある職員室に向かう。廊下には購買に向かって走る生徒たちが行き交う。その生徒の波を縫いながら、先を目指す。


「どう? 学園には慣れた?」

「……ええ、まあ。友達……もできましたし」

「あら、よかったわね」


 自分のことのように喜ぶニーナを見て、ディアナは照れくさくなる。


「実は心配だったの。今は友好国とはいえ、昔の禍根はそう簡単には消えないし。何か困ったことがあったら、及ばずながら私も力になるからね」

「もったいない言葉です。……ありがとうございます」


 その心遣いだけで充分救われる。一人ではないと言われているみたいだ。

 職員室に入ると、ほとんどの席が空席となっており、整理整頓されたニーナの席にノートを置く。


「手伝ってくれてありがとうね」

「いえ」


 一礼して踵を返したところで、向こう側の席から聞き慣れた声が呼び止める。


「ああ、ちょうどいいところに。ミルレイン、ちょっと来い」


 ちょいちょいと手招きされて、不審に思いながらも迂回して彼の机へと向かう。

 右端にノートの山があるものの、思ったより小綺麗だ。

 お弁当を広げていたフォルカーは回る椅子をひねり、近づいてきたディアナを見上げる。その目はいつもと同様、覇気がない。


「なんですか、フォルカー先生」


 尋ねると、無造作に封筒を突きつけられた。反射的に受け取ったものの、意図が分からない。つい眉根を寄せてしまったが、フォルカーは気にした様子なく、淡々と説明する。


「お前宛の手紙だ。学園に直接届いたから、ついでに持っていけ」

「手紙……ですか」


 封筒を裏返して差出人を見ると、綺麗な文字で書かれた差出人の名前が目に入る。


(ユリア……って、お姉様から……!?)


 緊張と嬉しさがない交ぜになって、指先が震える。


「受け取ったら、さっさと行け。昼休みがなくなる」

「……はい」


 手紙をポケットにしまい、今度こそドアに向かう。

 職員室を出ると、なぜか腕組みをしたロイヴァートがいた。金色の瞳はスッと細められ、何も悪いことはしていないはずなのに体が縮まる。


「一人でいるなと言ったはずだが?」


 教師から頼まれてノート運びを手伝っただけだ。結果的に一人になったとしても、責められる理由はないはずだ。


「ふ、不可抗力よ……!」

「とにかく食事が先だ。席は取っておいた。行くぞ」


 有無を言わさない口調に閉口し、そのまま腕を取られて食堂に連行されていく。シアンが無言のまま後ろをついてくる。


「あ、ケイト……」

「ディアナ。こっちよ」


 窓際の席に座ったケイトが手を振る。その左端は空席となっており、テーブルにはランチプレートと箸が置いてある。


「放課後、話がある。学生議会室まで来るように」

「……わかりました」


 納得できないが、逆らっても何もいいことはない。頷くと、ロイヴァートはシアンを伴って去っていった。

 二人の背中が小さくなったところで、隣に座るケイトが口元に手を当て、内緒話をするように声を潜めて言う。


「ねえねえ、会長と何かあったの? 朝は寮までお迎えに来てくれたり、昼食のために席取ってくれたりって絶対何かあったよね?」

「こっちが聞きたいわ……」

「原因、何か思い当たらないの?」

「きっと、これ以上、揉め事を起こされたくないんでしょ」

「それだけ?」

「…………」


 渋面で唸るが、監視以外に他に何か理由があるだろうか。ひょっとしたら、放課後の呼び出しも関係しているかもしれない。


「とりあえず、時間も少ないし、食べたら?」

「……そうする」


 少し冷めたコンソメスープを口に運び、遅くなったお昼ご飯をかきこんだ。

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