3、冷たい雨に撃て、成り行きの銃弾を

 義兄はゆっくりと立ち上がった。



 俺は思わず後退りする。

「龍治さん、だよな……?」


 ネイビーのスーツでもないし、三本傷も血の跡もない。

 だが、束ねた髪は先程より長く、背まで垂れている。黒尽くめなのはいつも通りだが、よく見るとレザーのロングコートで、シャツもスーツも靴も黒い。まるで……。


「ジョン・ウーの映画に出そう!」

 鮫沢が叫ぶ。

「どっちかっていうとブラック・レインの松田優作だろ」

「そっか」

 何でこいつは嬉しそうなんだ。


 服や髪より問題なのは顔だ。起き上がった奴の顔右半分にはとぐろを巻いた龍の刺青があった。

「これって……」

 鮫沢と俺は視線を交わす。

「たぶん臥龍だ」



 ぼんっ、としか表現できない音がした。

 何が起こったかわからない。背後で準新作のDVDがバラバラと崩れ落ちたと思った途端、棚の一部が崩れ落ちた。ちょうど鮫沢と俺の間、真っ黒い穴が空いている。


「外したか。こっちの俺は乱視気味だな。腕力もない」

 男は呆れたような声で呟く。黒コートの下から覗くは、白煙を上げるポンプ式ショットガンの銃口だった。


「マジかよ……」

 臥龍。三本傷の龍治が言っていた、マルチバースの義兄の中で最も危険な男だ。



 こいつマジで撃ちやがった。鮫沢に向けて、それとも俺にか?


 男は平然と銃のハンドグリップに手をかけ、前後させた。薬莢が飛び出し、床に散らばるDVDパッケージの上で跳ねた。

 ジャキ、と音がして、新しい弾丸が装填されたのがわかった。マズい。



「逃げるぞ!」

 俺と鮫沢が出口に駆け寄ったのと、鉄の扉が吹っ飛んだのはほぼ同時だった。

 ショットガンで撃ち抜かれた扉が一直線に飛び、アダルトコーナーの壁に突き刺さる。


 野郎、まさか本気で殺す気かよ。

 驚いてる暇はない。俺と鮫沢は一気に走り出した。



 アダルトビデオの棚の下を這うように進む。鮫沢は息を殺して言った。


「何で急に狙ってくるの!?」

「わかんねえけど、俺たち仲微妙だったし、傷の奴が特例で普通はあんな感じかも……」

「義兄弟の仲が微妙でもショットガンで襲ってこないでしょ!」


 次の銃声はまだ聞こえない。鮫沢のデカい身体が棚にぶつかって揺れる。くそ、これじゃ気づかれそうだ。



 俺は影から様子を伺う。

 烟る事務室から闇を切り取ったような黒い男が現れた。ショットガンを肩に担ぎ、男は煙草を取り出す。

 薄暗がりで見えた銘柄だけは俺の義兄と一緒だ。


 臥龍は武骨なジッポライターを擦る。

 店内にも関わらず、堂々と煙草に火をつけた。奴はそれを唇に押し当て、顎を上げて煙突のように煙を吐いた。

 ホアキン・フェニックスのジョーカーみたいだ。


「やばいひとじゃん……」


 鮫沢が呟いた瞬間、警報が鳴り響き、スプリンクラーの雨が降り注いだ。店内が非常灯の赤で照らされた。

「そこか」

 臥龍が銃口を向けた。狙いはこれか。


 俺たちの隠れる棚の一ブロック先が爆ぜる。

「搬入口から抜けるぞ!」

 霧雨と警報音に苛まれながら、俺たちは素早く移動した。



 搬入口から飛び出し、ドアに外側から鍵をかける。

「あいつは!?」

「たぶんまだこっち来てない!」

 俺と鮫沢は壁にもたれて息をついた。

「全部訳わかんねえ……」


 冬よりも少し温く、湿った夜風が吹き抜ける。肌に貼りつく濡れた服が余計冷たくなった。


 店内からは何も聞こえない。

 前の道路を銀の車が滑り、無人の交差点で赤信号が点滅する。

 コンビニがぼんやりと灯りを滲ませ、アパートのベランダで干したままのタオルケットが揺れていた。

 何の変わりもない、普段の深夜の散歩ルートのように見えた。



「これからどうすんの」

 鮫沢がエプロンを脱ぎながら言った。

「一旦帰るかな……」

「臥龍の方の龍治さんがいるかもよ?」


 三本傷の義兄は、この世界の義兄と精神をシンクロさせたと言っていた。それを解かない限り、龍治はショットガンで襲って来るイカれた刺青野郎のままかもしれない。解くにはどうしたらいい?


 俺は舌打ちしてから呼吸を整える。

「とりあえず、警察に行く」

「ええ?」

「銃持って襲われたんだぞ! それにあの店! 報告しなきゃだろ!」

「店長に何て言おう……」

「そら、行くぞ!」

 俺は鮫沢のデカい尻を叩いた。

 マルチバースの襲撃に遭ったと言ってもこっちが捕まりそうだが、それ以外浮かばない。



 俺たちはできるだけひとの多い通りを選んで歩いた。

 深夜徘徊の際、義兄にせめて明るい通りを歩けと言われたのを思い出す。二十超えた男に何言ってんだと突っぱねたときの表情が浮かび、俺は雑念を追い出した。



 この田舎には珍しい、ゲームセンターと飲み屋が入った五階建ての複合施設が見えてくる。

 併設の立体駐車場で警備員が煙草をふかしていた。

 俺も気持ちを落ち着けたい。


「一本吸っていいか?」

「いいけど、急がないの?」

「急いでもどうしようもねえよ」



 俺たちは駐車場の脇の電話ボックスのような喫煙室に入り、ドアを閉めた。辺りの喧騒が遠のく。

 煙草に火をつけて煙を吐くと、非常階段と缶コーヒー80円の自販機が霞んだ。


「龍治さん、何で襲って来たんだろう」

「知らねえよ……」

「じゃあ、銃で襲撃してきた奴らはどこから来たんだろう?」


 冷静になると不思議だ。義兄はマルチバースの自分とシンクロしたと言ったが、手下まで連れて来られるのか?


「シネフィルの見解は?」

 鮫沢が少し胸を張り、副流煙で噎せる。

「私見だけど宇宙を渡航のが龍治さんだけなはずないと思うんだよね。奇襲をかけた連中も、別の宇宙からこっちの自分を乗っ取って侵攻してきたんだ」

「でも、そうしたら、銃は……」

 シンクロすると服も傷も持ち物も変わるんだ。今更か。


「待てよ」

 俺は煙草の灰を落とす。

「じゃあ、龍治みたく普通の奴が急に別宇宙の自分のシンクロして刺客になるのか?」

 鮫沢は興奮気味に頷いてから、やっと自分の言ったことを理解したらしい。


「何処にいても危険……ってこと?」

「くそっ」



 今更急いでも遅いが、俺は煙草を灰皿にねじ込んで喫煙所を出た。


 牢獄のような立体駐車場の柱を抜け、虫みたいに並ぶ車の間を進む。

「というか、鮫沢。何で俺についてきてんだ?」

「あ、本当だ」

「別に帰っていいんだぞ」



 盛大なクラクションが俺の声を掻き消した。

 前方から放たれた強烈な光で目が眩む。


 顔を手で覆いながら見ると、視界を塞ぐように停まった青いワゴン車が俺たちにハイビームを向けていた。もう来たのかよ。


 ざがざかと靴音が聞こえ、ハイビームが消える。

 俺たちを挟み撃ちするように黒尽くめの連中が並んでいた。

 中心にいるのは、義兄だ。



「帰れなくなっちゃった……」

 鮫沢が慌てて手を振った。

「緊急通報装置! どっかにあるはず! 監視カメラも……」


 銃声が声を遮る。

 先程いた警備員が銃を構えていた。俺の真後ろの壁に穴が空き、通報用のボタンが陥没している。


「後は、監視カメラだったか?」

 臥龍はショットガンを取り出した。蛍光灯がショートし、落下したカメラが止まっていたセダンのボンネットを突き破った。

 マルチバース一ヤバい義兄の名は伊達じゃない。



 俺は憮然とした表情を繕う。

「あんたの目的は何だよ?」

 義兄は龍の刺青を歪めて笑う。奴のこんな表情は見たことがない。


「お前だ、勇虎」

「じゃあ、何で鮫沢まで狙う?」

「そいつは知らん。邪魔だっただけだ」

「知らないんだ……」

 俺は俯く鮫沢の肩を叩く。


「で、俺をどうしたいんだよ?」

「俺の宇宙に連れ帰る」

「そっちの俺と仲良くしてやれよ。こっちは関係ねえだろ」


 

「俺の宇宙でお前はもう死んでいる」

 義兄の顔から冷たい微笑が消えた。

「お前は暗黒街の眠る虎と呼ばれた最強の男だ。俺と組めば、よりお前の母の遺した会社を発展させられる。そう言ったのに……」

 臥龍は目を伏せた。そういうことかよ。


「眠れる虎と臥龍って、どっちも寝てない? 起きて働くひとも必要じゃない?」

 茶々を入れた鮫沢を義兄が睨む。こんなときにろくでもないことを言う奴がいるのはありがたい。

 俺も調子が戻った。


「嫌だって言ったら?」

「拒否権はない」

 臥龍は映画の悪役のように片手を広げた。もう片手に銃を握ったまま。

「殺す気はない。だが、手足くらいなら潰してもいい。帰ってすぐ治してやる」



 俺は呼吸を整える。

「あんた、俺が死んだときどこにいたんだ?」

 臥龍は目を見開いた。

「一緒にいなかったんだろ。笑えるよな。こっちのあんたは俺を迎えにレンタルビデオ屋まで来たってのに」

 感謝なんてしたことないが、せいぜい嫌味に使ってやる。

「そんな奴についていくかよ」



 臥龍があからさまに敵意を見せた。

 鮫沢が不安げに俺を見つめ、黒服たちが銃を構える。

 千切れた監視カメラが火花を散らした。


 三本傷の義兄はマルチバースの自分とシンクロしろと言った。

 義兄ができるなら、俺だってできる。



「龍治さん、聞いておきたいんだけど」

「何だ」

「好きな映画は?」


 臥龍は少し考えてから言った。

「エル・トポ」

「変態が」


 俺は拳を握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る