魔法少女なんだが、自称・帰還勇者が家に住み着いてくる

水代ひまり

第1話「わたしはね、勇者なの」



 ――人生最悪の日だ。

 あさくらあいは、口の中でそう吐き捨てた。


 愛莉は魔法少女である。

 ある日出会った精霊と契約したせいで、魔界から現れる魔物を摩訶不思議な力を使って倒す、セイギノミカタになった。


「あー……死ぬわ」


 口を開いたら、言葉と共に血を吐き出した。

 白い手足に刻まれた傷がじくじくと痛み、少し動いただけで鮮血が夜の路地裏に池を作る。


 魔力を使いすぎて全身がだるい。力が入らない。

 真っ白な前髪が赤い眼にかかるが、それを払い除ける体力すら愛莉には残っていない。


「グゥルルルル……」


 黒い霧のようなものを纏った狼――魔物が、唸り声を上げて愛莉に近づいてくる。

 魔物は、人間を喰らう。正確には、ヒトが持つ魔力と生命力を。

 そして、魔法少女相手なら、相棒たる契約精霊の核すら飲み干す。


 口からポタポタと唾液を零す魔物を睨み据えながら、愛莉は悪態を吐く。


「あのクソ女……マジで、殴りたい……ぶっ殺したい……」


 脳裏に浮かぶのは、自身を見捨てた、味方魔法少女。


 魔物が現れたと契約精霊から知らされ、いつも通りに二人で倒しに向かった。

 そうしたら敵の数が思ったよりも多かったので、作戦を立てようと彼女が言い出して――。


「愛莉が囮になって魔物を引きつけて。あたしのところまで誘導したら、罠を使って殲滅するから」


 その言葉を信じて指定の場所まで魔物どもを引っ張ってきたら、そのクソ女は愛莉を罠に巻き込んで攻撃したのだ。


 罠は、ご丁寧に対魔力アンチマジック仕様の高価な魔法道具マジックアイテム

 しかも、魔法少女にまで効く割に獣型の魔物には効果の薄い魔法薬を空気中に蒔いて、愛莉の動きを鈍らせた。

 ……明らかに、愛莉を殺そうとしている。


『アイリ……まずいです、空に……!』


 愛莉の胸ポケットから顔を覗かせた契約精霊マスコットの声を受け、反射的に視線を上に動かす。


 白い月、街の明かりによってうっすらとしか見えない星々が散らされた夜空。――それを割るように、真っ黒な闇が生まれる。

 時空の裂け目、あるいは異界の門。

 魔法少女たちがゲートと称するそれが、開いたのだ。


 ゲートは魔界に繋がっている。魔界は、魔物どもが暮らす世界――。


「グルラァ」


 狼の魔物が、嗤うように声を上げた。仲間の到来を喜んだのか、目の前の獲物が絶望に押し潰される様を見て愉快になったのか。


「ッ、燃えろ……!」


 痛みに苛まれる意識を気力で保ち、魔力を熾す。唱える呪文はシンプルに。

 怒りを原動力に書き殴られた命令文コードの通り、愛莉の眼前に青白い火の玉が生まれる。放て、と念じるが早いか、魔法の火球は魔物に向かって飛んでいく。


「ガアッ」


 魔物が吠え、前身を縮ませる。ぐっと全身に力を溜めると、一気に解放して跳び上がった。

 放った火球を操作する気力も技術も、あとついでに魔力も残っていない。愛莉の攻撃は壁をわずかに焦がすだけに終わった。


 そして、重力に身を任せた魔物が、牙を剥いて愛莉に襲いかかる――。


『させないです――ッ!』


 その時、愛莉の契約精霊のメルルが、避難先の胸ポケットから飛び上がった。背に二対の羽を生やした掌サイズのヒトガタは、無数の火球を周囲に浮かべながら、愛莉を魔物から守るように両手を広げる。


 精霊は、強い魔法の力を持っている。

 だが、その大きさは人の掌に乗る程度で。


 中に綿が詰まった人形と大差ない重さの不思議生物は、体長百五十センチほどの狼の跳びかかり攻撃を受けて、ベチャリと潰されてしまった。


『ぁ、ぎゅ……』


 無残に地に伏す契約精霊のメルルを無視して、魔物の目が愛莉を射貫く。


「……、」


 ――死ぬわ。

 声にならない声を零して、愛莉はかすむ視界の中で近づいてくる魔物を見つめる。


 あの鋭い牙は痛いだろうな、とか。

 ゲートから来る増援は、どんな風にしてくるのだろう、とか。

 メルルはなんとか逃げてくれないかな、難しいかな、とか。


 ――絶望に染まった思考は、しかし。


「おーう、地球も素晴らしくファンタジーだねえ」


 脳天気な少女の声。

 知っているものではない。愛莉の把握していない魔法少女か、それとも通りすがりの一般人か。いや、後者ならあんな馬鹿みたいなこと言わずにすぐさま逃げてほしいものだが。


 ……これでも一応セイギノミカタの魔法少女なのだ。一般人の犠牲は望まない。同業者なら助けて欲しいけど。

 ただし、あのクソ女は除く。代わりに食われてはくれまいか。


「だーいじょーぶ、お嬢さん?」

「……、」

「ありゃ、声も出せないくらいヤバスな感じ? ふむむ、わたしのユーモアセンスをピカピカさせてる状況ではなかったですかそうっすか」


 ………………なんだ、こいつは。

 この少女は助けに現れたのか、それとも騙されて死にゆくヒトを馬鹿にしに来たのか。


 セミロングの茶髪を夜風に揺らしながら、その少女はヘラヘラ笑う。

 ニコニコでもポワポワでもなく、ヘラヘラ、あるいはケラケラと。

 魔物と愛莉の間に立ち、彼女はなんの危機感も抱いていないかのように。


 不審な――しかして超然としたその少女に、それでもセイギノミカタは警告する。


「……ぁぶ、ない……」


 愛莉が振り絞って出した声に、少女はパチパチと焦げ茶の目をまばたかせる。

 ――その背後から、魔物が牙を剥いて跳びかかっていた。


「ほにゃ?」


 変な鳴き声を上げて、少女は首を傾げる。

 魔物が迫る。凶悪な牙が、少女の首を噛み千切らんと光って――。



 ――バズン!! と。

 重く鈍い音が、狭い路地裏を貫いた。



 直後、吹き上がる黒い血。魔物の血液。穢れた魔力の鮮血。

 顔面から線対称に割れた狼が、内容物を撒き散らしながら地に伏す。

 次いで、シュウウウ、と黒い煙のようなものを噴き出しながら、死した体が溶け消えていく。


「あっはは、元気なワンちゃんだなぁ。やんちゃすぎて、思わずぶっ殺しちゃったわ」


 ケラケラ、ヘラヘラ。

 先ほどまでと全く同じ調子で笑う少女は、いつの間にか大きな剣を握っていた。


「ねねっ、あのさ、今のすっごいマンガみたいな切れ方だったじゃん? これさー、結構練習したんだよね。普通にやったら自分にめっちゃ血とか掛かるんだけど、ちょろっとだけ魔力をぼふって吹き出すと、良い感じにわたしを避けてくれるんだよねー」

「……………………、」


 ありがとう、助かった。ところであなたはどちら様? 

 本来言うべき言葉は、目の前の異常な光景と、少女の狂気染みた言動によって、喉の奥に押し戻される。


 代わりに口から零れたのは、


「……あなたは、魔法、少女……なの……?」

「え? んーん、違うかなぁ」


 ガツン、と少女は大剣をアスファルトに突き立てる。


「魔法少女って、あれでしょ? 変なナマモノもといマスコットと契約して、日常の裏に潜む敵と戦うやつ。ヒラヒラでフリフリな衣装の美少女が大きなお友達に大人気の。そんで大抵悲惨な運命に翻弄されるカワイソーなお話」

「……、」


 ちょっと何を言っているのかわからない。

 そんな雰囲気を悟ったのか、それとも脳のフィルターを通さず喋っているのか、少女は勝手に続ける。


「わたしはね、勇者なの」

「……、は?」

「異世界に召喚されて、戻ってきた勇者。さしずめ帰還勇者ってとこかなー」


 こいつは、何を言っているのだ。

 未知の生物に遭遇した気分になって、愛莉はすぐにこの場から逃げ出したくなった。

 ……自力ではほぼ動けないので、無理なのだが。


 というか、こんな暢気に話している場合ではない。

 確かに狼の魔物は死んだが、頭上のゲートは開いていて、すぐにでも数多の魔物がこちらの世界へ押し寄せてくるだろう。

 あと、愛莉は放っておかれると、そのまま出血多量で死ぬ。契約精霊のメルルも重傷だ。大変ヤバイ状況である。


 ということをなんとか伝えたいのだが、目の前の少女の姿をした不審者は、ヘラヘラと笑ったまま止めどなく言葉の濁流を続ける。


「あのさー、わたしね、ちょっと前にこっちの世界に帰ってきたんだけど、だーれも知り合いがいなくてさぁ。みーんなわたしのこと覚えてないの。あと家もなくなってるし。きっちり三年経ってるし。くちょがよー」

「……、」


「ああいう異世界召喚ものってさー、召喚された時間に戻ってくるものじゃないの? そうじゃなきゃハッピーエンドとはほど遠いって。まあそもそもハッピーエンドとは言えない終わらせ方だったけどさ。わたしを召喚した国滅んだし! ……あ、今の笑うポイントね。ぷぷぷ」


 空というキャンパスに黒い絵の具をべっとりと塗りつけたようなゲート、その奥から大きな獣の手がぬっ……と伸びてきた。


 新たな魔物が、現世にやってくる。

 アレを魔界に押し返す力は、愛莉には残っていない。


「あ、ねえねえ、キミは魔法少女なの? 魔法少女なんだよね。そうでしょ。間違いないよ、赤目に白髪ロングの美少女とか深夜アニメに出てくる神秘的なヒロインちゃんじゃん。やっばめっちゃ可愛くない? つかおっぱいでかっ! ひゃーっ! こんな可愛い子ちゃんを好きにできるなんて、主人公くんは幸せ者だねー」

「……、」


 頭がおかしいのではないだろうか。

 いや、確実におかしい。イッてる。異世界召喚だとか勇者だとかもともとぶっとんでいたが、思考が明らかに正常ではない。


 魔力が使えて、ファンタジーな剣を持っていて、魔物を一刀両断できるほどの力を有しているのだから、魔法少女なのは間違いない……はず。

 しかし、危機的状況なら彼女と契約している精霊が忠告するはずだ。


 ……まさか、愛莉と同じように、彼女の契約精霊も死にかけている……のだろうか? もしそうだとしたら、彼女は相棒が死にかけても焦りもせずヘラヘラ笑っている狂人ということになるが。


「ま、主人公くんなんていないんだろうけど。主人公ちゃんならいそう。……ん? エロゲなら…………あっ。……やっぱり悲惨な運命じゃないか。やーねー」

「……ぅ、え……」


「しっかし、いつから地球はファンタジーに侵食されたのか。んにゃ、もしくはもともとファンタジーだったか……。まあどっちでも良いか。どうしようもないし。楽しそうなら、それでいーや。むふむふ」

「……ま、もの、が……!」


「そういえばさ、キミはどうして魔法少女なんてやってるの? 正義感? それとも、魔法少女をやってると補助金が出るとか? わたしまだ世界観の理解が足りなくてさー、教えて欲しいなーって」

「ぁぶ、ない……ッ!!」


「わかってるよー」


 酷く軽い調子で言って。

 ――次の瞬間、ゲートが真っ二つに割れた。


「…………、は」

「秘技、次元切断……なんてね」


 ぺろっ、と舌を出して、いたずらっ子のような笑みを作る少女。

 地面に突き立てていたはずの大剣は気付かぬうちに引き抜かれ、今は少女の肩に担がれている。


 愛莉が視認できない速度で、少女はゲートを斬り裂いた。

 それが、この一瞬の真実。


 ゲートは穢れた魔力が溜まって時空に穴を開けたものであり、その魔力を乱されれば消滅する。魔法少女の常識ではあるが、肝心の「ゲートの魔力を乱す」という行為は難易度がそれなりに高いものであった。

 しかし、この少女はこともなげに成し遂げ、ふざけた調子で決めポーズなんぞ作っている。


 二つに分かたれたゲートは、穢れた魔力を周囲に撒き散らしながら消失していく。

 こちらの世界に侵入しかけていた魔物は、その大きな腕を斬り落とされ、魔物の死体と同じように黒い煙を噴出して溶けていた。……切断方向がゲートとは違う。まさか、あの瞬間、少女は二度も剣を振っていたのか。


「ところでさ、


 と、少女がヘラリと笑った。

 肩に担いだ大剣を、ゆっくりと空気に溶かし込むように――恐らく魔力で精製したものを、魔力へ戻したのだろう――消すと、空いた右手を愛莉へ差し出してくる。


「助けてあげたから、一晩泊めてくれない? わたし、家がなくて困ってるんだよねー」


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