第五話 決意を胸に②

 その日箒をずっと握っていた為、汚れだらけだった両方の掌。

 洗う余裕もなく、彼は手に持つ箒を倉庫に片付けに行こうと歩く。

 だが、普段と違いその足取りは重く、両肩には重しが乗っているように力が抜け下がる。

 昨日まで元気に話していた彼女の死体と対面するのが、凛太郎は怖かった。

 不意に頭を叩かれたことも、歌を聞くことも、もう二度と訪れないのだと。


 「……行きたくない」


 それから十九時となり、外は暗く月明かりが綺麗な夜となった。

 通夜への参列の為にブカブカの制服を着る予定だったが、凛太郎はまだ部屋で神主の装束のままだった。

 彼は机に置かれた一枚の歌詞カードを何度も何度も読み返す。


 ––––


 大好きな 私の記憶

 目を閉じても 頭に浮かぶ

 貴方と出会い 過ごしたこと

 温もりとともに 忘れやしない


 手を繋いだ 今は繋げない

 年を重ねて また繋ぎなおす


 離れ離れになって 寂しくなっても

 貴方との思い出は 永遠に忘れない


 ––––  


 手にもつ美奈からの歌詞カード。

 ローマ字を使ってサインまで書かれた手作りの贈り物。

 小学生の思い出を綴る未完成の歌詞を読み、それを見ながら凛太郎は……悟る。


 ––ああ、作詞者は、もうこの世にはいない。完結することは、二度とない––


 失意を胸に抱えながら、込み上げてくるものをグッと堪えた。

 

 ––––完成してから皆んなに聞かせればいいのに––––


 昨日、自分が美奈に言った言葉を思い出す。

 なんの変哲もない普通の二十一文字が、時を重ねる毎に凛太郎に重くのしかかった。


 「もしあの時、言っていたら」


 刹那、胃液が逆流するような衝動に駆られ、瞬時に両手で口を押さえる。

 辛さから身体はくの字となるが、喉元まで来たところで間一髪それを飲み込み、力が抜けて両膝を畳についた。


 「俺が……殺したのか?」


 気がつけば彼の両方の目からはポタポタ涙が流れていた。

 だが、それを拭く精神的な余裕もなく、畳を濡らしていた。


 「俺が、あの時歌詞を考えるって、言えばよかったんだ……ひーちゃん」


 後悔を胸に、彼は悲痛に叫ぶ。対象となる、相手はもうこの世にはいない。


 「リン……タ……ロウ」


 その時だ。凛太郎の肩がびくりと跳ね、心拍数も早さを増した。

 自分以外は誰もいない場所で、凛太郎は恐る恐る声がした方角を振り向く。

 彼の目の前には誰もいない。

 だが、確かに声が彼の胸に突き刺さる。


 「リンタロウ……聞コエル?」


 彼には聞き覚えのある声だった。

 それは、もう聞くことはできないと思った彼女の声。

 凛太郎の部屋に飾られた大麻オオヌサも、彼女の声と凛太郎の思いがシンクロし、光輝く。

 

 「……ひーちゃん。もしかして……いるんだな?」


 ただの亡霊ならば、神々の力を継承した大麻オオヌサは反応しない。

 伊魔那美と契りを交わした悪魔にのみ、悪魔祓いの術者として凛太郎に声が聞こえる。

 彼の精神が美奈が神殺しの悪魔になってしまったことを肯定した。


 大麻オオヌサを手に持つ凛太郎は部屋の天井に向かって掲げ左右に振る。

 そして正面に面を打つように振り切る。

 一人の神主が神々の代行者として成長し、人を助けたいと願った彼は


 「……ひーちゃん……草薙流結界術くさなぎりゅうけっかいじゅつ天照あまてらす


 大麻より空色の波動が発生し、現実世界と切り離される。

 輝きが終わった直後、凛太郎の目の前にいたのは––––。


 「リンタロウ、会イニ来タヨ」


 背は彼より少し高く、血の気のない白い肌に化粧をして、純白のドレスを纏い煌びやかなマイクを持った氷室美奈悪魔だ。


 天照の術を発動させ現実世界と切り離される凛太郎は、目の前に現れた純白の花嫁姿の悪魔と対峙する。

 無条件で凛太郎から解き放たれる光の粒子は、悪魔となった美奈へと少量ずつ流れていく。

 姿は変わってしまったが、それが昨日亡くなった氷室美奈だと認識するまで時間はかからなかった。


 「私ガ昨日渡シタ歌詞カード、持ッテクレタンダネ」

 

 凛太郎の目から涙が溢れ、頬をつたって畳に落ちた。

 やっぱりだ。

 二度と会えなかった彼女は、あろうことか伊魔那美イマナミと契りを交わしていた。

 信じられないかったが、目の前にいるものは現実だ、否、現実ではないが現実だ。


 「ひーちゃん……」


 悪魔になってしまったんだね? と言おうとして躊躇う。

 二度と会えないと思っていた少女。これならば、むしろ会いたくはなかった。

 どうしなければいけないか、凛太郎には分かるからこそ、辛い。

 

 自分は神々の代行者だ。

 美奈は悪魔だ。

 祓わなければならない。

 たとえ双方苦痛を伴うものだとしても。


 「ひーちゃん……」


 「イイノ、リンタロウ。

  死ンダ私ハ、ヤリ残シタコトガアッテ、伊魔那美イマナミト契リヲ交ワシテシマッタ。

  歌手ニナリタイ、タダノ一瞬デイイカラモウ一度戻リタカッタノ。

  ネエ、私ノ姿、ドウ? 

  歌姫ミタイデショ?」


 目の前でくるりと周り、ウインクをしてポーズを決める美奈。

 その様子を見た彼は、泣きながら返事をした。

 これから起こるであろう、避けられない戦いのことを考えて悠長なことも言えず。


 「……気持ちわるい」


 「エ」


 美奈の動きはピタリと止まる。

 一瞬の動揺、そして可憐な表情は一瞬で鬼の形相へと変貌していく。

 ––––気持ちは分かるよ。

 どんな目にあったとしてもせっかくなれた存在を否定されて––––。

 普通な美奈には憧れていた。

 取り返しのつかない存在となって、その表情をするのも理解できる。


 「コンナニ綺麗ナノニ……伊魔那美イマナミト契リニヨリ、貴方ト戦ウ。

  覚悟シテ」


 鬼気迫る様子で凛太郎に詰め寄る美奈は、そのまま身体を全体を使い捻りながら左足を振り抜き凛太郎を蹴り飛ばす。


 「うぅ……!」


 呻き声が上がったかと思えば、凛太郎は窓ガラスを割りながら外へ蹴り飛ばされて二階から地上へと落下していく。

 天照の領域内では身体能力・再生能力は加護の力で跳ね上がっている為、間一髪で受け身の耐性をとり、痣や擦り傷程度で済んだ。

 大麻は決して離さない。

 幼馴染への最後の恩返しだ。

 自分が美奈を救い殺すんだ。


 「凛太郎君!」


 部屋の外から神宮日和の悲鳴が聞こえる。

 凛太郎が蹴り飛ばされたと同時に、天照が発動したことに気がついた日和や草薙政子、龍臣は大麻オオヌサを持ち、レオを連れてすぐに凛太郎の部屋へ駆けつける。

 全員を見た美奈は、気にせず凛太郎を追って割られた窓から地上へと飛び降りた。


 「あの悪魔……凛太郎を追っているとは。まさかな」


 政子は妙な違和感に気がつき、それの正体に検討をつけた。

 美奈が逃げる凛太郎を追う様子を見て、政子以外の三人と一匹は焦る。

 凛太郎が危ない、助けないと。


 「追うよ」


 政子が先頭をきって割られた窓から地上へと飛び降りて、華麗に着地する。

 意を決して、掛け声とともに空へと飛ぶ日和。

 政子程ではないが、無事に着地を決めることができてホッとした様子だった。


 「安心してる場合ではない。

  行くぞ……もしやあの悪魔は、昨日亡くなった凛太郎の同級生かもしれぬ」


 「え? でも、昨日のことじゃ?」


 「伊魔那美イマナミは神出鬼没だと伝承がある。

  不思議な話ではない。それに、わしらのことを気にせず一目散に凛太郎を狙っておる。……おそらくな」


 龍臣とレオも二人に続いて地上に着地。

 小柄な大きさで、龍臣の頭にちょこんと乗ったレオが飛びながら陽芽市を見渡していた時のことを話す。

 レオは凛太郎と美奈がどの方角へ走っていくのかを目で追っていた。


 「飛んでた時に凛太郎とあの悪魔の姉ちゃんの行き先を見てたぜ。

  北の方角、街の方だにゃ」


 「左右で二手に別れる。龍臣くんはレオと、日和さんはわしと。

  発見次第、術を上空へ放って合図をするのじゃ。

  そっちはレオの《居火車》《振り火車》なんでも良い。とにかく、油断はするな」


 「「「はい」」」


 「行くぞ……」


 政子の号令とともに、それぞれが動き始める。

 日和も、政子の後に続いて、走り出す。大麻オオヌサをしっかり握り、歯をくいしばって遅れないように。

  全速力で駆け抜ける神々の代行者は、先へ行った凛太郎達を追った。

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