第9話 夢破れても三国志あり

「豚が豚の世話をしちゃ、おかしいだろ」


 幼少期からその日まで、私には「獣医になりたい」という夢があった。

 二者面談で「将来の夢」を担任教師に聞かれた時、相手は言葉も心も通じない人間だということを忘れていた。

 夢を語ることにワクワクを感じていた私は、大人である担任教師に応援して欲しかったのだろうか。

「将来の夢は?」と事務的に聞かれただけだったのに、私は目を輝かせて夢を語ってしまったのだ。

「獣医になることです!」と。


 それに対して担任教師が笑いながら放った一言こそが冒頭の

「豚が豚の世話をしちゃ可笑しいだろう」だった。


 耳を疑う前に、砕かれた夢の音が未来を塞ぎ、心と精神が真っ二つに裂けた。

 それまでの私の存在価値さえも木っ端微塵に破壊するには、十分すぎる一言だった。


 当時、四十路前だった担任教師にとっては、意味のない、くだらない、心ない冗談のつもりだったのかも知れない。


 クラスメートにイジメられているのに、無表情、無感情を貫くことで命と自分自身を保っていたからか、担任教師も私に対して、何を言ってもいい、許されるとでも思っていたのだろうか? 思っていたのだろう。


 こうして獣医になる夢は、この時のこの一言で瞬時にして、終わった。

 たったそれだけでと思われるかも知れないが、それくらいの破壊力があった証である。

 それくらいの言葉で傷ついたり、諦める程度の夢だったら所詮、その程度でしかないと言われるかも知れないが、相手が聖職者と言われる立場の大人で、絶対的な存在だったら、真に受けてしまう十三歳という年齢。


 夢を実現できるか否かは別問題として、それまで大事に抱えていた想いをぶち壊しておきながら、数日後の通知表には

「獣医を目指すのなら、人間という動物をもっと好きになりましょう」と堂々と書いてきたから驚きだ。


 相手の気持ちや想いを一切考えず、夢を殺し、心を壊す言葉を簡単に吐くのが人間という動物だよ、と教えてくれた張本人がよくぞ書けたものである。


 イジメを見て見ぬふり、夢を平気で壊す言葉の暴力を大々的にぶちかましておきながら、それが人間だと私に擦り込んでおきながら、どの口がそんなことを言うのだろう?


 夢を批判されたい、潰されたいと思いながら、わざわざ目を輝かせて夢を語る人は世界中、どこにもいない。人類史上いないとさえ思う。


 たかが中学一年の二者面談ごときで、冗談を真に受けてしまっただけかも知れないが、それ以上に、たかが十三歳の私と、三十八歳の担任による二者面談ごときで、見た目や人格まで攻撃される筋合いはない。


 四半世紀も年が離れていれば、相手に何を言われようが、傷つけられようが関係なく、年上を敬わなければならないとでも言うのだろうか。

 そんな人間を師と呼ばなければならないのだろうか。


 あまりにも貴重で有り難いご意見だったが、怒りを通り越して、人間なんてくだらない生き物だ! と担任教師と同じ人間であることに嫌悪感すら覚えた。


 それでも、そんな私が

「希望と命は絶対に捨てるな!」

 横道に逸れることなく、命を絶つことなく今日、こうして生きていられるのは、大好きな三国志の英雄達のおかげである。


 彼らが命を懸けるのは大事な人を守るため。

 周りの人が嫌いだからとか、この状況から逃げたいから、という理由で生きるのを諦めることはなかった。


 私が三国志の英雄達に最初に学んだことは「生き続けること」ほど難しく、大事なことはないということだった。


「今、どんなに辛くても、解ってもらえなくても、必ず報われるから、耐えて耐えて、何が何でも生き抜け!」

 何が遭っても、誰も何もしてくれなくても、それでも。命ある限り、生きる道を歩くよう背中を押してくれた英雄達。


 かくして同じ時代の同じ国、同じ学校の人間によって、瀕死の精神状態に追い込まれた私は、時代も国も違う三国志の英雄達によって一命を取り留めたのだった。


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