■17 終末抄

「多少なりとも、休めたかね?」

「はい、伯爵。食事をありがとうございました」

「では、気の重い話し合いを始めようか」


 再び、執務室。

 広い執務机につくマティアスと、そばに控えるコーエン。机の前に立つフォルカとノーマ。四者での話し合いは、重々しい宣言から始まった。


「図書館には、夜の間に、救援を求める手紙を送ってあります。図書館に届くのが今日の昼、司書が到着するまではもう三日、というところかと」

「ふむ。魔術の手紙かね?」

「はい。詳細は機密ですが」

「結構。シュトゥが切った一週間という期限まで、ぎりぎりだね」

「どうだか。向こうにしたら一週間きっちり待つ義理もないだろ」

「司書の到着が遅くなる可能性もあります。街の皆さんの避難は今すぐ始めるべきかと」

「ふうむ……」


 マティアスが口ひげを指で撫でる。思考をするときの、この男の癖であるようだった。


「フォルカくん。気を悪くしないで欲しいのだが、図書館の救援が来たとして、あの少女と【物語】に対抗できるだろうか? 私とて貴族の端くれ、【物語】の脅威については聞いていたが、今の状況は想定よりもずっと恐ろしく思える」

「それは……」


 気を使った言い回しとは裏腹に、マティアスの声に妥協はない。冷徹にすら聞こえる声音に、フォルカは少し口ごもった。

 思考を整理する時間を二秒取って、答える。


「……図書館の外で、これだけの数の【物語】が発生することは稀で、非常に危険な状況です。かつ、……一級司書のアンドレアが未帰還である以上。あの黒狼は単体でも脅威です」


 声は冷静だ。

 冷静たろうとする焦りもなく、断言する。


「状況を踏まえても、図書館ならば対応できます」

「わかった。では、降伏という魅力的な選択肢は、いよいよになるまで取っておくとしよう。問題は――」

「はい。問題は、『終末抄』をどうするか、です」

「渡すことはできない、と私は考えている。司書としての見解はどうか?」

「同じく。先程も申し上げた通り、危険すぎます。守り抜かなければ」


「おい」

「失礼」


 コーエンとノーマが同時に声を上げた。視線を向けあって牽制しあいつつ、述べる。


「そもそも、本当にその終末なんとかが目的なのか? あのガキの嘘ってことは?」

「ううん……わかりません、が。『終末抄』にそれだけの価値があるか、といわれれば、あります」

「……なら、なおさら。渡さないのはいい。だが、奪われたらどうする」

「領民に被害が出ているのです。交渉する姿勢だけでも見せるべきでは?」

「そんな危険物、さっさと燃やしちまえばいい。【神話】とやらも、燃えた本からは出てこないだろ、さすがに」

「あるいは、燃やす、という脅しを含めてはどうか。シュトゥなる少女の目的が本ならば、動きを抑えることができるかもしれません」


 二人の発言に、フォルカは先ほどの冷静な様子など吹き飛んだ声で答える。無意味に手をぱたぱたと振る仕草つきだ。


「だ、ダメです! 神話諸典、それも『終末抄』ですよ!? 本物であれ、偽物であれ、資料価値は計り知れません!」

「……おい」

「失われたら人類の損失です! も、も、燃やすなんて……!」


 ノーマのじとっと濡れた視線にも気付かず、拳を握り締める。

 若干腰が引けた様子で、コーエンが言葉をはさむ。


「フォルカ殿。……実際に燃やすかどうかはともかく、『選択肢を持っている』と敵に思わせることは重要です、ので」

「う、うううう……!」わなわなと震える両の拳。「…………そう、ですね。仰る通りです」

「あのガキ、交渉や脅しが通じる相手とも思えねえが」

「だが、燃やしてしまえば報復があるだろう。確実に」

「……かもな」

「いずれにしろ、コナドの街と、領内の各村の住民には、避難の指示を出すべきかと。……この状況では、各村には伝令を走らせるのが精一杯です」


 コーエンが、黙って議論の推移を見つめていたマティアスへと注進する。

 領主としては苦渋の決断となるはずだが、マティアスの頷きに迷いはない。


「コーエン。腕の立つ騎士を各村へ走らせよ。生活は保証するゆえ、とにかくコナドまで避難を命じろ」

「はッ」

「コナドの街の避難準備は文官に行わせよう。命令書は急ぎ用意する。すぐに準備を」

「はッ!」


 命令が下された瞬間、コーエンは姿勢を正し、左手を胸の前に掲げる敬礼を行う。騎士としての礼は一瞬で、即座に踵を返し、大股で部屋を出て行った。


「さて……君たちにも色々してもらうことはある、が。まずは休みたまえ。部屋を用意させよう」

「助かるが、俺たち……あー……俺と子供たちがこれ以上世話になってもいいのか?」

「無論だとも、ノーマくん。我が領地を訪れた旅人は、法を犯さぬ限り、私が庇護するべき者だ。……その役目を十全に果たせていない今、せめてもの手助け、というところだよ」

「……わかったよ、世話になる。貴族ってのは、面倒だな」

高貴なるものの義務ノブレス・オブリージュというものさ。面倒を楽しめる者こそ、良き貴族たれり、だ」

「は。いけ好かないわけだ」

「では、伯爵。一度休ませて頂きます。『終末抄』の警備は、くれぐれも……」

「分かっている。ネズミ一匹通さぬようにしておくとも」


 執務室を辞したノーマとフォルカは、メアリが再び眠りについたと医師から報告を受けた。ひとまずすやすやと眠るメアリとニギンの様子を確かめて、二人もまた、ベッドに沈む。

 心配と緊張で眠れるだろうか、というフォルカの心配をよそに、疲れ果てた体に眠りはすぐに訪れた。


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