第23話 暗黒騎士は学び、聖女は――
「お兄ちゃん、それ、うんこだよ?」
「……ウンコ?」
「そう、うんこうんこ!」
「ウンコ! ウンコ!」
「うんこー!」
「ウンコー!」
「こらぁッ!! そいつに変な言葉教えてんじゃないよッ!!」
「ぎゃああっ!? ごめんなさーい!!」
机に向かっていたハジメに絡む子どもたちを追い払い、まったく、と腰に手を当てる恰幅の良い女性、エルメス。
エルメスの家で、ハジメは鉛筆で字を書いていた。
彼が書いているのは、エーゲモード王国を含める周辺の国々で使用されている共通言語、テベス語だ。
「それで、書けたかい?」
「はい。どうです?」
ハジメから文章の書かれた紙を受け取ったエルメスはさっと文章に目を通すと机に置かれた赤いインク瓶に筆をつけるとハジメに分かりやすいようにバツ印をつけ、間違っている場所に単語を書き込んでいく。
「こことここ、これじゃあ『住んでいるあいつの場所が王都です』になっちゃうよ。文章の頭に、アイズ、をつけて、接続詞はこっち」
エルメスの指摘を真剣に聞き、指摘された箇所を修正していく。
王都に向かったハジメがリンと戦ってから一年ほど経ち、ハジメはこの世界の言葉を学んでいる最中であった。
「言葉、難しい」
「そりゃあそうさ。でも、あんたは筋が良いね。一年でここまで読み書きができるようになるなんて才能あるよ」
「凄い?」
「ああ、凄いさ」
凄い、と褒められ満更でもないとはにかむハジメを見て、心のなかで「それが恐ろしいんだけどね」と付け足すエルメス。
文法こそ間違えているが、文字はほぼ完璧に書けている。
同じように、言葉だって発語はたどたどしいが、聞き取りだけならほぼ完璧。
凄いと褒めてはいるが、末恐ろしいというか、文字を教えた次の日にその日教えた文字を真っ黒になるまで書き綴った紙を何十枚も持ってきたときは思わず悲鳴を上げてしまったものだ。
国を相手に大立ち回りした話といい、言語習得の為の練習量といい、執着したものに対する執念が人の比ではない。
「魔族の恐ろしさってのは、こういうところなのかもしれないねぇ」
「???」
ボロっと呟かれた言葉が分からず首をかしげるハジメを見て、クスッと笑みを零したエルメスが彼の頭を掴んでガシガシと撫でる。
恐ろしいと言えば恐ろしいが、彼は良く働き良く遊ぶ好い青年だ。
「ぬぉっ!?」
「ほら、今日はこっちで食べて帰るんだろう?」
「いや俺は」
「えっ、お兄ちゃん居るの!?」
「そうだよー。ほら、皆呼んで来な!」
「わーい!! 兄ちゃん今日泊まるってー!!」
「いや、俺泊まるない!? あーもうっ!!」
エルメスたちの様子を伺っていた少年の後を追いかけるハジメを見送り、エルメスは大口を開けて楽しそうに笑うのであった。
※
「エルメスも強引なんだからなぁ」
月明かりが照らす暗闇の中、ハジメは村での一時を思い出して微笑みながらそんなことを呟いていた。
あの後、急に始まったかくれんぼやかけっこで夕日が落ちる寸前まで遊び倒したハジメはエルメスの家でご飯を食べて帰宅の途にいた。
「リン、元気にしてるかなぁ……」
枝葉に遮られてあまり見えない夜空を見上げながら口に出してしまう。
魔族は何よりも意志を尊重する。そして、その価値を尊ぶ。
聖女としての価値、彼女の選ぶものを見極めるための救出だった。
結果としてリンはハジメの想いに応えてくれたわけだが、そのせいで彼女と離れ離れになって非常に寂しい思いをしていた。
「あーあ! いっそ契約無視すりゃ良かったなぁ! ……無理なんだよなぁ…………」
はあぁあぁぁぁ、とこの世の終わりのようなため息を吐いていたハジメだったが、自宅前の広場に戻った時、違和感に足を止めた。
何かが変、と素早く辺りを見回してハジメは気がついた。
――明かりがついてる?
小屋の窓から明かりが見えるのだ。
小屋を出たときに照明は必ず消すので、自分の不注意か、それとも何かが原因で勝手についたのか。
と、中腰になって小屋を注視していると明かりを横切る影が一つ。
形からして恐らく人。
しかし、こんな森の奥にまで入り込む人なんて居るはずもないし、まして自分の小屋なんて、とそこまで考えたところで彼は弾かれたように走り出した。
そんなことはあり得ない。だが、自分の小屋に足を運べる人なんてこの世に一人しか存在しない。
そうして彼が勢いよく扉を開けた先には、
「……解剖書かこれは。こんな物を自由に扱えるのか」
慎重な顔でハジメの本を巡っている騎士と
「お姉様、ここで彼と住んでいたんですよね? ……いいなぁ」
台所で白装束の女性の隣に立ち、うらめしそうに女性を見上げる少女、そして、
「そうかしら? 言葉が通じないというのはそれはそれで大変でね……? あっ」
こちらを振り返った女性――たった一年で見違えるほど美しくなったリンにハジメはこみ上げてくるものを何とか飲み込もうとするが上手くいかない。
口を開けようとして、しかし言葉が詰まって情けなくて泣きそうで、
「ハジメ……?」
初めて見る姿に駆け寄ったリンが彼の手を取り心配そうに顔を覗き込む。
そんな彼女の不安そうな顔に、優しく握られた手のぬくもりにハジメはその場に膝をついて噛み締めるように言った。
「ありがとう……ッ」
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