第10話 どこにでもいる妹との話

「ずずっ……ぐすっ」


――うーん、困った。


 リン似の少女の誘拐に成功したハジメだったが、さめざめと涙を流す少女を前に、これからどうしよう? と悩んでいた。


 自分だけ離脱すれば良かったのに、より確実に逃げられるように、と魔が差した結果がこれだ。


――これなら普通に逃げたほうが良かったなぁ……。


 よく考えてみれば、少女を人質に取らなくても逃げられるじゃないか。


 自分の短絡的な行動を反省しつつ、ハジメは懐から一枚の布切れを取り出した。


 それはリンが渡してくれた布切れで、布切れには結界を発生させる為の陣が描かれている。


 瘴気が多い場所や結界が緩んだ場所に設置してほしいと言われて渡されたものだが、予備も含めて沢山あるから一枚使ってもいいだろう。


 ハジメが布切れに魔力を送ると、すぐに陣が発光し淡い青色の光がハジメと少女を包み込む。


 よし、これで、とハジメが立ち上がろうとしたその時、布切れを持った腕に少女が飛び掛かってきた。


「うおっ!?」

「neesama!? anatahaoneesamaninaniwositandesu!!」

「おいバカなにしやがる!?」


 ぐらつく身体を立て直せば、身長差で少女の身体が持ち上がる。


 振り払おうとキツめに腕を振るがそれでも少女は必死な様子で腕にしがみついて離さない。


「ko、nooo!! neesamawo、rindoneesamawokaese!!」

「連れてきたのは悪かったから落ち着け! あーもう、なんで布切れ一つにこんな……」


 腕力で敵わないと悟ったのか、腕から降りた少女は今度は腰に下げられた宝石の散りばめられた杖を振り被ってハジメに飛びかかる。


 だが、当然ハジメの鎧に傷をつけられるわけもなく、少女のか細い腕から放たれる攻撃は虚しい金属音を響かせるだけである。


「ひっぐ、うえぇえええええん」

「えぇ……」


 無力を悟ったのか、杖を地面に落とした少女が膝から崩れ落ちてわんわんと泣き出した。


 連れ去った時のものとは違う、本気の泣きにハジメも困ったように頭を掻く。


「あーもう、そんなにコレが欲しいのかよ……。そんなに価値があるのか、この魔法陣」

「あーん……ひっぐ……うぇ?」

「なんで急に泣き止んだ。リンのやつ、子供を泣き止ませる効果もつけてんのか?」


 しゃがみ込んで布切れで顔を拭ってやると、何故か少女はピタリと泣き止んでハジメの顔を見上げて言う。


「rindoneesama?」

「さっきから、りんどねーさまーってなんだ……? この結界術を作った人の名前とか? …………うーん、それなら怒るか」


 どんな人でも、尊敬する人の技や力を変なやつが使っていたら怒る。


 少女の感情の変化をそう受け取ったハジメは、布切れを何枚か彼女の眼の前に差し出した。


 予備もあるし、多少あげたところで問題はないだろう。


「全部は無理だけど、何枚かやるよ」


 ハジメの行動を理解できないのか、疑問符を顔中に貼り付けた少女の視線が布切れとハジメを行き来する。


 ほれ、と何回か腕を突き出してみると、少女は震える手で布切れに触り、素早く掴んで胸元に引き込んだ。


 絶対に離さないといった風な少女の様子にポリポリと頭を掻くハジメ。


「――ぁ! ――ぁ!!」

「っと、お迎えか」


 遠くから大声が聞こえてくるが、声の感じからもうすぐここに到着するはずだ。


 追手から逃げるべく立ち上がったハジメが歩き出そうとして、その手を掴まれる。


「……なんだ?」


 ハジメが手元を見れば、なぜか少女がハジメの手をがっちりと掴んでいた。


――捕まえるつもりか?


 腕に力を入れるハジメだったが、その腕が振るわれる前に少女は手を離してドレスの胸元から何かを取り出した。


 少女が取り出したのは青色の布だ。


 結界の書かれた布切れと違い、しっかりとした素材で出来た美しい正四角形の布。よく見ると布の片隅に金色の刺繍が施されている。


 魔法の気配のないただの布。物々交換のつもりだろうか?


 少女の意図は理解できないが、お返しのつもりなのだろうと決めつけて、ハジメは森の奥に向かって走り出すのであった。








 騒動はあったものの、無事村々を巡って結界の修繕などを済ませたハジメは小屋のある広場を歩いていた。


 鎧を脱いだハジメの手には、少女に渡された青色の布がある。


「なんだろうなこれ」


 各地を巡る最中、魔力を通したり色々検査をしてみたがどれだけ調べたところで布は布。


 呪物の類も考えられるが、そうした反応も全く見られないのでやはりただの布だ。


 ただ、ハジメには気になるところが一つあった。


「これ、なんだろうな?」


 ハジメが気にしたのは、布の隅に刺繍されたものだ。


 金色の糸で縫われたそれは、一定の規則性をもった形をしている。


 まるで文章のようだ。


――もしかして、あの少女の名前だったりするのだろうか?


 所持品に名前を書くのはよくある話だ。だとして、なぜあの少女はこんな布を渡してきたのだろう?


 全くわからん、と首を傾げたハジメは布をポケットの中に雑に押し込んで小屋の扉を開いた。


「帰ったぞ」

「okaerinasai。nanimoarimasenndesitaka?」


 声をかけると、台所に立っていたリンが小走りに駆け寄ってくる。


 それを見て腹に打撃を食らったような衝撃を受けてしまうハジメ。


 いや、物理的に食らったというか精神的なものと言うか。訳が分からない自分の感情の動きに戸惑ってしまう。


「are? koreha……」

「あん? ああ、これか」


 と、ハジメのポケットの中から何かがはみ出ているのを見つけたリンに、ハジメはそれを取り出して広げてみせた。


 もしかしたら、彼女なら刺繍の意味も分かるかもしれないと。


「――あっ、あ、ああ……っ」

「ど、どうしたんだよ一体!?」


 布に触れたかと思えばポロポロと涙を流しながら胸に抱き寄せるリン。


 突然の自体にわたわたと慌てるハジメの耳に「annphi」という言葉が聞こえてきた。


 あんぴーいや、あんひーか。同じような響きは焦げ茶色の頭髪をした青年も発していた。


 ハジメの予想通り、ハンカチに刺繍されていたのは少女の名前らしい。


 そして、リンの様子からハジメは少女の正体を悟ってしまった。


 リンに似ているのは当たり前だ。恐らくあんひーはリンととても近い、恐らくは血縁者だ。


 それと同時に、あんひーが取り乱した理由も理解した。


 あれは人質になったから取り乱したのではなく、リンに関わる道具をハジメが使っていたから取り乱したのだ。


 リンが森に倒れていた状況から察するに、彼女は何者かに襲われた。だが、森の中でハジメに拾われて生きている。


 しかしそれを知っている者はいないため、森の外でリンは死亡者として扱われているはずだ。


 もしかしたら捜索している可能性がない訳では無いが、それでも生存は絶望的と判断されていてもおかしくはない。


 そんな中、森の中で出会った怪しい鎧男がリンの作った道具を使っていたらどう見えるのか。


――俺がリンに関わっていると見て痕跡を残したわけだ。


 生きているなら、布を見て自分がリンを探していることを理解できるはず。


 リンがハジメに殺されていないことに賭けたのだ。


 声を上げることなく涙を流すリンの肩に手を置き、ハジメはリンが泣き止むのを待った。


 そうして彼女が落ち着いた後、ハジメは軍駒を使って今日あったことを説明した。


 あんひーという少女とそれを護衛する集団に会ったこと。その集団と戦闘になったこと。あんひーに布切れを渡した代わりに青い布を貰ったこと。


『そうですか……ありがとうございます。それと御免なさい、護衛の兵士が攻撃して』


 彼女からはそれだけで、その場はそのままお開きになった。


 その後何もなく眠りについたリンの寝顔を見ながら、ハジメは考える。


――この生活もこれで終わり。彼女には帰る家と帰りを待つ家族がいる。なら俺は彼女を……。


 ハジメは月明かりに照らされるリンの横顔をジッと見つめていたが、倉庫からいくつかの道具を取り出すと小屋を出ていくのであった。

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