事故と陰謀 4

「今のところ、集まった情報はこれだけか。……証拠として使えそうなものはほとんどないな」


 王城の王太子の私室で、アレクシスはグラシアンとともにローテーブルの上に広げられた資料を読んでいた。


「怪しいには怪しいですけど、怪しいだけでは罰せられませんからね」


 資料の一枚を手に取って、アレクシスが眉を寄せる。

 これらの資料は、グラシアンの側近の一人で諜報活動が得意なジェレットが調べてまとめ上げたものだ。情報が少ない中でこれだけのものを集めてきたジェレットの有能さには舌を巻くが、それでも決定打になる証拠は何一つない。


「ジェレットでも苦戦するとはな」

「あの方が敵ではなく味方であれば心強いんでしょうけど」

「あれが権力に固執する以上は無理だし、マチルダに危害を加えようとした時点で俺は容赦するつもりはない」


 グラシアンが氷のような目をしてささやくように言う。


(まあ、確かに)


 野心を持っているだけの状況ならもしかしたら……という希望は持てた。だが、グラシアンが世界で一番大切にしている存在に刃を向けた時点でそんな淡い希望は露と消えたのだ。あとはいかにして相手を出し抜き、証拠を集めて糾弾できるかというだけである。


 クラリスにも秘密にしているが、グラシアンもアレクシスも、避暑地でマチルダの部屋に侵入してきた人物の裏にいる相手には予想がついている。それも限りなく確信に近い予想だ。だが、何一つ証拠がない。そのため、相手を油断させるためにも、何も気づいていない体を装っているのだ。


「お前の方に接触はあるのか?」

「たまに話しかけられはしますが、これと言って」

「そうか。だが油断はするな。お前が標的に上がる可能性だってあるんだぞ。あれは邪魔だと思ったものに容赦がないからな」

「わかっています」

「できることなら冤罪でも何でもいいからでっちあげて捕らえたいところなんだがな」

「そんな下手を打てば殿下の立場が危うくなりますよ。そのような絶好の機会を見逃すような甘い相手ではありませんからね」

「ああ……」


 グラシアンが資料を睨みながら息を吐く。

 アレクシスがもう一度資料を最初から読み直そうとしたときだった。


「殿下‼ こちらにアレクシス・ルヴェリエ様はいらっしゃいますか⁉」


 どんどんと不躾なほど激しく扉が叩かれて、グラシアンが慌てて資料をまとめて立ち上がる。

 鍵のかかる引き出しの中に資料を押し込めたあと、泰然と構えてから扉の外に返事をした。


「いるが、どうした?」


 許可を得て扉を開けたのは、顔見知りの兵士の一人だった。

 アレクシスを見ると、焦った顔で叫ぶように言う。


「ブラントーム伯爵令嬢が事故に遭ったと報告が――」

「何だって⁉」


 アレクシスは弾かれたように立ち上がった。


「それでクラリスは⁉」

「現在ブラントーム伯爵家にいらっしゃると。命に別状はないそうですが、お怪我をされたとかで、心配なさった王妃殿下が城の侍医を派遣なさいました。私は王妃殿下の指示でこちらへ……」

「アレクシス、今日はいいからクラリスのところへ行ってやれ」

「はい! 失礼します!」


 グラシアンの許可を得て、アレクシスは部屋から飛び出すと、無作法は承知で廊下を駆け抜ける。


(クラリス――!)


 城の玄関前にはすでに手を回してくれていたのか馬車があり、それを使えと言われて飛び乗った。

 ブラントーム伯爵家へ急ぐと、蒼白な顔をしたクラリスの母が出迎える。


「義母上、クラリスは⁉」

「鎮静剤が効いて眠っていますよ」


 自室にいると言われて、駆け出したい衝動を抑えて階段を上る。

 部屋に入ると、クラリスがベッドの上で眠っていた。枕元には城の侍医頭が座っていて、クラリスの脈を測っている。クラリスの頭には包帯が巻かれていて何とも痛々しかった。


「先生、クラリスは――」

「うるせぇ騒ぐな。大丈夫だ。咄嗟に侍女の子がかばったおかげで、軽い怪我ですんだ。転んだ拍子に軽く頭を打ったみたいだが、命にかかわるような怪我はしていない。むしろ侍女の子の方が重傷だ」


 クラリスの侍女と言えばエレンだろう。アレクシスはエレンの姿を探して部屋の中を確かめたが、どこにもその姿が見えずに青ざめる。


「その、エレンは……」

「隣の部屋で寝かしている。腕と足の骨が折れているから、しばらく絶対安静だな。意識はしっかりしていたから、頭の方は大丈夫だが、リハビリを含めて半年はあまり仕事をさせずに様子を見た方がいい」

「わかりました」


 命に別条がないとわかり、アレクシスはホッと息を吐き出した。

 ベッドの縁に腰を掛けて、眠っているクラリスの頬に指先で触れる。

 転んだ拍子に擦ったのだろう、頬に小さな切り傷があった。

 頭以外に、肘と膝を擦りむいているらしい。大きな怪我ではないが血がにじんでいるからそれぞれ包帯が巻かれている。


「あの、事故と聞きましたけど……」

「俺も詳しく聞いたわけじゃねぇが、暴走車らしいぜ。運が悪かったな」

「暴走車……」


 馬車を引く馬は調教されているとはいえ、何かに驚いたりして恐慌状態に陥った拍子に暴走することがある。とはいえ、それほど起こるようなものでもないので、侍医頭が言う通り「運が悪かった」のかもしれないが、大切な人が巻き込まれたらそんな一言では納得できない。

 難しい顔をしたアレクシスに、侍医頭がクラリスの手首から手を離した。


「脈は正常だ。薬が切れたら痛むだろうから、つらそうなら鎮痛剤を飲ませてやれ。処方しておく。あと、何カ所か打撲があるから、しばらく歩くときは付き添ってやった方がいい。歩きにくいだろうからな」

「ありがとうございます」

「じゃあ俺は隣の侍女の子の様子を見に行くから、何かあれば呼べ。大丈夫だろうが、頭を打ってるからな、王妃殿下の指示で今日は一日ここに泊まり込むことになっている」


 ひらひらと手を振って、侍医頭がエレンのいる隣の部屋へ向かった。

 ぱたりと扉が閉まって、部屋の中に二人きりになると、アレクシスはぎゅっと眉を寄せる。


「クラリス……」


 クラリスが事故に遭ったと聞いた時、心臓が止まりそうだった。命に別状はないと聞いた今でも、ドクドクと壊れそうなほど激しく脈を打っている。


「暴走車なんて……」


 いったいどこの馬車が暴走なんて起こしたのだろう。

 事故を起こしたからには調査がされるはずで、アレクシスの元にも調査報告が届けられるだろう。馬車の所有者に苦情の一つでも――いや、百万くらいの苦情を言いたかったが、王太子の側近であるアレクシスが騒ぎ立てるわけにはいかない。王太子の品位が問われるからだ。


「やっぱり、今日は行かせるんじゃなかった……」


 自分が仕事になった時点で、クラリスがルヴェリエ侯爵家へ向かう日取りを移動させればよかったのだ。

 アレクシスは、消毒薬の匂いのするクラリスに顔を寄せて、きつく目を閉じた。



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