第21話妹、ルネッタは暴かれる

「……そ、その、今は……家の繰糸機の調子が悪いんですの……」

「いいや、この間この僕がメンテナンスをさせてもらったところだ。おかしいところなんてなかったよ」

「……」


 冷たい印象の切長な瞳が鋭くルネッタを見やる。


「そ、その後すぐに……壊れてしまったんです。だ、だから……今ここでは……。少し、あの、日を改めて……そうしたら、そう、貴方さまの邸にお届けに参りますわ!」


(……!)


 ルネッタと目が合う。「お願い、助けて、お姉さま」と、ルネッタはすがっていた。

 わたしのために、あの魔力の糸を紡いでくれと。


「それはダメだ。日を改めること自体は構わない。だが、俺の目の前で糸を紡いでもらわねば。この家の繰糸機が使えないのならば……俺の家のものを貸してもいい」

「……ッ、そ、それは……」


 ルネッタは俯き、ギリッと歯を噛み締める。


「……俺の目の前で糸を紡いでもらう。それができないのであれば、俺は君を信用できない。すまないが、婚約の話はなかったことに……」

「わっ、わか、わかりました! そ、それでは……代わりに、手紡ぎでさせていただいてもよろしいでしょうか!? その、繰糸機で作ったものと比べれば……質は劣るかもしれませんが……!」


「いいだろう。今時、手紡ぎで糸を紡げるのか。繰糸機と手紡ぎでの仕上がりに差が出ることは理解している。……俺も曲がりなりにこの分野においては専門だ。それも考慮に入れて見極めさせてもらおう」


 ルネッタ。かつて、魔力の糸をうまく紡げずに泣いていた女の子。

 ……今となっては、アレも嘘で十歳になったばかりの当時から本当はルネッタはちゃんと糸を紡げていたのかもしれないと考えたりもするけど……。


 ルネッタが両の手の人差し指をクルクルと回す。しばらくすると、しゅるりと糸が現れた。火傷を負った指が痛々しい。

 ああ、本当に今はもう自分で糸を紡げるようになっていたのね、なんて感慨深くなってしまう。バルトルによると、今の貴族たちは繰糸機しか使わなくなって久しいようだけど、わたしもルネッタも、お母さまから手で糸を紡ぐやり方を教えてもらっていた。


 ふと、お母さまを横目で見ると、お母さまはルネッタのいざこざにはご興味がないようだった。お父さまが放心しているのを目を輝かせながら見つめるばかり。ルネッタも、間違いなくお母さまの娘であるはずなのに。わたしは母の……かつてわたしを産み、不貞を疑われ続けた女の妄執を感じ、ゾッと背筋が冷えた。




「……もういい、話にならないな」

「っ、レックスさまっ」

「全く違う。繰糸機か手紡ぎかの違いなど、問題にならないほどに。糸の細さも、魔力の強さも、色すら違う」


 糸の束が出来始めた頃、レックス様は大きなため息と共にかぶりを振った。

 ルネッタは拳をわななかせながらレックス様に縋るけれど、レックス様の目は冷たいままだった。


 ルネッタが紡いだ糸の色は束になると金色に近い色であることがわかった。……わたしが作ってきた魔力の糸の色はどちらかといえば銀色──真珠のような色合いと光沢を持っていた。とはいえ、魔力の糸の色は基本的には『無色透明』とされている。よくよく注視しなければわからないような差ではある。

 だけど、レックス様は魔力の糸がきっかけでルネッタに求婚したような方。そのような方であれば、違いには当然敏感だろう。


「君があの糸を紡いだわけではないことは理解した。……だが、だとするならば……あの魔力の糸は誰が紡いでいたんだ?」

「ち、ちがうんですっ。あの、わたし……さっき、儀式に失敗して、手も火傷して……お母さまからも、あんなこと……言われて……しょ、ショックで動揺していて、だから……」

「だから、調子が悪いと?」

「そ、そうなんですっ、だから……だから、もう一度……!」


 ルネッタの懇願を受けて、レックス様は目を眇めながらも、ふむと口元に手をやった。




「……ロレッタ」


 バルトルが囁く。振り返り、見上げる。目が合うと、バルトルは黙って頷いた。わたしも、頷く。


 ……わたしは糸を紡いだ。

 妹が望むものを奪う行為。だけど、わたしが今ここで糸を紡がずとも……結果は、変わらないだろう。


 妹はわたしの憧れでもあった。離れの窓から、中庭ではしゃぐ妹ルネッタ。豊かなブロンドヘアーをなびかせながら愛らしい笑顔で走り回るかつての妹。

 ルネッタはわたしを蔑んでいたけれど、わたしはそれを知ってからも彼女に対する想いはあった。


「……っ、お、おねえさま……っ」

「これは……」


 わたしの指先からシュルシュルと光り輝く糸がどんどんとできる。

 ルネッタは歯軋りをしながら睨むようにわたしを見ていた。「やめろ」と言いたいんだろう。けれど、わたしはやめない。もうこれ以上ルネッタが無様を晒すところは見ていたくない、叶わない望みに縋りついてボロボロになっていく姿なんて。


 魔力の糸はあっという間に一握り程度の束になる。

 銀色のような、でも光が当たると虹色のような、真珠の光沢に似た色彩でわたしの魔力の糸は煌めく。


 わたしは出来上がったそれを、レックス様に手渡した。


「……」


 出来上がった糸を手に取り、レックス様は嘆息なされた。


「……なるほど。君が……そうだったのか」


 琥珀のような色の瞳を細めて、レックス様はわたしを見やった。

 そして、わずかに口元を緩められたかと思うと、クルリとルネッタを振り返り、厳しい面持ちで口を開いた。


「……ルネッタ嬢。君との婚約は破棄させてもらう」

「あ、あ……レックスさま……!」


 ルネッタは膝を突く。血走った目からは涙も出ないようだった。ただ、目を見開き「信じられない」とばかりに顔を歪ませて半笑いを浮かべていた。



 レックス様はそんなルネッタを振り返ることなく、彼の足が向かう先はなぜか、わたしだった。


「……ロレッタ……いや、ガーディア夫人。申し訳なかった」

「えっ」


 レックス様はわたしの正面までやってくると、深く頭を下げた。


「アーバン家にまつわる噂を鵜呑みにして、まさかあなたがこのように素晴らしい魔力の糸を紡げる人とは思いもしなかった。あなたに直接中傷する言葉を投げたわけではないが、俺はずっとあなたを不貞の子と軽んじてきた貴族の一人だった。……すまない」

「そ、そんな。レックス様が謝罪されるようなことでは……」

「……その黒髪、あなたは不貞の子で……魔力も持たないのだと、俺は思っていた」


 わたしは首を振る。黒髪は平民の色、魔力を持たぬ証。貴族であればみなそういうふうに思っている。レックス様個人の問題ではない。


「……あなたの存在を知らなかったことは貴族社会の大きな損失だ。……そうだろう、バルトル」

「まあ、そうだね。一応僕も貴族だけど?」

「……お前の目利きはいいらしい。とすれば、お前が目指す魔道具の進化も、あながち悪いものではないのだろう。今後はクラフト家も支援することにしよう」

「おいおい、それはちょっと今の流れと関係ないんじゃないか? まあいいけどさ」


 軽い口調で返すバルトルに驚いて、彼の顔を見上げる。


「……レックス・クラフトも魔道具士なんだよ。何度か一緒に仕事したことがあるんだ。仲良くないけどね」

「そ、そうだったのですね……」


 確か──そういえば、クラフト家はある魔道具の特許を有していて、生まれてきた子たちはみな代々魔道具士としての修行を積むのだと耳にしたことがある。


(……だから、この方も……魔力の糸から、ルネッタに……興味を持たれたのね)


 しかし、ルネッタが今まで国に納品してきた糸はわたしの作ってきたものだった。

 ルネッタは床にへたり込んだまま、固まってしまっているようだった。


 レックス様はアーバン家との婚約を破棄した今、もはやこの場に残る意味もないとばかりに足早に広間から出て行かれてしまった。

 

 わたしの背に、大きな手のひらが触れる。

 僕たちももう帰ろう。バルトルがそう促しているのだと察したわたしは頷いた。




「ろ……ロレッタ、い、いままで……すまなかった」


 広間の扉に向かうわたしの名を、父が呼んだ。


「……お父様」

「た、頼む。お前しかいないのだ、このままでは我が家は取り潰しだ。さっき魔力継承の儀を失敗して……俺はもう魔力を失ってしまった、魔力の糸だって作れない、そしたらもう、か、金もないんだ……生きていけない」


 床に平伏し、縋り付く父。乱れたブロンドの髪、蜂蜜色の瞳。

 ……この人のこんな姿、初めて見た。


 わたしにとって父はいつだって理不尽な巨人に見えていた。それなのに、今はこんなにちっぽけで弱々しく見えてしまうなんて。


「……ロレッタ。もう行こう」

「……。……ええ」


 わたしの手を引くバルトル。その力は強かった。

 

 掴まれた手首が痛いとそう思うほどに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る