第3話わたしの心残り

 縁談のお話をいただいてから早数ヶ月。

 わたしの心残りは、妹のルネッタのことだった。



 貴族は納税をする領民に対し、自身の魔力を還元しなくてはならない。


 『魔道具』。魔力を動力源とする器具の数々はもはや人々の生活に欠かせないものとなっていた。

 広大な畑を耕す耕運機、食材を長期間保管しておける冷蔵庫、常に清潔さを保てる水洗トイレ。挙げていけばキリがない。


 これらを発明したのは、とある一人の平民だったというから驚きである。彼はその才覚から『異界からの導き手』と呼ばれていたそうだ。とても今世の人間の発想とは思えないということから、その呼び名がついたという。


 彼の偉大な伝説はさておき、ともかくとして、貴族は領民に己の魔力を渡してやらねばならない。そのために、自身の魔力を『糸』として紡ぐのだ。


 だから、わたしは毎日糸を紡いでいた。なんの能力も発現しないわたしの魔力だけど、魔力は魔力であった。魔力を動力とする道具、『魔道具』を動かすことはできた。


 アーバン家の『電気』の魔力は特に魔道具を稼働させるには向いていて、領民に配る魔力とは別に、国家が運用する大きな規模の魔道具を動かすために国にも魔力を納めることを求められていた。


 お父様は政が苦手で、自分自身はほとんど領地経営には関わらず、金で雇った人物に任せきりだった。借金がある時代からそうだった。父は金が大好きで執着するくせに、金遣いの荒い人だった。

 『電気』の魔力を国に納めれば、納めた量の分だけお金ももらえる。父はその収入に頼っているらしかった。




「お姉さま! たすけて、私、糸がうまく紡げないの」


 糸紡ぎ。わたしの日課。この家でのわたしの唯一の仕事。


 思い出すのは、わんわんと泣きながらわたしの胸に飛び込んでくる妹のルネッタ。

 ルネッタは魔力の糸を紡ぐのが苦手だった。十歳を超えたら貴族の子供たちは皆、この糸紡ぎを学び、領民のために糸を紡ぐ仕事に就く。


 ……わたしは、不貞の子だから、父からは「お前は何もしなくていい」と言われていたけれど……。お母さまがやり方だけは教えてくれたのだった。


 だから、これは妹とわたしだけの秘密だった。


 なんでもできる愛された妹ルネッタが、顔をくしゃくしゃにさせながら自分に甘えてくるのが可愛らしくて、そしてほんの少しの優越感を満たしてくれて、私はいつも「しょうがないわね」と妹の仕事を手伝ってあげていたのだ。


 いや、手伝う……どころか、ルネッタが本来やるべき分を全て代わってやってあげていた。

 ルネッタは教えても、教えても、うまくできずに泣き出してしまう。


「大丈夫よ、わたしが全部、やってあげる」


 わたしはつい彼女に手を差し伸べてしまう。


「ありがとう、お姉さま!」


 ルネッタの安心し切った満面の笑みが見たくて。

 ……そして、わたしのちっぽけな優越感を満たしたくて。


 お父さまたちには内緒で、わたしはこっそり糸を紡いで妹に渡してあげていた。



 ◆


 今日もわたしは、糸を紡いでいた。

 かわいらしい妹、ルネッタのために。


 これから三日後。わたしはこの家を出る。

 どうしても気になってしまって、わたしはとうとうその心残りを妹に問うてしまった。




「……ねえ、ルネッタ。あなた、一人で魔力の糸を紡げないのでしょう。大丈夫?」

「お姉さまが私の心配をするの?」


 わたしが紡いだ糸を回収しに離れにやってきたルネッタに声をかける。

 返ってきたのは、片眉を上げ不愉快そうに口角を上げた妹の嘲るような声だった。


「お姉さま、本当にご存知ないのね。私、とっくに糸紡ぎはできるようになっていてよ」

「……え、そ、そうだったの」

「あんな、十歳の子供でもできるようなことを、この家を継ぐ私がいつまでもできないと思っていたの? 呆れた。いつもひとりぼっちでいるから、そんなとぼけているのね。……というか、そもそも、今時こんな……」

「こんな?」

「……何でもないわ、離れにずっといるお姉さまは知らないでもいいことよ。お姉さまはそうやって、地味にコツコツ糸を紡いでいる姿がお似合いだもの」


 いつもわたしが紡いだ糸を渡すとニコッと笑っていた彼女の姿はそこにはない。

 小馬鹿にしたような顔でわたしを見つめるルネッタ。


「私にはお姉さまなんて、もうとっくに必要ないの。でも、お姉さま、私のお手伝いするのが好きだったでしょ? だからやらせてあげていたのに。はーあ、本当に察しが悪いったら」

「……ルネッタ……」


 父譲りのブロンドヘアー。キラキラとした茶色の大きな瞳。美しく育った妹のこんな意地悪な顔は初めて見た。


「わたくし、これから『魔力継承の儀』もしますもの。そうしたらきっと糸紡ぎももっとたくさんできるようになるわ。ご心配なくお姉さま。安心して平民に嫁いできてちょうだい」


 くるりと踵を返すとたなびく豊かなブロンドヘアー。それをつい目で追うけれど、わたしが紡いだ糸を抱えて去っていったルネッタがわたしの顔を見ようと振り返ることはなかった。


「……」


 ルネッタの長い髪は、とても美しい。


 ……私の髪も、前と比べたらだいぶ伸びてきたけれど。耳の横の毛のひと房を摘まむ。引っ張って、ようやく真っ黒な髪の毛先が視界にちらっと見えた。


 本当は縁談のお話をいただいてすぐに先方から顔合わせのお申し出があったそうだけれど……わたしの髪がまだ伸びていなくてみっともないからとお母様が断ってしまった。


 これくらい伸びていれば最低限みっともなくはないだろうか。


(……あと、三日……)


 ああ、どうして今日、ルネッタのあんな顔を見てしまったんだろうか。


(……わたしが、よくなかったのだわ。不貞の子なのに、あの子の姉として振る舞おうとして。それが……)


 ふるふると首を振る。やめよう。

 あまりこれ以上は思い詰めないように、わたしは指を動かした。くるくると両の指先を回すとキラキラと輝く『糸』ができる。無色透明……いや、銀色かしら、虹色にも見える。不思議な色に輝く細い糸。これが魔力の糸だ。何度見ても、何時間でもずっと見ていても美しくて夢中になる。わたしは糸紡ぎが好きだった。


 もう必要ないと言われても。

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