鈴木よしおと隠し鬼③

 ◆


 2日後の昼過ぎ、F村へ数名の男女が訪問して来た。

 服装は統一されており、男も女も黒尽くめのスーツだ。


 村長が訪問の目的を訊ねると、男女の小集団はどうやら東陰神社の神主、逆月 星周の同僚であるという。


 村長は黒スーツの集団の放つ妖しい圧に押され、言われるがままに星周の居宅へ案内をした。


 案内道中、星周の家に近付くと一人の黒服女性があ、っと声をあげる。村長が怪訝に思って振り向くと、黒服集団は誰もが沈痛な面持ちをしていた。


「あの、何か…その、儂に失礼などが御座いましたでしょうか…?」


 不安そうな村長の言葉に声をあげた女性は力なく首を振って言った。


「いいえ……でも星周さんはもうどこにも居ません」


 それを皮切りに、それまで言葉少なであった黒服集団が思い思いに口を開く。


「見立ては確かか?…確かだろうな。疑っちゃいないよ、でもなあ…星周がなぁ…」


「遅かったか」


「でも、彼もただでは死ななかった様ですね。少なくとも彼を殺ったモノが近くにいれば私達が気付かないわけがない。追い払ったか、それとも相討ったか」


 村長には彼等の言っている事がなんだかさっぱり分からなかったが、それでも何かよくない事が星周の身に起きた事は分かった。


 ◆


 星周の家についた一行が玄関のベルを押しても返事はない。

 ドアを叩き、声を掛け。

 それでも返ってくるのは不穏な静寂だ。


 一同の中で頭1つ抜けてる体格の男性がノブを握り、回して言った。


「鍵が開いている。田舎だから戸締りを怠っている…わけじゃあないな。星周の奴はこの辺はしっかりしている。鍵を開けっぱなしにして、“モノ”の招来を許すような事はしない」


 ため息をつきながら大男はドアを開き、ずかずかと家にはいっていった。

 村長は“不法侵入になるんじゃないか”と思いながらも、大男の行為を制止出来ないでいた。


 それは大男に物申す事に怖気づいていたから、というのも少しはあるのだが、なにより村長自身が異変、異様を察知していたからだ。頭の片隅がキリキリと痛む。


 やがて家捜しは一室を残すのみとなった。

 意識的に“その部屋”を残したわけではない。

 だがその場の全員が無意識的にその部屋を避けていた。


 皆は黙りこみ、大男がそのドアを開く。


 ◆


「ひいっ、こ、これは!これは一体!星周さんは、どこへ…事故…いや、事件…け、警察っ…!」


 村長の声が響く。

 部屋は一面血塗れだった。

 赤い血。それと黒いナニカ。


 御札らしき紙の残骸が部屋中に散らばっている。

 床に2本の指が転がっている。


 そして、部屋の中央。

 床に敷かれた座布団に、眼球が1つ。


「………この黒い液体は…人の血じゃないな。そうか。まあそれくらいはな。意地もあるものな、星周…」


 大男が座布団の前でしゃがみこみ、疲れきったような声で呟いた。


「火場さん。どうしますか」


 集団の一人、妙に神経質そうな眼鏡の青年が大男に訊ねる。


「本部に連絡する。連中の見立て違いだ、クソッ!それと、“コレ”に狙われた嬢ちゃんっていうのと会う。話もきかなきゃあならないからな…。まあ暫くは来ないだろうが、いずれまた来るだろう。俺達がそれまでに対処できればいいんだが…」


 大男…火場はよっこらせと立ち上がり、懐から取り出したハンカチに座布団に置かれた眼球と床に落ちている2本の指を載せ、丁寧に丁寧に包んだ。


「ともあれ、時間は出来たな。星周が稼いでくれた。その間に“これ”が何なのかをもう一度洗う。この地域の伝承は把握している。だが、実際に顕れた事は無かったはずだ。少なくとも近現代では」


 火場の言葉に、眼鏡の青年は頷いて答えた。


「ですがここ最近は星のまわりがよくない。何かが起こるかもしれない、そこまでの本部の見立ては正しいです。しかしそこからがよくありませんね。仮に何かが起こったとしても、星周さん一人で対応出来る、というのが本部の見立てでした。これは失策です。とはいえ、あの時点ではどうにも出来なかったでしょうが」


 黒服集団は皆それなりに“使え”る。

 故に全国でもかなりタチが悪いタイプの霊異現象へ対応していたが、星周の救援要請で仕事を他の者へ引き継ぐ形でやってきたのだ。

 恐らくこの事で相応の被害が出るだろう。


 救援を出した星周もその辺はわかっていたが、それでもなお自身を優先する事を求めた

 それは小を捨てて大を生かすという判断による。


 依子を自分の目で視て、迫り来る危険の度合いを確認した星周は、現実的且つ最速のタイミングで救援を要請したのだ。


 残念ながらその星周は死亡してしまったが。


 とはいえ、この時代の日本では屈指の祓い手であった彼は、ただ殺されるだけでは済ませなかった。

 ただの一人で勇戦し、手傷を負わせ、時間を稼ぐ事が出来た。


 ・

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 ◆


 灰田 依子はテレビを観ながらぼんやりとしていた。

 番組の内容は頭には全く入ってこない。

 昔を思い出していたのだ。


 逃げ出してからの記憶は定かではない。

 どこをどう走り、どう逃げ出したのか。

 気付けば家に居たと思う。

 朧気に覚えているのは家に戻り、両親に泣きついた事だ。


 父と母は泣きわめく私を抱きしめてくれた。

 父なんて普段は腰が低く、母に頭が上がらないような人なのに、私から話を聞くなり慌てて部屋の隅に立てかけてある防犯用の木刀を取り出して…


「安心しなさい。お父さんはこう見えて凄いんだ、依子を必ず護るからね」


 そんな風に引き攣った笑みを浮かべる父に、私は星周さんを重ねた。


「私が、私がかわりに……ッ」


 母はそんな事を言っていた。

 当時の私も、それが“私が身代わりになる”という意味である事は理解できた。

 父も母も私も、三人が抱き合って“それ”が来ないか震えていたとおもう。


 どれだけ時間が経ったか。

 呼び鈴が鳴る音がする。

 びくり、と私の体が跳ね上がり、それを母が抱き締めた。


 今にもあの呻き声の様な響きが聞こえてくるんじゃないかと慄いていたら、予想は良い方向へ外れた。


「すみません、鬼撫さんのご自宅でしょうか?」


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 ・


 回想を中断した私は面白くもないテレビを消し、洗面所に向かった。

 鏡に映るのは中年の女だ。

 年齢にしては色艶があるが、全体的に疲れている。


 疲れるのも当たり前だろう。

 “アレ”がいつ来るか。

 それに怯えながら暮らしてきたのだ。


「…色が濃くなってきている。やっぱり終わってないのね」


 誰に言うまでもなく、私は力なく呟いた。


 ・

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 ・


 あの時家に訪れたのは星周さんの同僚の方だった。

 一際大きい人は、あれは身長が190センチくらいあったんじゃないだろうか?

 インパクトが強くて今でもよく覚えている。


「……というわけです」


 火場と名乗ったその男性は、神妙そうな様子で事情を教えてくれた。

 といっても、父も母も私も、だからどうすればいいのだという思いで一杯だったと思う。


「“アレ”に限らず、強力な怪異の多くは場所に縛られる場合が多い。一先ずこの地を離れてはどうでしょうか?そうですね、例えば東京にでも。というのも我々の本部が東京にあるのでね。生活の面倒は我々がみます。豪勢な生活を、と言うのは無理ですが普通の生活でしたら。通学なども手配しますよ。……ただし、ご両親からは離れて暮らしていただく事になります」


 火場の言葉に、当然のように両親は反対した。

 私も反対だった。

 でも、理由を聞いた後、私も両親も項垂れながら離れて暮らすことを了承したのだ。


「場所に縛られる事が多い、と先ほどはいいました。ですが、そうでない場合もある。例えば…血に縛られる場合もある。例えば…例えばですが、鬼撫という姓。これに特別な意味があったとしたら。特別な血筋を表す、特別な名前だったとしたら。その血にこそ“アレ”が惹かれているとしたら?」


 それをきいた母の顔色がさっと青褪めた。

 その余りに急激な色の変わりようはいまでもまだ覚えている。


 それから私は東京に引っ越した。

 火場さんの所属する組織?が用意した家、手配した仕事。

 色々とお世話になり、今でも頭が上がらない。


 火場さんが言うには、星周さんのお陰で“時間が稼げた”らしい。

 それがどれだけの時間だったのか分からないけれど、星周さんは命を懸けて私達が準備をする時間を稼いでくれたのだ。


「いいかい。依子ちゃん。いつになるか分からない、でももしもその腕の痣が大きく、濃く…様子がかわったら、かならず連絡をくれ。それは兆候だ。“アレ”が来る兆候だ。ほら、これが番号だ。いまは大丈夫だ。大分…薄い。厭な気配も…余りない」


 ◆


 “アレ”はいつ来るのか。


 明日か、明後日か。

 1ヵ月後か、1年後か。

 10年後か、あるいはもう来ないのか。


 そんな風に怯えながら凄く生活は酷くストレスだった。

 やがて、5年経ち、10年が経ち。


 私が大人になった頃には組織も危険はもう大分薄まった、と判断し、生活の支援が停止した。

 その頃には自分で働けるようになっていた為さほど問題はなかったが、自分なりに深く、能動的に思考が出来るようになった私は組織の判断に疑念を抱くようになっていた。


 ――そもそも星周さんが亡くなったのは、組織の判断が甘かったからじゃないの?


 そんな組織が危険はない、といわれても信じられるようなものではなかった。

 私はストレスを抱えたまま生活をし、そして雄一とであった。


 灰田 雄平。

 顔だけはいい、ホスト崩れだ。

 彼は甲斐性は無かったが、女に欺瞞に満ちた安心感を与える事は上手かった。

 事実私は彼と一緒に居たとき、僅かながら“アレ”を忘れる事が出来た。


 やがて子供が、晃が出来、雄平は他の女の元へと行き。

 私の中から“アレ”の影が薄れていき…


 つい先日。


 ――ねえ、母さん。帰り道に怖いのが居たんだ


 私の心臓がどくんと跳ねた。


 ◆


 現代・喫茶店『染田』


「お袋がいつ治るか、退院できるかなんて分からないっす。親戚連中は脳死させてやれなんていう奴もいますけど、俺はそういう奴はひっぱたいてやりました。治る可能性が0なら諦めもつくンすけどね…でも必ずしも0じゃないみたいで。医療費は補助を受けても馬鹿高いし、いつまでも補助金受けられるってわけでもないし…」


 晃はぶつくさいいながらアイスコーヒーをストローでかき混ぜながらいった。

 よしおはそれを聞きながら、ピザトーストを齧っている。

 晃から話を聞くため、とりあえず近くの染田という喫茶店に集まったのだ。


「お袋はああなっちゃう前、俺にいったンです。“アレはまた来る。今度はあんたを攫いにくる。私よりあんたのほうが力が強いみたいだから。ごめんね、本当にごめんね”…って」


 晃はよしおに自身が置かれている境遇を説明した。


 植物状態の母親が居るという事。


 その医療費で金が必要だという事。


 幼い頃に何かを見て、それから母親の様子が変わったという事。


 それから間もなく、“何か”が起きて、気付いた時には母親は既に入院していたという事。


 母は大怪我を負い、命すら危ぶまれる状態だった事。

 母だけが被害にあったわけじゃなく、何人か死者も出たという事。


 何かをみて、そして何が起こったのか…その間の記憶がすっぽり抜けているという事。


 晃の母親が植物状態になってしまうまでには間があり、半ば遺言のような形で晃に告げた事が先の一文であった事。


 ――そして……原因の分からない、痣


「鈴木さんって、“こういうの”詳しいっすよね。俺、わかるンですよ。昔から変なものを見てきましたし。霊感があるっていうのかな。他人にいったらバカにされるンで黙ってますけど。鈴木さんもあるんでしょ?霊感。それもすっごいヤバい感じの」


 ◆


 晃は肩をはだけ、そこについた手型を見せた。


「でかい怪我をしたとかならわかるンすけど、そういうのって普通覚えてません?でも覚えてないンすよ。一切ね」


 晃の言を聞きながらよしおは鋭い視線を痣に向けた。

 その色は薄いとも、濃いとも言えない。


「ちょっと触れてもいいですか?」


 よしおが聞くと、晃は頷いた。

 よしおは立ち上がり、痣に触れる。

 そしておもむろに鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。


「っちょっ、鈴木さん!?」


 晃はやや顔を赤らめ、よしおの顔を手で押しのけた。


「失礼。まあ確かに。紐付けというんですかね。うぅん…そう、唾付けのようなもの…かもしれませんね。放っておくと良く無さそうだなっていうのは僕もわかりますよ。大変そうですね」


 よしおはまるで他人事のように言った。

 実際他人事だからこれは間違っていない。

 何かタチの悪いモノに憑かれたかも、といって“じゃあ助けるよ!”などと積極的ボランティアをするつもりはよしおには無かった。


「実際のトコ…もしやばい事に巻き込まれたら、助けてほしいンすよね。だから教えてほしいンすよ。額を。金掛かるとおもうんですけど、俺、こういうの誰かに頼んだ事ってないから…」


 晃の言によしおは少し気が向いた。

 情に訴えかけるんじゃなく、出すものを出すと初めから言うというのはよしおにとっては好感が持てるからだ。


 関係性に甘えて無償で何かをしてもらって当然、という思考を今のよしおは酷く嫌う。


 なぜならばよしおは過去に、夫婦なんだから愛して、愛されて当然という考えの人間だったからだ。


 無償の善意、無償の愛情…そんなものは人を不幸にするまやかし同然である…とよしおは考えている。

 むしろ、そんなものを押し付けてくる者がいたら積極的に抹殺したいとすら考えている。

 証券マン時代、よしおは理知的で合理的だったが、今のよしおはややワイルドでダイナミックな思考をしている。


「…でも、こうして話してて、やっぱり鈴木さんに頼むのは筋違いなんじゃないかって考えも出てきて…。当時何人か死んだって…それだけやばいって事っスよね。なのに、第三者の鈴木さんに助けてくれなんていっても…」


 晃はため息をつきながら言った。


 “でも、俺の勘は鈴木さんに頼れ…っていってるンすよねえ…”





 ◆


 よしおは首の後ろを揉みながら考えた。

 感じる気配、予感。

 危険な依頼になるだろう。

 晃は金を出すといっているが、これほど佳くない気配の依頼と言うのは控えめにいって1千万や2千万では利かない。

 その金を晃が出せるとは思えない。


「何人か死んだ、と言う話でしたか」


 なぜ死んだ?

 巻き込まれたのか?

 いや、違うだろう。

 わざわざ“唾付け”をして獲物の捕食権を主張するようなモノだ。

 そういうモノは無差別にやらかす事は余りない。


 なら邪魔をして怒りを買ったか?

 であるなら、なぜ邪魔をした…


 ここまで考えれば話は簡単だった。


「2箇所。一緒に行きましょうか。1つは灰田君のお母さんが入院している場所。もう一つは、その組織がなんという組織かを聞いて、そして直接話を聞きに行きます。その組織も忸怩たる思いなんじゃないでしょうか。だったら怪物の始末をしたいはずです。一応言っておきますが、僕がこの依頼を受けるなら5千万を取ります」


 ごっ…と晃が絶句していると、よしおは掌を向けて制止した。


「その五千万から灰田君が幾ら支払うのか、そこは灰田君と組織とやらの交渉で決めてください。…まあ、そもそもその組織が僕へ依頼する事を認めるかどうかですが。僕は結構この業界では嫌われてるんです」

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