狼君

おかしい……。人生の振り返りタイム、いわゆる走馬灯が終わらないのだ。僕の命が終わると同時に終わるはずの走馬灯が終わらない。ということは、僕はまだ生きているのか。

 ていうか、あの狼マジで何してんだよ。獲物がこんなに隙だらけだってのに、襲い掛かろうともしないなんてハンターの名が泣くぞ。もういっそ命拾いしたと思って逃げようかなー―――

なんて考えていた時だった。

『貴様、それほど我に食われたいのか?』

――――――――――― 。

「へ?」

 間抜けな声が出た。だって、予測不能のことが起こったから。……頭の中に響いてきたハスキーボイスの主がこの狼だなんて。いやいや、流石にそれはないだろ。ファンタジー小説じゃあるまいし。あ、でも僕はこの狼自体がそういう類のものだって認識してたよなあ。

 だったら、まあいいか。

「ええっと、狼、さん。あなたは僕を食べようという訳ではないんですか?」

 狼(の怪異、アイヌ風に言えばなんたらカムイとか付きそうな)相手にどうコミュニケーションを取ったものか迷ったが、とりあえず敬語で話すことにした。僕が敬語を使うなんて珍しいこともあるもんだ。

『貴様が食われたいのなら、食ってやらないこともないが』

 またもや、頭の中に思わず平伏してしまいそうなハスキーボイスが響く。狼の口は動いていないが、話しているのは彼で間違いないだろう。

「そりゃまあ、食べられたくはないですけど」

『ああ、我も人間の肉は食いたくない』

 人肉は不味いらしいしね。僕自身が食べたことないので、らしいとしか言えないが。それに人肉を食べたことがあるならば、それはもう「人でなし」という他ない。

『その代わりといってはなんだが、貴様が焼いていた鹿の肉をくれんか』

 そう言って、彼は鹿肉の方に目を落とす。もっとも、その鹿肉は彼が登場した時に炎もろとも凍らされてしまっているが。

「えっ、ああ、どうぞ」

 予想外の頼みだったので一瞬戸惑ったが、了承した。

『有難い』

 驚くべきことに、狼はペコリと頭を下げた。そして、氷の塊と化した鹿肉をバリバリと音を立てながら食べている。

 僕は足が自由になったことを確認すると、元々座っていた切り株に腰を下ろし、狼のお食事シーンを眺める。

 ――――何なんだ、この世にも奇妙な話は。今度、テレビ局にこのエピソードを持ってってドラマ化してもらうぞ。タモリに会えるかな。

 いや、そもそも「今度」なんてあるのか? 狼と話が出来たからって、安心するのはまだ早いんじゃないか?

 無駄だとは分かっていつつも、ハンターとしての防衛本能が僕を自然と身構えさせた。

『何を身構えておるのだ。貴様を捕って食う訳ではないと先ほど言ったであろう?』

 そんなことは分かっていた。ただ僕は疑り深いだけなのである。でも、今回は素直に従った方が良さそうだ。

「ごめんなさい」

 僕は謝り、彼に対する警戒を解いた。

『我は貴様と話がしたい』

 鹿肉を食い終えた狼が僕を見て、そう言った。彼の瞳の中に驚いた僕の顔が映る。

『それも、対等な立場で話したいのだ。貴様は我に向かって敬語を用いた。しかし、我は貴様が小さな機械に向かって話していたような言葉で話して欲しいのだ』

 小さな機械というのはスマホのことだろう。ということは先ほど、さねちーと話していたように、この狼とも話せということか。そんな恐れ多いことをして良いのだろうか。というか、そもそも……。

「何故?」

 彼のような存在が何故、人間である僕との話を望むのか。怪異と呼ばれるものの類は人間を毛嫌いしているものだと思っていたのだが。

『理由か……。それは、貴様が我と似ていたからだ』

 予想外過ぎる答えだった。それこそ、もう意味が分からない。

「えっと……、それはどういう――」

 思考が追い付かない僕に、彼は更なる追い討ちとばかりに次の言葉を発する。

『我も昔は人間だったのだ。貴様と同じ、孤独を望んだ人間だったのだよ』

 驚き、なんてものじゃない。もう突飛過ぎて、これは夢ではないかと思った。

『驚くのも無理はない。人が獣になるなぞ有り得ない、夢か、幻か。我も始めはそう思い、そうであって欲しいと願った。しかし、夢は覚めなかった。我は獣に、野を駆け、牙を剥く獣になった、いや、成り果てたというべきか。……今ではもう、人であった時間よりも獣であった時間の方が長くなってしまった。人間としての記憶が薄れるにつれ、我は元々獣だったのではないか、と思うようにもなった。しかし、そう思ってもなお我は元々人間だったという自覚があるのだ。もう自身の名さえ忘れてしまったというのに』

 彼の話をどこかで聞いたような気がする。いや、聞いたのではなく読んだのだ、高校の現国の教科書で。タイトルは確か「山月記」。虎になった人間が出て来る話だ。

「虎になった人間の話なら知ってるけどね」

『ほう、虎か。私と同じようなものもいるのか。うむ、興味深い』

「まあ、フィクションなんだけど」

『ふぃくしょん?』

「作り話ってことだよ」

 会話のキャッチボールが出来た。彼が対等な立場で話したいと言ってくれたので、緊張が幾分か和らいだのだろう。気になることは山ほどあるが、順々に聞いていくことにした。

「さっき名前は忘れたって言ってたよね。だったら僕は君のことを何て呼んだらいいのかな?」

『好きに呼べばよい』

 いつもだったら、ここでボケれるんだけど……。

「じゃあ、狼君で」

 見た目そのまんま、直球。

『狼、君か。確かに我は狼に見えるな。ククッ、見た通りではないか』

 笑った、ように見えた。何か小さな感動を覚えた。

『そういえば、まだ貴様の名を聞いていなかったな。貴様はまだ自分の名を忘れておらぬだろう、人間』

 さすがに、僕もずっと「人間」呼びは嫌なので。

「冬月雪兎だよ。雪兎って呼んでよ」

『ユキト、か。ユキト、ユキト……』

 狼君は嬉しいのか、僕の名前を何度も何度も復誦した。その様子に僕は可愛いな、と呑気に思ってしまう。どんなに大きくて怖そうな動物でも可愛い、そんなムツゴロウさんみたいな人に僕はなりたかった。何がどうこじれてハンターになったのかはあまり覚えていない。今じゃ、珍獣ハンターになろうとしている始末だ。

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