冬月雪兎珍道記

夢水 四季

ゆきとウルフ

哲学

「旅に出よう」

 教授の小難しい講義を聞き流し、空を見ていた僕は、そう思い立った。


「自分」とは何だろうか?

 僕が生きている意味は?

 人生の価値は?

 本当の幸せは何処にあるのだろう?


 その答えが知りたくて、僕・冬月雪兎は十九の夏に、日本を飛び出した。

 始めはアラスカだった。前々から行きたいと思っていたし、そこの習俗、特に狩りについては卒論のテーマにしようかという程、強い興味があった。ガイドのオジさんとオーロラを見るという、真夏のアバンチュールとは無縁の十代最後の夏休みを送った訳だが、かなり楽しかった。それ以来旅にハマってしまい、単位を落とさないぎりぎりの範囲で大学をサボり、国内外問わず様々な所に出かけた。正直、日々の不真面目さで卒業が危ぶまれたのだが、「熊と僕」という絵本のタイトルみたいな(中身は大真面目)卒論がウケたのだろうか、無事留年は避けられた。卒業後はアラスカに一年近く本格的に滞在し、その後はずっと放浪生活を送っている。各地を転々とする、さすらいの旅人。頬に×印の傷を作って「るろうに雪兎」とかやってみようかと本気で考えてみたりする。

 さて、冗談はこのくらいにして、まあこんなふざけたことを言っているのだから、当初の旅の目的は果たされただろう。……いや、実はまだ果たされていなかった。というか、それらのことを考えれば考える程ど壺に嵌っていくようだった。決して、旅が楽しすぎて目的を忘れた訳ではない。

 確かに旅は楽しい。けれども、それは幸せか? 僕にはもう父も母も妹もいないのに、そんな状態で幸せを享受できるのか? 良い大学を出て安定した職に就き家庭を持つことが、より価値の高い人生なのか? 自分だけの生きがいを持ってないような奴は皆クズか? そもそも「僕」とは何者なのか? 何をもって「冬月雪兎」なのか? 

 答えは、ずっと出ないままだ。

「ていうか、僕はいつから哲学者になったんだよ」

 車窓に映った思索に耽るような自分の顔を見て、僕は自嘲気味にそう呟いた。農学部出身のくせに、と続ける。哲学者を気取った所で何にもならない。

 それに、自分探しの旅なんて言ってしまえば聞こえは良いが、僕のやっていることはただの放浪だ。定職に就かず、日雇い仕事でなんとか食い扶持を稼ぎ、特に目標もなく、ただただ旅をしているだけなのだ。気付けば、日本の友人達は結婚していたり社長になっていたりプロのサッカー選手になっていたり、と自分の居場所を見つけている。僕だけが取り残されたようだった。当てのない旅路は永遠と続くのかもしれない。

「……『ほんとうのさいわい』は何処にあるんだろうねえ、カムパネルラ」

 さっきまで読んでいた本になぞらえて呟いた。

 場所はロシアからフィンランドに向かう鉄道列車の中、時は二十二の春の頃のことである。

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