空き教室で後輩と二人きり……だと?

 旧部室棟を出た僕は、外から正面玄関を通り適当な空き教室へと連行された。狙ったのか単にこの子のクラスなのか、一年の教室だ。窓際の席で対面する二人。いわゆる主人公とヒロイン配置なのでは? などと日陰者丸出しの思考を巡らせてしまう。


 結局、持ち帰ったのは移動された外靴のみ。いや、決して美少女後輩と二人きりの状況にそそられないという訳でも、このままサレナ達に無断でランデブーする度胸がないのでもない。ほら、やっぱり道義的に気になるじゃないか? 彼氏がいる子だったりしたら見つかれば不味いだろうし。何より僕ことサキトは健全な心と体を持つからして、節操のなさそうな後輩ギャルとは違――


「? なーにブツブツ言ってるんですかぁ?」


 やばい、口に出してしまっていたか。どうも無自覚の内に舞い上がっているのかもしれない。戒めねば。


「あ、ああいや。何でもないよ」

「ふうん?」


 唇に人差し指など当てながら首を傾げる、謎の後輩美少女。さっきの無双ぶりからしてみるとそのあざとさも何だか不釣り合いな気がしてきた。


 ちょっと失礼、などと断りを入れることもなくスマホを取り出したチート使いは、


「――よし、よしと。ここからはちょっと廊下じゃできないですから」

「? 何しようってんだ」


 廊下じゃ、という所にアクセントを置いた謎の後輩美少女。そういえば名前を聞いてなかったことを思い出し、「ってか、名前聞いてもいい?」と僕が切り出そうとした瞬間――



 頬に触れる、湿りを帯びた柔らかいものがあった。



 僕が惚けてしまったのは言うまでもない。さぞマヌケな顔が教室の窓に映っていることだろう。


「…………え。……え、ええ!?」

「えへ」


 髪ごしに触られているのがとても残念な、僕の顔を優しく掴んでいた両手と今まさに触れ合った小顔が離れていく。再び正面にそのご尊顔を捉えても、まだ思考が回復しない。廊下で起動したエマージェンシーモードはまだインターバル中か、くそ。


 というか、顔を赤らめるなよ。そんな態度を見せられたらさらに実感が湧くじゃないか、と血圧の上昇を理性のみで食い止める僕に対し、


「フフ。もらっちゃいました。センパイの、ほっぺのか・ん・しょ・く♪」


 もちろん初めてですよね、と断定するかのような口調の謎の後輩美少女。失敬な。『降魔』を狙ってきた刺客なんて、女子の方が多かったぐらいなんだぜ。その中には当然、身体的接触で僕を懐柔しようとしてきた輩だっていたさ。意地とプライドをかけ、虚勢のままに抵抗を試みる。


「ふ、フン。動揺なんてしちゃいないさ。元『降魔』たる僕にハニートラップなんて通用すると思ったら大間違いだ。そうやって簡単に男を操縦できると思っているんだろうけど、生憎君のような手口は嫌という程見てきた。まあそういう訳であって初めてということではないでもなきにしもあらず――」


 まくしたてる僕。悲しいことに、何の効果もないことは明白だった。「ぷふっ」と可愛らしく噴き出したその少女は、


「早口になっちゃってますよー。めっちゃカワイー♡」

「く……どうして素直に汗までかいてしまうのか。一体何を企んで」

「でもホント、顔は可愛い系に入るんじゃないですかぁ? 素直な男の子の方が何だかんだモテますよ、イヤミじゃなく。でも、本番はここからです……」

「お、おい?」


 大いに男心を揺さぶる謎の後輩美少女はゆらりと立ち上がったかと思うと、


「ねえ、もうちょっと続きしてみませんか……?」


 あろうことか、しなだれかかってきたではないか。煩悩を追い出すべく心に『鎮』の字を思い浮かべていた僕は無抵抗のまま、椅子から転げ落ちる。


「お、おい――うわ、あ!?」

「わ、きゃ!?」


 いや、なんでお前も動揺してんだよ。


 窓側の壁にもたれかかる形になった僕を、四つん這いのような体勢になった謎の後輩美少女が見下ろしている。サレナと違いちゃんとリボンはつけているとはいえ、何だか油断気味の胸元が見えてしまいそうで――


「――――」


 完璧に左右対称な造形の顔が、今度は真っすぐ下りてくる。僕は動くことができない。これも彼女の『名前』が持つと思しき能力によるものか、それともこのシチュエーションに少なからず流されてしまっているのだろうか。


 サレナや川内にも劣らないどころか、レベル的には完全に同格だよな、この子。敢えて言うならば星河に系統は似てる気がするけど、あいつほど生意気さは感じない。もっと器用というか、小悪魔的な狡猾さが——って、何を僕はソロ品評会を開いてるんだ?


 普段、アルファベットでくくっている友人みたいな思考に染まってしまった放課後。息がかかる程の距離まで二人の影が重なろうとした、その時だった。



「~♪ っブねえー、買ったばっかのアイパッド忘れてたわ……お?」



 最悪、いや——ある意味では最良のタイミングであるのかもしれない。教室のドアを乱暴に開けて入ってくる、一人の女子生徒。


 残念極まることに、その女子生徒は最近面識ができてしまっていた。「誰かいんの? って」とたちまち僕達に気付き、


「オイ。他人の椅子ぶっ倒して何やってんだよ」


 気を抜くと「すいません、買い直してきます!」と購買までパシってしまいそうな強気の声は、先程職員室へ行っていたカーストクイーンカリスマギャルこと、川内真緒。


 ほんの小さく、目の前の少女から舌打ちが聞こえたような気がしないでもない。てかこのギャルほんと足綺麗だな、などと不埒な感想を抱いていた僕は今度こそ大いに狼狽しつつ、


「ち、違うんだよ川内さん。ああいや違うというか……違わないんだけどさ。あの後廊下でこう色々あってゾンビ的なものが襲ってきてこの子が助けてくれて、その後何だかんだで気が付いたらここに」

「うわ出た、キョドった陰キャの早口。きっしょ」


 はーい頂きました、と両手を上げたいね。残念ながらギャルからの「きっしょ」がご褒美になる界隈は未経験なんだけども。


 早々に白旗を準備せねばならない。サレナと星河までここに来るようなことがあっては、最早収拾がつかないどころか最終審判の危機なので、


「ごめん、君の座席だって知らなかったんだ。まあ順を追って説明するとだね――」

「いいよ、センパイ。今日はここまでってことで」


 さらりと言うと、一瞬前髪で目元を隠した謎の後輩美少女は立ち上がり、スカートを整える。


「ごめんなさい、川内真緒さん。貴女の邪魔をする気はなかったの。今日は帰るね」

「え? ああ、おう」


 挨拶と共に椅子を元の位置に戻すのを見た川内は、毒気を抜かれたように生返事を返す。


 帰り際、こちらを振り向かずに謎の後輩美少女は、


「――センパイ、忘れないでね」


 と、よくわからないことを言い残し、小走りで去っていった。


 やっぱり走り方もあざといんだな、と思いながら僕は立ち上がる。時計の針を見てみると、驚くことに部室にいた頃から三十分程しか経過していない。


「アイツ、確か……」

「知り合い?」

「いや、知らんけど」


 そんなことを考えていたせいか——廊下を睨みつける川内の顔がかつてない程厳しいことに、その背を見る僕は気付けなかった。









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