第四十八話 黒き獅子

 白面憑神はくめんひょうしんにより鬼の妖性を発現した颯は、一気に睦月との距離を詰める。その速さは琴葉の憑神を上回るものだった。


 それこそあっという間に睦月と神楽、雫の間に割り込み、滅殺を受け流す。空間すら穿つような超高速の刺突を刀で弾いて見せたのだ。


 颯は刺突の勢いのまま突っ込んでくる睦月の腹に前蹴りを入れる。超高速で移動中の相手の動きに合わせたのだ。それなりにダメージも入るはずだと期待する。が、吹き飛ばされた先で、睦月はあっさりと立ち上がった。どうやら然程ダメージにはなっていないらしい。


 睦月の口から舌打ちが漏れる。それだけ今の一撃には自信があったのだろう。


 にらみ合う颯と睦月。一方は仲間を守るため、一方は颯を屠るための戦い。両者の思惑は衝突するのみ。決して相容れない。だからこそ、刀を交えるしかないのだ。




 退魔師と妖を仕留め損なったため思わず舌打ちが出たが、これはこれでいい状況である。何せ、颯があの妙な力を発現したのだ。


 一度は落とされた右腕が疼く。今の右腕も気に入ってはいるが、やはり利き腕を落とされた恨みは大きい。睦月の中で黒い炎が燃え上がる。それは少しずつ鎧から溢れ出て、大気を焦がした。


 憎しみの感情が今にも爆発しそうだ。睦月は必死になってそれを押えた。そうしなければ自分が自分でなくなってしまうという確信があったからだ。颯を斬るのは自分の役目。そう思えばこそ、今暴走する訳には行かない。


 睦月は再び刀を構える。滅殺を決めるためには相手の体力を削る必要があるだろう。でなければ、先ほどと同じように流されて終わりだ。ならば。


 地面を蹴り、颯に肉迫する。いくら力を持っているとは言え、相手は人間。少しずつでも斬れば体力は消耗するだろう。膝でも着こうものなら、その時こそとどめを刺せばいい。


 刀と刀が交差し、その度に火花が散った。その様はまるで満開の桜のようだ。一瞬の煌きのために咲き誇る花。ここにはそれが無数に存在していた。咲いては散りを繰り返す火花は、美しいまでに周囲を染め上げる。


 しかし、それは刀が相手に届いていないということ。睦月の斬撃はことごとく颯の両刀に防がれている。速い。これが人間の力だとでもいうのか。一体どのような力を持ってすれば、ウォーデッドである自分の剣に対してこれほどまでに拮抗出来るのであろうか。


 睦月は知らない。颯が鬼の妖性をその身に宿しているということを。睦月は知らない。颯の身が既に人間でなく鬼と化しているということを。だからこそ焦った。妖を取り込み強化されたはずの自分が、相手を圧倒できない。こんなことがあっていいのか。いや、いいはずがない。


 更に回転を上げる。身体が軋むが今はそんなことを気にしている場合ではない。もっと速く。もっと鋭く。もっと的確に。睦月は雄たけびを上げながら刀を振るった。




 まるで嵐のような連撃。その光景に神楽は圧倒される。今あの場に踏み込もうとすれば、自分は細切れにされてしまうのではないかとすら感じられる気迫がそこにはあった。


「一体どうなってるの?」


 颯の動き。あれは人間のものではない。どう考えてもウォーデッドのそれだ。人間の肉体強度では到底出来ないような動きを連発している。それに颯の放つ気配。ウォーデッドとも妖ともつかない妙な気配である。一体何が起こっていると言うのか。


 ふと視線をらすと、琴葉も雫も颯の動きに見入っているのが見えた。それもそうだろう。純粋な力というのは時に美しく見えるものだ。神楽自身、状況が状況でなければ同じように見入っていただろう。それだけの価値が、その刀捌きにはあった。


 しかし、今はそれを眺めていていい場面ではない。颯のあの力が何の制限もなく使えるものだとは思えなかったからだ。とは言え、下手に踏み込めば自分が命を落としかねない。この戦いで誰か一人でも味方に被害が出れば、それは敗北と同義である。その被害者が自分となれば尚更だ。何せ、今の睦月の後ろには那岐が控えている。こんなところで味方戦力を減らす訳にはいかない。


 神楽は勢いよく踏み切った。狙うのは睦月の首。同業殺しをよしとする神楽ではないが、今の睦月はウォーデッドであることを捨てた離反者である。故に手加減はしない。全力の一撃を持って睦月を討つ。そう決めた。


 不刻の呪印を発動させて、時を止める。不刻で止められるのはほんの数秒。しかしその数秒があれば、睦月の首を落とすには充分だ。一歩踏み、二歩踏み、三歩踏み。神楽が刀を振りかぶる。時の止まった世界で神楽は滅殺――贖罪サティスファクションを発動させた。しかし。


 ぐるんと睦月の首がこちらを向く。あり得ない角度。あり得ない方向に首が曲がっている。だが最もあり得ないのは、時の止まったこの空間で、動くことが出来たということだ。


「――っ!?」


 生理的な不快感が全身を駆け抜ける。それでも神楽は刀を振り抜いた。刀の軌道が弧を描く。神楽の刀は、間違いなく睦月の首を落としていた。




 一瞬の間。颯が気づく。睦月の首から上がなく、断面から大量の血が噴き出していた。どうやら神楽が不刻を使ったようだ。でなければ、このような事態にはなっていないだろう。睦月の身体がぐらぐらと揺れる。剣撃はみ、腕がだらりと垂れ下がった。


 終わったか。そう思ったが、睦月の身体は倒れない。揺れていた身体がびくびくと震えだす。すると次の瞬間。睦月の鎧から黒い炎が噴出し、内側から砕ける。そして睦月の身体は巨大な黒い獅子に姿を変えた。


「なっ!?」


 首を落としたのにまだ終わらない。颯は素早く構え直すが、獅子の方が僅かに速かった。


 獅子の一撃が颯を捕らえる。颯の身体は宙を舞い、公園の柵へと打ちつけられた。


「がはっ!?」


 全身の骨が軋む。内臓も二、三いかれたかも知れない。口から血が吹き出した。それでも何とか立ち上がる。追撃があるかと身構えたが、獅子はその場で暴れているだけで、直接颯を狙おうとはしてこない。妖力の余波で周囲は滅茶苦茶だが、幸い神楽と琴葉、雫には影響はないようだった。


「……完全に我を失ってるな」


 獅子が吠える。その様子は、まるで苦しんでいるかのようだ。


 自分がこうなった時は詩織が鎮めてくれたが、こうなった睦月を鎮めることは不可能だろう。何せ首を落とされている。元に戻ったところで、待っているのは死。ならばこのまま楽にしてやるのが人情というものだろう。


「神楽、琴葉! 一瞬でいい、そいつの注意を引いてくれ!」


 二人が頷いたのを確認して、颯は炎舞の術式を脳裏に展開する。生み出した炎を刀に纏わせ、収束させていく。圧縮された炎は光となって颯の刀を輝かせた。


 その時、神楽と琴葉がそれぞれ紫電と水弧を放つ。琴葉が放った水の刃に雷が宿り、獅子の右目を穿った。咆哮を上げる獅子。残った左目で二人を睨みつける。


 獅子の注意が颯から注意が逸れたその瞬間。颯は獅子の懐に飛び込んだ。二筋の閃きが獅子を薙ぐ。光を纏った刀が漆黒を絶ち、獅子の巨体を四つに斬り分けた。


 獅子が断末魔を上げ霧散する。後に残ったのは静寂のみ。邪な気配は消え、元の穏やかな公園の姿を取り戻す。


「やりましたね、颯さん」


 琴葉が駆け寄って来た。しかしその顔に笑顔はない。勝利こそしたが、相手が相手だ。その後味はとても気持ちのよいものとは言えなかった。


「まぁいいんじゃない? とりあえず勝ったんだし」


 神楽はそう言うが、口で言うほど軽い出来事ではなかったというのは、彼女の顔を見れば一目瞭然だ。


「颯、大丈夫?」


 雫が颯の顔を覗きこむ。颯は努めて笑顔でそれに答えた。


「ああ。お前にも心配かけたな、雫」


 それを見た瞬間、雫の顔がパッと笑顔になる。


「颯、雫、わかる?」

「ああ。ちゃんと思い出したよ。お前のことも、今までのことも全部」


 雫が颯に飛びついた。颯はそれを優しく抱きとめる。雫には今まで放っておいて分の埋め合わせをしなければならない。そう思った。


 今回の睦月の襲撃は辛くも退けることが出来たが、戦いはまだ終わってはいない。一番の敵である那岐が健在なのだ。那岐が計画を実行に移し始めている。そう遠くない未来に、再び剣を交えることになるだろう。颯は雫の頭をポンポンと撫でつつ、那岐の計画に思いを馳せるのだった。

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