第五話 原初神クロロプラスト

「……しかし困りましたね。無力化したは良いですが、これから大事な用があります。彼らを人間の街まで連れていく暇はありません」


 ヴィドリアは倒した20人ほどの男たちを見下ろし呟く。

 その全員が、身体に小さくないケガを負っていた。


 死んでいる者こそいないが、彼らはもう普通に暮らすことはできないだろう。


 現在はヴィドリアの回復魔法によって辛うじて命を繋いでいる状態だ。


「ヴィドリア様、殺すというのもひとつの手かと思います」


 悩む彼女へ、ビアンカがそう告げた。


 彼女の意見はしごく真っ当である。元々自分たちをさらいに来た賊。殺される覚悟は当然できているだろう。


 ビアンカならば有無を言わさず殺している。


「……まあ、それもわかるのですが。今回は生かして帰ってもらいましょう。エルフを襲うとこういうことがあるんだぞと、そう宣伝してもらった方が良いでしょうから」


 ……嘘である。たかが20名を下した程度で、エルフを襲う人間たちは止まらないだろう。

 そもそも彼らの話がそこまで広まるとは思えない。


 しかしだからと言って、人間種も己の眷属だ。まだ未遂ならばあるいはと、そう期待するのは間違いだろうか。


「……わかりました。ヴィドリア様がそうおっしゃるのなら、私から言うことはありません」


 ビアンカは少し不服そうにしつつも、大人しく彼女に従う。ビアンカとて、ヴィドリアが怖くないわけではない。先ほどの様子を見せつけられては、誰だってそうだろう。


「ありがとうございます、ビアンカ。彼らはひとまずこの場に拘束して、私たちはクロロプラストのところへ急ぎましょう」


 ヴィドリアは一言礼を言ってから、彼らを大樹の根で拘束する。魔力の宿る森の樹木は、人間の筋力程度で破れるものではない。


 それからヴィドリアは、集落を出てきた時と同じくある方向を目指して歩み始めた。

 ビアンカももちろんその後に続く。襲ってきた賊のことなど、もはやどうでもいい。


「どちらへ行かれるのですか? 私には方向もわからないのですが」


 そのまましばらく歩くと、不意にビアンカは不安げな様子で尋ねてくる。当然だろう。ヴィドリアが何の導もなしに歩き出したのだから。


 彼女のことを信用していないわけではないが、行き先がわからないのでは不安もある。

 特に、森に詳しいエルフですら知らない場所ならば。


「問題ありません。クロロプラストにとって、場所という概念は無意味なのです。彼は移動できませんから」


 しかしビアンカの不安もよそにヴィドリアは何の逡巡もなく答える。彼女にとっては当たり前のことなのだろう。


 原初神クロロプラスト。彼は植物を司る神だ。


 植物とは、己の脚を持たず独立した栄養源を獲得した生物のことを言う。捕食という行動を必要としない彼らは、当然移動だって必要がない。


 彼らの栄養源は太陽光であり、他の生物ではないからだ。


 それを体現する神クロロプラストも、当然ながら移動という感覚を持たない。


 彼は植物のある場所ならばどこにでも存在し、またどこにも存在しないのだ。


「クロロプラストは少々特殊な神ですから。呼びかければきっと来るでしょう」


 そう言ってヴィドリアは、周辺で一番太い木に手を当てる。


 どうやら必要だったのは場所・・ではなく、クロロプラストに呼びかけられる魔力の豊富な樹木・・・・・・・・だったらしい。


 彼女の魔力が指先から溢れ出すと、まるで大樹がそれに応えるように光の粒子を放出し始めた。


 木の葉から漏れ出す光の粒子は二人を包み込み、目を開けていられないほどの眩しい光が辺りを支配する――。




 ――二人が目を開けると、そこは太陽の光に包まれた不思議な空間だった。


 あまりにも強い光に、周囲5mから先は何も見えない。

 植物を彷彿とさせる緑色の景色も、今は目に悪くて仕方がない。


 初めてこの場所に来たビアンカは、たまらず瞳を覆いうずくまってしまう。


「ビアンカ、これは魔力的な光です。魔法適正の高い貴女なら大丈夫。ゆっくりと目を開けて、瞳に魔力を宿らせてください。すぐに慣れますよ」


 そんなビアンカに、ヴィドリアは優しく声をかける。


 彼女はビアンカの瞼に手を添わせ、柔らかな手つきでゆっくりと上げていった。

 それに合わせ、ビアンカも目を開いていく。


 ひとつ深呼吸をすると、落ち着いた彼女は静かに立ち上がりヴィドリアへと向き直った。


「ありがとうございますヴィドリア様。ところでここはいったい……?」


「やあ、久しぶりだねヴィドリア。それと初めまして、エルフのお嬢さん」


 彼女の疑問に答えるように、光の中から一人の少年が現れる。


 深緑の瞳に、針葉樹を思わせる濃い髪色。身長はビアンカよりも少し低いくらいで、その表情はとても柔らかい。


 幼さを感じさせる彼の顔は、しかしどこか余裕のある笑みに包まれていた。


 彼はまさに神出鬼没。いったいいつからそこにいたのか、ビアンカにはまったくわからなかった。


 その移動法も、およそ生物のそれとは思えない。幼く細い脚をまったく無視して、魔法的力を使い浮遊するかのように現れたのだ。


 目の前にいる彼が、本当に目の前にいるのか判別がつかない。もしかしたら、実はもっと遠くにいるのではないか。


 遠近感や距離の感覚をまったく狂わす不思議な圧力が、彼にはあった。


「もしかして、貴方が原初神クロロプラスト様でいらっしゃいますか?」


 さしものビアンカも、彼の正体に気が付いたらしい。

 神妙な表情を浮かべつつも、その眼には確信の色が見て取れる。


「いかにも、僕が原初神クロロプラストその人さ。それで、今日はいったい何の用かな?」


 少年は柔らかい動作で一礼すると、今度はヴィドリアに向き直り本題を要求する。


 その顔は先ほどの優し気なものとは打って変わって、どこか恨みを込めたような表情となっていた。

 当然、彼の余裕は覆ってなどいないが。


「実は最近発生している長期間の寒冷化について、貴方に協力していただきたいことがあって来たのですよ」


 それに対し、ヴィドリアはあくまでも下手に出て話をする。


 もちろん彼女がお願いをする立場であるということもそうだが、クロロプラストには小さくない引け目があった。


 ヴィドリアは自分の眷属相手ならば卑怯なこともするが、対等な立場である神々にそのような振る舞いはしない。


 根は真面目なのだろう。そもそも眷属を騙しているのだって、すべての種が存続できるよう願ってのことだ。


「そっか。でも、それを聞いてあげる義理はないよね」


 しかし当の原初神は、彼女の話を聞く気がないらしい。


 それもそのはず。彼の眷属はヴィドリアの眷属である人間種に散々な目に遭わされてきた。きっとこれからも、それは加速していくだろう。


 彼にとっては面白くない。自分の後発で出てきた新参者が、我が物顔で地上を闊歩しているのだ。それも当然である。


 ……ちなみにこれは余談だが、詳しい話をするとクロロプラストは原初の神ではない。

 あくまでも、地上にいち早く進出した“目に見える生物種”であるというだけのこと。


 本当に原初というのなら、細菌や菌類を司る腐食神コロシオンがそうである。

 この星ヴィーダに最も早く誕生した生物は、彼が統括するバクテリアの一種だった。余談終了。


「話だけでも聞いてくれませんか? お互いにとって悪いことではないと思うのです」


「どうせ寒冷化で不作が続いてるから森の恵みを増やしてくれって話でしょ? 人間たちがいもしない神に祈ってるのをずっと見てたから知ってるよ。あいつら平気で嘘を吐くから、神を勝手に捏造するんだ。結構面白いよね」


 性格が悪い。正直ヴィドリアはそう思った。


 しかし、彼の言っていることがわからないわけではない。人間の神はここにいるというのに、彼らは存在しない別人を崇拝しているのだ。


 訳が分からない。何度も助けたというのに、自分の存在が捻じ曲げられて伝わっている。

 そのことに不満がないわけではない。


 だが、それもまた人間という生物種の特性なのだと納得していた。

 狼が群れを成すように、水牛が先人の跡を辿るように、話を捻じ曲げるのが人間という生物なのだ。


「いいえクロロプラスト、それは違います。今回は人間種ではなく、エルフです。彼女たちに森の守護者になってもらおうと、そういう話なのですよ」


 そんな共感もぐっとこらえ、ヴィドリアはクロロプラストに本題を持ちかける。

 下手に出ているのは間違いないが、その口調にはわずかながら自信があった。


「は? どういうこと?」


 これにはさしもの原初神も混乱したらしい。


 彼はヴィドリアが図々しく身勝手な要求をしてくると思っていたのだろう。素っ頓狂な声が漏れている。


「貴方は少し勘違いしています。人間種はあくまでも私の眷属がひとつであって、人間だけを特別視しているわけではありません。森の獣も虫たちも、すべて私の眷属です。そして彼女たち、エルフも」


 確かに、人間種の出現によってヴィドリアが急速に勢力を増したことは間違いない。


 星の神と違い、生命の神は己の眷属が持つ力や進化によって力量を左右されるからだ。


 中でもヴィドリアは、特に急速な成長を遂げた。それだけ人間は異質な存在だったのだ。


 しかし、あくまでも彼女は地上の生物を統べる神。人間だけを贔屓することはできない。


「エルフは狩猟採集生活をしている民です。魔法適正も高く、森林との親和性も高い。ですから、彼女たちに森の守護と生育を任せようと思っているのです。その見返りに、森の恵みを増やしていただければと」


 やっと得心がいったという様子で、クロロプラストは手を叩く。


 そしてまた、彼が持っていた勘違いについても多少改善されたようだ。

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