魔法少女 まじかる⭐︎あかり〈後〉


 うさぎ環くんはホウキに乗らずにその身ひとつで空を飛び、僕を先導してくれる。本物の彼もたびたび空を飛んでしまう人だったね。その時はこんな気持ちなのかな?


「ホウキが初めてにしては上手く飛ぶね」


「ありがとう。ところで、女王様はどちらにいらっしゃるんだい?」


 うさぎ環くんはまっすぐ前を指さした。


「月にお城があるんだ」


「へえ……」


 目を凝らすと、桃色の月に砂糖菓子みたいな可愛らしいお城が乗っかっているのが見えた。月に住んでいるなんて、ほうき星の女王様とやらにも、うさぎの耳が生えているのかもしれないな。


 月に着地するとホウキを降り、うさぎ環くんに教えてもらった通りにステッキを振る。するとホウキは犬のように穂を振ってどこかへ飛んでいってしまった。


 逃げたのかと思ったけど、ホウキというのは暇な時はその辺を散歩しているものらしく、呼べばまた来てくれるらしい。


 実際にもこんな乗り物があればいいと思う。自転車みたいに手軽に乗れて、停める場所を気にしなくていいのはとても便利だ。


 目の前に佇む砂糖菓子のお城は、お城と呼ぶには見た目もサイズもずいぶんと可愛らしかった。


 やはり月といえばうさぎの天下らしく、そこら辺にマシュマロで作ったみたいなうさぎがぴょんぴょん跳ねている。


 うさぎ環くんについてお城に入る。壁も床も真っ白で、特に光源も見当たらないのに晴れた日のようにとても明るい。


 ところどころが見たことのない形の色とりどりの花で飾られて、燭台のろうそくの火は、ピンクだったり薄紫だったりする。


 揃いの紫色の服を着たうさぎ(正確には、今の環くんのようにうさ耳を生やした人の形をしている)たちが、僕たちの姿を見て頭を下げるのに答えつつ、紫色の廊下を進んでいく。


 突き当たりに、見上げる高さのドアがあった。隅まで抜かりなく装飾が施されていて、見るからに特別なものというのがわかる。


「ここが謁見の間だよ。くれぐれも失礼のないように」


「ああ、わかったよ」


 女王様に会ってその先はどうなるのだろう?


 全く展開は読めないけれど、こうなったらとことん楽しんでやろう。そう思って踏み込んだ。


 ギイ、と音を立てて大きな扉が開く。


 扉の先にも白い世界が広がっていたけど、天井は一部ガラス張りなのか、ところどころ紫色の空に覆われている。


 星を模ったライトがいくつも宙に浮かび、角砂糖みたいな質感の白い壁をほのかに光らせている。


 チラリと振り返ると、うさぎ環くんが恭しく耳とこうべを垂れている。


 広間の中央に敷かれた薄紫の長い絨毯の先、眩く輝く玉座に腰掛けている人物……ほうき星の女王の正体にはさすがの僕もびっくりした。


「ともくん!?」


 耳をくすぐる懐かしい声。


――ほたる姉さんだ。


 姉さんは僕の姿を見るやいなや、玉座から駆け降りた。スカートの裾を踏みはしないかとハラハラしたけど、あっという間に距離を詰め、僕に飛びついてきた。


「やっぱりともくん!! すごくおっきくなってる!! 髪の毛、また伸ばしてるのね」


「ああいや、これは色々あって」


 しかし何というか、僕のこの格好にツッコミを入れないところはさすがだ。確かに僕は女の子として生きていた時期もあるけど、男に戻ったことも一応知っているはずなのに。


 ああ、夢だからか。そのあたりはきっと適当なんだね。


 僕より背がすこし高かったはずの姉さんは、今や頭ひとつ小さい。嬉しそうに目を輝かせると、僕の長くなった髪を気にしている。


 十歳離れた姉のことはずっと大人の女性だと思っていたけれど、今こうして見ると少女の面影を残したあどけない人という印象を受けた。


 幾重にも繊細なチュールが重ねられ、後ろに裾を引く真っ白いドレスや、線の細いフレームに細かな宝石があしらわれたティアラやネックレスは『女王様』の威厳からはなんとなく遠いところにあるけれど、姉さんにとてもよく似合っていた。


「って、え? 今のともくんはいくつなの?」


「……あれから十年経ってるよ」


「ってことは……もう同い年なのね」


「……そうだねえ」


「そっか。こんな立派にもなるよね。そうだ。ねえ、髪の毛やってあげる」


 姉さんが指差す先に、実家の窓辺に置かれている椅子が現れていた。


 そこを中心に、謁見の間がいつも姉さんに髪の毛を結ってもらっていた、思い出の場所に変わっていく。


 僕はとんがり帽子をとって、椅子に腰掛けた。


「やっぱりちょっと髪質変わってるね。うーん、どうしようかなあ」


 僕の髪を触りながら、楽しそうに、歌うように姉さんは言う。これは夢、あくまでも僕の頭の中で再生されているだけの幻。それでも生きていた頃のような笑顔を見ると、あの日に帰ったみたいなあたたかな気持ちになる。


 姉さんは鼻歌を歌いながら手を動かす。スルスルと髪をすかれる感覚は妙にリアルだった。懐かしい心地よさを少しも逃したくなくて、目を閉じる。


 優しい時間は、何もかもが去りにし日々のまま。今ここにいる姉さんは本物だと、死してなお、魂は消えず寄り添ってくれているなんて絵空事を思わず信じたくなってしまう。


「ともくん、髪の毛をこうしてあげてたことも、もう忘れちゃってる?」


「そんなことはないさ。よく覚えているよ。僕の心はずっと姉さんのそばにあるからね」


「ありがとう。私も、ずっとずっと見守ってるからね。はい、できたよ」


 渡された鏡を見る。丁寧に編み込まれた髪に、姉さんが着ているドレスと同じ色の純白のリボンが飾られていた。


 不意に胸が熱くなった。いろんな気持ちが集まったものがこぼれ落ちそうになったけど、必死で耐えた。


 こんな風にいつまでもそばで見守っていてほしい、これは身勝手な僕の願いだ。いまでも現世に縛り続けられているなんて、そんなに悲しいことはないからね。


 だけど、たとえ姉さんの身体が、魂が滅んでも、この身に受けた愛が消えることはない。


 そういう意味では、姉さんはずっとずっと僕のそばにいる。


 たとえ今見ているのが僕にとって都合のいい幻だとしても、僕が生きる限り、目指すべきところを照らしてくれる道標であり続けるのだ。


「かわいいね。ありがとう」


「ふふ、久しぶりだから頑張っちゃった。さあ、いってらっしゃい」


「うん、行ってきます」


 とんがり帽子をかぶって立ち上がると、扉の向こうが輝いているのが見えた。差し込んでくる光は、朝日にとてもよく似た色をしている。


 唐突だけど、どうやらここで夢は終わりらしい。久しぶりに会えた姉さんと別れるのは名残惜しいけれど、僕は振り返らずに、光の方へ一歩を踏み出した。





「先生、先生。朝ですってば」


「……あれ? 僕はちゃんと帰って来れてたんだね」


 いつものように環くんの声で目が覚めて、身体を起こした。カーテンが開かれており、陽の光が眩しい。


「はい、帰ってきてますよ。おはようございます」


「おはよう……あれ、そういえば、風呂には入ったっけかな」


 一応、きちんと寝衣は着ている。髪もとりあえず洗ってあるようだ。しかし、頭の芯が脈打つように痛むし、友人と別れた後の記憶はやっぱり曖昧だ。調子に乗って飲みすぎたことを反省する。


 頭を抱える僕を、環くんは心配そうに見つめていた。


「そんなに酔っ払ってたんですね。わかんなかったです。風呂にもちゃんと入ってましたよ。そうだ、コーヒーか水持ってきましょうか」


「ああ、ごめんね。水を持ってきてもらえるかな」


 環くんは頷くと、ダイニングへ消えた。ウォーターサーバーから水を注ぐ音がよく聞こえる。


「はいどうぞ。先生がこんなになるのって珍しいですね。そうだ、酔っ払いといえば、俺も昨日は何かに酔ったみたいな夢見てました」


「ありがとう。ちなみに、どんな夢だったんだい?」


 お酒を飲めない高校生が『酔ったような』と例えるから興味が湧いたんだけど、なぜか環くんはぎくりと肩を揺らし、気まずそうな表情になった。もしかして、やましい内容だったのかな?


 なおのこと気になって、いそいそと部屋に戻った環くんを追いかけると、彼は観念したと言わんばかりに両手を上げた。


「ほんとに変な夢で……まあいいや、絶対笑わないでくださいね」


「笑わないよ」


「……先生がフリフリの服を着て、ホウキに乗って空を飛んでる夢です。なんか、俺が持ってた茶封筒の中からキラキラした杖とかホウキが出てきて、それで」


 なんと。


「え、僕も同じ夢を見たよ」


「えっ!?」


 環くんの目が満月のようにまんまるになる。ついでにうさぎの耳がピコンと動いた気がしたけれど、ここは現実、目の前にいる彼は本物だ。


 しかし、まさか同じ夢を見ていたなんて。こんな偶然……いや、偶然なのかな?


 二者の夢を繋げる魔術はないではないけれど、今の彼にはまだ早い……はず。とはいえ、彼の能力の特性から考えると、無意識のうちに何かをしたという可能性はゼロとも言い切れない。


 まあ、僕には魔力を感じることができないから、彼の仕業だったのかどうかは確かめようがないんだけどね。


 案の定、環くんは『何かやらかしたかも』という表情で慌てはじめた。


「せん、先生、佐々木先生には」


「……疑わしい事案として報告はするよ」


「はああっ、なんか恥ずかしいな」


 環くんは盛大に嘆いた。別に黙っておいてあげてもいいんだけど、寝ている間に魔力を動かしてしまったり、魔術のようなものを使ってしまうのはあまりよろしいことではないからね。僕に判断できることじゃないし、担当教官には正直に申告しておくべきだろう。


 まあ、僕も恥ずかしいから、内容は少々ぼやかして伝えるつもりだけれど。


 ふと、環くんの机の上に、高校生の男子が読むには多少似つかわしくない一冊の本が置いてあることに気がついた。


 【星空の魔女とほうき星の女王】


「あの本、君が読むのかい?」


「ああ、なんか、みんな昔読んでたって話聞いたんで、どんなのかなって思って借りてきたんですよ。男がこんなのって、恥ずかしかったですけど」


 そう言って苦笑いした環くんは、この手のリサーチに抜かりない人だ。


 恥ずかしいとは言いつつ、女性向けのファッション誌や動画、流行りの恋愛ドラマなんかも手広くかじっているようだ。


 やっぱりたった一人の男子として女子校ここで上手くやっていくには、凝り固まることなく周りに寄り添う柔軟な思考や態度が必要なのだと思う。


 僕の方が先輩なのに、今や彼に学ばせてもらっている状態だ。


「まあまあ面白かったですよ。魔法でモンスターを倒すのも悪くないですけど、こういう優しい話も好きです。そういえば、まんまこれの夢でしたね。寝る前に読んだからかなあ」


「かもしれないね」


 彼にことわって、本を手に取った。


 表紙はとてもきらびやかで、紫色の星空と桃色の月の下、濃紺のドレスを着た女の子がホウキに乗っているイラスト。散らばる星にはひとつひとつ箔押しがしてあって、キラキラと輝いていた。


 なるほど、あの夢の元ネタはあの有名な深夜アニメじゃなくて、この本だったというわけだ。あの夢の出だしは僕のイメージの方が強かったとか、そんなところだろうね。


 中を開いてみると、カラーやモノクロの挿絵と文章がページを半分こしていた。どうやら小学生の女の子向けに書かれた小説のようだ。十年前に発行され、それなりに版を重ねている。


 なるほど、今の学生はまさにど真ん中の世代ってことだね。


 パラパラとページをめくっていく。普通の女の子が、ほうき星の女王に遣わされたうさぎの妖精に導かれて魔法の力を手に入れ、あの夜空色のドレスに身を包み、箒に乗って空を飛び、困った人を助けていくといった王道の内容みたいだけど。


「おや」


「どうかしましたか?」


 ここで、主人公の女の子に既視感を覚えた。肩にかからない長さで切り揃えられた髪にキラキラと輝く丸い目。ちょっと引っ込み思案だけど、心優しい子。


 ああ、彼があんな夢を見た理由がなんとなくわかったよ。


 環くんにしたら、あのかわいい服は本城さん……愛しの彼女に着て欲しかったかもしれないね。


 僕なんかでごめんね、と心の中で謝ってから、もう一度水で満たしたグラスを飲み干した。


 まだどこかぼんやりしていた頭がたちまち現の世界へと引き戻されていったけれど、どこか幸せな気持ちが消えることはなかった。


 〈完〉

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