第22話 通院と病名

「一ケ瀬さーん、一ケ瀬颯真さん!」

 定期的な通院の日。待合室で名前を呼ばれた。CTとエコーと血液検査を先に済ませている。予約をしているが、相変わらず待ち時間は長い。


「はい」

 返事をして診察室に母ちゃんと一緒に入っていく。

「おっ、ますますイケメンになってきたなぁ」

 相変わらずの本郷先生の挨拶には、もうすっかり慣れてしまった。


「ありがとうございます」

 と笑って返事をする。母ちゃんはペシッと俺の肩を軽く叩くのだけど、痛くも痒くもない。

「少し元気になってきたようだね」

 本郷先生は、そんな俺の顔を見てガハハと笑った。


 夜勤だったのか、忙しかったのか。本郷先生の髪の毛は寝癖がついていて、うっすらと髭が伸びている。 それでもキチンと俺の事を診てくれる本郷先生の事を俺は信用している。


「検査の結果は、今の所問題はなさそうですね。胸の音、聞かせてくれる?」

 と、聴診器を当てられる。俺はこれがどうも苦手だ。何かあったらどうしようかと不安になるのだ。


 カチャカチャ、カチャカチャ。

 本郷先生は電子カルテに文字を入力していく。


「先生、ひとつ聞いてもいいですか?」

「ん? どうした?」

 本郷先生が体全体で俺に向き合ってくれる。俺には確かめなければないない事があった。


「俺の病気は拡張型心筋症なんですか?」


 診察室の空気が、急にピ―――ンと糸を張ったように色を変えた。

 本郷先生は、母ちゃんの方に視線を移す。俺の視線も母ちゃんに移していく。


 ふぅ――っと、母ちゃんはため息をついて俯いた。

(やっぱり隠していたのか……。って事は栞ちゃん。栞ちゃんも黙っていたのか?)


「申し訳ない! 一ケ瀬君。カテーテルで検査をした時の結果で、可能性があると判断したんだよ。お父さんとお母さんと、一緒にキチンと話をするべきだったね……」

「颯真、お母さんがお願いしたのよ、先生に! だって、ほら、今は落ち着いているでしょ! だから、何かの間違いとかって……」


「もういいから」

 少しだけ母ちゃんを突き放すような口調になってしまった。母ちゃんが動揺していた。ハンカチをぎゅっと握りしめている。

 本郷先生は辛そうな顔をしていた。


「あのさー、誰の病気なの? 俺だろ? 何で俺が自分の病気の名前を知らないわけ? おかしいだろ?」

「颯真、お母さんがね……」

「いや、俺は俺の病気の名前を知る権利があるだろ!俺の体だぞ! 病名知らないでどうやって闘っていくんだよ、……ったく!」


 珍しく俺は声を荒げてしまった。本当はわかっている。俺の為に言わなかっただけ……。

 ただ、 悔しかった。ただ、それだけだ。

(ゲームだってそうだろ! でっかいモンスターなのか小さなモンスターなのか、把握して装備を変えるだろ。)


 俺の握った拳が小さく震えている。

 俺が闘っていくべき相手は、かなり手強そうだ。そうでなければ、病名が伏せられる事なんてないんだから。


 外で鳴いているセミの声だけが聞こえてくる。後ろに控えていた看護師も、どうしたらいいのかと目線が泳いでいた。


「そうだよな、一ケ瀬君の言う通りだ」

 そう言って、俺の心臓であろう映像を写して見せてくれた。

 説明はやっぱり難しくて、さっぱりわからなかった。でも、最悪の場合はペースメーカーでは無理だと言う事は理解できた。

 あくまでも最悪の場合の話だが。



「ただ、状態は今とても安定しています。まだ暫くは自宅療養だけど、学校への通学も、視野に入れているからね! 制限はかかるけど、学校にも通えるよ! 嘘じゃない!」

 本郷先生の目は、まっすぐに俺を見ている。


「はい、学校に行きたいんで!」

「だよな」

 いつものように笑顔で言葉を交わして、診察は終わった。

「たまには外の綺麗な景色を見に行くといいよ! 気分転換にもなるし、運動にもなる」


本郷先生は、ニヤリと笑っている。

……ったく。


 薬を待っている時、母ちゃんが申し訳なさそうに口を開いた。

「お母さんがお願いしたのよ、先生に」

「知ってたよ、本郷先生がそんな事するわけないから」

「そう、ごめんね、颯真」

「帰りにソフトクリームな、あのちょっと高いやつな」

 凪には内緒で食べた、リッチなソフトクリームはめちゃくちゃ美味しかった。




 家に着くと、パソコンを開いた。

『拡張型心筋症』と検索をする。

 そこには不安になるな! と言われても、そんな事が無理であろう言葉がたくさん並んでいる。


 頼むよー、俺の心臓。ポンプの役目を果たせなくなってしまったら、一体俺はどうなってしまうんだろう。

 とにかく……悔いのない人生を生きる。

 それが、俺の出した答えだった。



『栞ちゃん、今度は夕陽が見たい』

 伝えなくちゃ、ちゃんと。

 栞ちゃんは、仕事なんだろう。返事が届いたのは、次の日の朝だった。



『ちゃんとご両親の了解もらってね! 次の休みの日に、夕陽が沈む頃に着くように行こう!』


「母ちゃん!!」

 俺は嬉しくて、ドタドタと階段を降りた。


 そして、俺は今、栞ちゃんの運転で『にじいろ海岸』に向かっている。助手席に座って、栞ちゃんの横顔を時々眺めながら話をしている。


今日は凪も広輝もいない。BGMは栞ちゃんセレクトにしてもらった。

 途中のコンビニでお菓子や飲み物を買って。キラキラと光る波を目指して車は走っていく。真夏の太陽は容赦なく照りつけた。海岸に到着するとまだ、太陽はジリジリとしていた。


「今日はテントないから、もう少し車でお喋りしよう!」

 って、栞ちゃんが言って。俺達はふたりでいろんな話をした。



 少しだけ風の温度が下がってくる。

「行こっか」

「うん」


 もちろん栞ちゃんは、カメラを持って景色を切り取りながら。

 そしてまた、俺の写真も撮った。


「人は撮らないんじゃなかったの?」

「んー、颯真君は撮りたいなって思っちゃって。ダメ?」

 首を少し傾けて笑う栞ちゃんには、似合う言葉が見つからなかった。

「ダメじゃないよ」

 恥ずかしくなって、海を眺める振りをして目線をずらす。少し心臓がドキドキとしてしまう。


 まだ熱が残る砂浜をゆっくりと歩いた。

 潮の香りが気持ちいい。

 オレンジ色に染まっていく空がとても綺麗だった。 貝殻をいくつか集めて砂浜に並べて、栞ちゃんは、カメラのファインダーを覗いている。


――カシャッ、カシャッ。

「栞ちゃん」

「ん?」


 カメラから顔を離した栞ちゃんに、俺はそっと顔を近づけた。優しく微笑んでくれる瞳に吸い寄せられるように、俺は栞ちゃんに、そっとキスをした。


 高校三年生の夏。

 自宅療養中の夏。

 初めてのキス。

 いつ壊れてしまうのかわからない心臓を持った俺は、栞ちゃんに恋をした。

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