第5話 新米看護師―栞side

「おはようごさいます!」

 太陽が傾いて部屋の奥まで光が届く頃。

 夜勤担当の私達は出勤をする。



(あー、少し眠いなぁ。)

 初めて患者を受け持つからには、それなりの知識がなくては……と一ケ瀬君の担当として資料に目を通していた。

 ナースステーションに看護師が集まって引き継ぎをする。


 ベテランナースの三輪さんが説明をする。

「心不全で昨夜運ばれてきた、一ケ瀬颯真君ですが、ご両親には本郷先生より説明済みです。一ケ瀬君には、詳しい検査の結果が出てから先生にお話してもらう予定です。倒れた時に左肩を打撲しているので体に触れる時は注意してください。ここにいる間の担当は中川さんです」

「宜しくお願いいたします」

 私は軽く頭を下げた。


「えー、そして交通量事故で搬送されてきた……」


 日勤の看護師からの指示を確認して、引き継ぎは終わった。


「あのー、三輪さん。一ケ瀬君のような場合、何に注意すればいいですか?」

「全部!」

「ぜ、全部? ですか」

 まぁ、それはそうだけども。


 三輪さんは笑顔で私を見ている。

「尿量や血圧も大切だけど、全部をしっかりと見ること。他の患者さんも同じ。いつも全部見てあげてー、顔色も表情も。何かあったら、誰でもいいから相談する事。担当っていったって、中川がひとりで背負うんじゃないんだから」

 バシッと私の肩を叩いて、三輪さんは笑った。私もつられて笑った。


「そう、その笑顔を忘れない! 患者さんはものすごく不安なんだから。じゃ、お疲れ!」

「はい、お疲れ様でした!」


 その後も、三輪さんは『お疲れ様ー!』とにこやかに帰って行った。

(優しい先輩がいて良かった。)


 さて、今夜はどんな一日になるのだろう。

 私は少しだけ心の準備をした。


(とりあえず、一ケ瀬君の様子を見てこよう。)

 私は回診車をコロコロと引いて一ケ瀬君の様子を見に行った。


 一通りの作業を終えた頃、呼び出し音が鳴り響いた。


――ピーッピーッピーッ

「はい、風花救急センターです!」


 まだ始まったばかりの夜に、鳴り響く始まりの合図だった。




「イテテテテテ……!」

 痛そうに顔を歪めた患者さんが運ばれてきた。


 ガチャガチャン、ガチャン。

「中川、そっち回ってー!」

「はいっ!」

「竹田ー、レントゲンの準備!」

「はいっ!」


 今夜も本郷先生の指示が飛び交う。

「移すぞー、いちっ、にっ、さんっ!」


「イテテテテテ!」

「お名前言えますかー?」

「お、大田っ、イテテテテテ……」


「北村先生呼んでー!」

「はいっ!」


 私は必死で先生の指示を受けて、処置を続けた。

 ここは、救命救急センター。いくら新人看護師でも甘えてなんかいられない。苦しんでいる患者さんの為に必死で私は頑張っていた。



「ちょっと休憩するかぁー」

「はい。」

 ふぅっと少しため息をつく。

 今日もバタバタとした夜だった。

 私は参考書を読みながらサンドイッチを頬張っていた。

「おっ、いいねぇ」

本郷先生がコーヒーを片手にやって来た。

「食べれる時に食べておかないと」

「そっ、正解!」

 本郷先生もテーブルに置いてあるバームクーヘンに手を伸ばした。


「本郷先生、一ケ瀬君なんですけど。ずーっと外ばかり見てるんですよね」


 さっき様子を見に行った時も、眠れないのかボーッと月を眺めているようだった。

「んー、まだよくわからないんだろうね。自分の体がどうなっているのか、これからどうすればいいのか。明日の詳しい検査である程度説明はできるようになるだろうけど。また発作が起きないといいのだけどな」

 本郷先生は祈るように口にした。



「十七歳で心不全か。高校三年生になったばかりですよね。せめて早く一般病棟に移れるといいんですけど」

「まずは口から食事をしっかりと取って体力をつけてもらわないとな」

「はい、噛む事は大事ですからね!」

「正解! 俺たちのようにカップラーメンを飲み込むようじゃ、体に悪い。ハハハ!」


 本郷先生はいつも豪快に笑っているが。

 時々、ふっと寂しそうな顔をする。

 その理由を私が知るのはもう少し先の事だろう。


「あ、先生聞いて下さい! 私、車の免許取れたんです! なんと、一発合格ですよ!」

「ほぉぅ、運転するなら気を付けるんだぞ!」

「わかってますよぉ、父親と同じ事言うんですね」

「ハハハ、父親は勘弁してくれよ」


 今日は穏やかな夜だった。


「医局に居るから、何かあったら呼んで」

 と、本郷先生はふらりと出ていった。



 そして私は一ケ瀬君のカルテに目を通していた。

 その時だった。


 ピロロン! ピロロン! ピロロン!

 ナースコールだ。

(一ケ瀬君!)

 私は急いで一ケ瀬君のベッドに向かった。


 ナースコールのボタンを握りしめたまま、苦しそうに呼吸をしている。額は汗がじわりと滲み、顔色は蒼白い。

「一ケ瀬君、わかりますか? すぐに先生呼ぶからね!」


「本郷先生をお願いします! 一ケ瀬君が!」

 私は急いで酸素マスクの準備をして、回診車を引っ張ってきた。

(あとは、えっと、えっと……血圧だ!)

 必死で血圧を計る準備をしているところへ、本郷先生の声が聞こえた。


「その次はエコーの準備な! あと、今日は北村先生だったな、呼んでくれ!」

「は、はいっ!」


 私は必死で北村先生に連絡をして、エコーの準備をした。


(頑張って! 一ケ瀬君!)

 そう祈るように、バタバタと時間は過ぎていった。

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